第8話 雨女、勘違いの果てに婚約する

 ティアナは国王の前だということを忘れて椅子に身を預けてしまい、真っ白な頭の中でドラウトの言葉を何度も繰り返した。


(一体どういうこと?)


 ドラウトのように容姿も能力も優れているのであれば、お近づきになりたいと願う貴族令嬢はごまんといるはずだ。

 それなのに自分みたいな平民の雨女と違う形で触れ合いたいと言った。


 からかっているのかしら、と不審に思ってしまうのは自然なことだ。


 そもそもドラウトはシエナ王国から追放された聖女とどんな風に触れ合うつもりだたのだろう。

 賊から助け出して恩を売り、聖女の力を行使させようとしたとか?

 つまりビジネスの関係?


 そんな疑問と答えを想像していくうちに一つの答えを導き出したティアナは嬉々として顔を上げ、満面の笑顔で頷く。


(ドラウト様はわたしの水なしでは生きていけないとおっしゃったわ。妻として身近に置くことでいつでもお水を飲めるようにするってことね)


 そしてゆくゆくはもっと美味しくなった水をレインハート王国に循環させる。全ては領地と国民を思っての発言だったに違いない。

 そんな風に解釈した。

 

 これからは言われたことだけをして、ついでに力の制御のコツを掴んで、結婚するならお飾りの妻を演じよう。離縁を申し出されたら素直に従って山にでも籠ろう。


 脳内会議を終えたティアナは心の声を悟られないように頭を下げた。


「ドラウト陛下、ふつつか者――」

「そんな他人行儀はやめてくれ!」


 ドラウトはティアナの発言にぎょっとして声を荒げた。

 あまりにも必死な形相にティアナはすぐさま謝罪し、言い直す。


「ドラウト様、ふつつか者ですがよろしくお願いします」

「こちらこそ。大切に、そして幸せにすると誓う。大急ぎで婚礼の儀の準備をさせるから少し待って欲しい。想定外の出来事だが、盛大に執り行うことを約束する」

「え、あっ、ちょっと! お待ち下さい。本当にすぐに結婚するのですか!?」

「あぁ……そうか、ご両親には挨拶した方が良いな」


 どんどん話を進めていくドラウトに対して、ティアナは気まずそうに視線を逸らした。


「わたしは聖女としてケラ大聖堂に売られた身なので両親の顔も覚えていません。家族と呼べる人はもういなくて。きっとシエナ王国からは誰も出席しないと思います。多分、大聖堂の人たちも……」


 沈黙が何よりも辛い。

 しかし、重々しい時間はそう長くは続かなかった。


「心配することはない。今日から僕の隣がティアナ嬢の帰る場所で、レインハート王国に住む全員が家族だ」


 胸の奥から込み上げてくる温かいもの。

 ふと頬を拭うと、一筋の雫が指先に触れた。


――わたし、泣いてる。


 涙を流したのはいつぶりだろう。しかも嬉し涙なんて。


「もちろん住まいは王都に移す! こんな辺境な地にきみを閉じ込めるような真似はしない」


 ティアナの涙の理由が「こんな場所で新婚生活を送るなんて耐えられない」だと誤解したドラウトの声が上擦る。


 涙を拭い、満面の笑みで応えたティアナの姿に一国の王が見惚れていることなどつゆ知らず、勘違いの果てにティアナはドラウトの妻になる口約束を交わした。



◇◆◇◆◇◆



 冷静になると恥ずかしくて堪らなくなったティアナは逃げるようにドラウトの部屋を出て、与えられた私室へと戻った。


 扉の前には白装束から昨日と同じ使用人専用の服に着替えたミラジーンが主人を待つ忠犬のように立っていた。


「ミラジーン? よかった!」

「ティアナ様!」


 雨乞いの儀式の後、ドラウトの転移魔法で一足先に屋敷へと戻ったティアナはミラジーンの処遇について説明を受けていないのだから心配するのは当然のことだった。


 ティアナとドラウトが転移魔法で屋敷に戻った後、ティアナが室内に入ると同時に雨は止み、お日様が顔を覗かせた。

 歓喜していた領民たちが不満をもらす中、ミラジーンを庇い、領主に民を宥めるように指示を出したのはドラウトの側近だった。

 彼のおかげでミラジーンは無事に屋敷へと戻って来れた。


「ティアナ様、この度は誠に有難う御座います。どんな感謝の言葉を連ねてもこの気持ちを伝えきることはできません」

「顔をあげて、ミラジーン。雨はわたしが何とかするからもう平気よ。あんな儀式は今日が最後だから」


 何度も言葉を変えて感謝を伝えるミラジーンは廊下にひざまずき、深く頭を下げた。

 それはまるで主君に忠誠を誓う騎士のようだ。


「ミラジーン・カバリアムはティアナ様の専属騎士そして侍女として忠義を尽くします。未来永劫、あなた様を裏切ることは絶対にありません」

「えぇ⁉︎ ちょっと待って⁉︎ なにそれ、そんなおとぎ話の騎士みたいなことされても困る」

「わたくしは元々、レインハート王国の魔導騎士団所属です。今回はドラウト様の護衛と身の回りのお世話役でしたが、正式にティアナ様付きとなりました」

「えぇ……なにそれ、聞いてないよ」

「ドラウト様はいつも突然お決めになるのです」


 ミラジーンのエスコートで室内に入ったティアナは軽やかな動きで服を脱がされ、動きやすいルームウェアへと着替えさせられた。


「ティアナ様の祈りのおかげで昨日の夜はとてもよく眠れました」

「ほんと? それならよかった」

「ティアナ様の祈りの力は絶大でしたよ」


 聞くと、ティアナの手にふれた箇所から熱を吸い取られるように体が冷え、深夜に一度も目覚めることなく朝を迎えられたとのことだ。

 ミラジーンにとっては初めての経験だったとか。


「生まれて初めての清々しい朝でした。聖女様の慈悲を噛み締めながら祭壇まで歩みを進めていました」


 うっとりとした表情で語るミラジーンに対して、ティアナは少なからず混乱していた。

 まさか自分にそんなことができるとは思っておらず、何を言われているのか理解できずにいる。しかし、悪い気はしなかった。


「わたくしは供犠くぎの身でありながらも、今日のような朝がずっと続けば……と願ってしまったのです」

「続くよ」


 年下とは思えない慈悲深い聖母のような笑みにミラジーンは息を呑む。


「ミラジーンが快適だったなら他の人にも祈りを捧げないとね。明日から忙しくなるぞー」


 そう言って伸びをするティアナ。

 幼い見た目で純朴そうな言動をするくせに、いざという時は王族相手にも怯まない強かさを持つティアナにミラジーンは心酔しきっていた。

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