第7話 雨女、うろたえる

 宣言通り、レインハート王国伝統の生贄の儀を中止にしたティアナは、ずぶ濡れになりながら久々の雨に踊り狂う領民の前で立ち上がれずにいた。


「ティアナ嬢」


 ビクッと肩を震わせ、ぎこちない動きで首を回す。

 声は上からかけられたのにドラウトの顔は目の前にあった。王であるドラウトが平民のティアナに片膝をついたのだ。


 反射的にのけ反るティアナの手を取ったドラウトはためらうことなく、滑らかな甲に口づけした。


「ふわぁ!?」


 初めてのシチュエーションに戸惑いを隠せず、ティアナは幼い声を放つのが精一杯で言葉が出てこなかった。


「これは信頼の証だ。屋敷に戻ってこれからの話をしよう」


 信頼の証と言われてもそれは聖女の力を信頼したということで、これまでの無礼な態度や行動がなかったことになるわけではない。


 これからのこと――つまり自分の処遇についての話だと結論付けたティアナは涙ぐんで謝罪したが時既に遅く、次に目を開けると屋敷の中だった。

 しかも、与えられた部屋ではない。

 どう見ても調度品の数々は一級品で客人や使用人の部屋とは思えなかった。


「さぁ、座ってくれ。紅茶でよかったかな? クッキーも焼いたんだ。是非、食べて欲しい」


 テーブルには湯気の立っているティーカップが二つ。

 転移してすぐに淹れたとは考えにくいが、ドラウトはなんでもないように棒立ちのティアナに着席を促した。

 ティアナとしては「楽にしろ」と言われても素直に受け入れられるわけがない。


「し、失礼します」


 恐る恐る椅子に腰を落とす。

 ふかふかの生地がお尻を包み込み、まるで雲の上にでも座ったような感覚だった。


 ふと視線を落とすとさっきまで雨に降られて、ずぶ濡れだった服は天日干しした後のように暖かくて、ふっくらとしていた。

 それに髪も乾いている。さらさらの髪にほどよい香水の香りがした。


 不思議な現象は自分だけなのか確認したくて目を細めると、ドラウトは突然立ち上がって深く腰を折った。


「えぇ!?」


 自分でも驚くほど素っ頓狂な声を上げてしまったティアナをドラウトは気にするでもなく、心地よい声ではっきりと告げた。


「ティアナ嬢、レインハート王国に来てくれてありがとう」

「い、いえ! むしろ、色々とごめんなさい。さっきの雨は大丈夫ですか!? まだ力の調節ができないので加減が、その……」


 ごにょごにょと恥ずかしそうに口を動かす。


「昨日から感じていたが、お淑やかな方なのだな。謙遜することはないだろう」

「違います! わたし、外に出ると雨が止まなくて。お願いですからお顔を上げてください」


 腰を折り続けるドラウトと、立ち上がってあたふたするティアナ。

 頭を上げたドラウトが再び椅子に座ったことを確認してからティアナも腰掛け直した。


「改めて自己紹介しよう。ドラウト・レインハートだ。逝去した父の跡を継いで国王になったばかりの身だ。元々は王都にある王宮で暮らしていた。雨乞いの儀のために一時的にキュウサ領に滞在している」

「シエナ王国出身のティアナです。庶民の出自なので家名はないです。ただのティアナです。シエナ王国では第二聖女と呼ばれていたです」


 あまりにも味気ない自己紹介を終えたティアナにドラウトは不満げだった。

 その雰囲気を自分の語学能力によるものと受け取ったティアナは縮こまる。レインハート語が堪能ではなく、適切な敬語が使えているのか自信はなかったがそれでも一生懸命、自己紹介したつもりだった。


 怒られたら謝ろう。そう思って小さく拳を握る。

 ティアナの心情を察したのかドラウトは昨日と同様にシエナ王国の言語で問いかけた。


「どうしてそんなに曖昧なんだ? ティアナ嬢が受けている加護は素晴らしいものじゃないか」

「っ!」


 気遣いに感謝し、恥ずかしながらシエナ王国の言語で会話を再開する。


「そうでしょうか。母国では迷惑だから外に出るなと言われていたので信じられません。助けていただいたことには感謝しています。ですが、多大なご迷惑をかけることになるかもしれません」

「どうしてそう思う?」

「先ほどの儀式の最中にも領民のみなさんが仰っていました。災害級の魔物が人に化けているのではないか――と」


 ティアナの細めた鋭い目がドラウトを睨んでいるようだった。彼はしまった、と言いたげな表情で額に手を置いてうなだれる。


「不快な思いをさせてすまない。雨とは無縁の連中だ。過去には生贄を出しても雨が降らないこともあってね。この時期は険悪な雰囲気になる」


 謝罪を求めているわけではないが誤解されたままでは今後の関係に支障が出かねない。

 公式に派遣された聖女ではないけれど、ドラウトに嘘は吐きたくなくて全てを打ち明けることにした。


 自分が第二聖女で、第一聖女のマシュリはシエナ王国の王子と婚約したこと。同時に自分が偽物の聖女として国を出ることになったこと。

 力を制御できないから大災害を引き起こす可能性があること。

 最後に自分よりもマシュリの方が美人なこと。


 洗いざらい話すとドラウトは食い入るような姿勢を正し、一息ついた。


「ティアナ嬢はどう思っているのかな? 事実上の国外追放を受けたわけだろう?」

「追放……そうかもしれませんが、母国のことを悪く言いたくありません」


 強い意志のこもった真っ直ぐな瞳でドラウトを見つめ返す。


「わたしとしては移住を許可していただけるのなら、精一杯、聖女としての勤めを果たす所存です。危険だと感じたなら追い出していただいて構いません」

「具体的には?」

「空気の乾燥が酷い干ばつ地域なら、わたしの力でなんとかできると思います。砂漠地帯に一部だけでも水があれば良いとも思います。全部を変えてしまうと郷土品である鉱物や果物を作る人の仕事を妨げるでしょうから。その辺の微調整ができるかどうか。あとは――」


 早口に語っていたことに気づき、とっさに謝罪すると目を丸くしていたドラウトが笑みを深めた。


「そこまで考えてくれているなんて嬉しいよ。正直、気候変動に伴うこちら側のリスクを懸念していた。貴重な聖女様だからという理由ではなく、聡明なティアナ嬢を追い出すような真似はしない」

「……はいっ! ありがとうございます!」


 噂では冷酷非情な王族だと聞いて恐怖していたが、助け出された時に思った通り、思いやりのある良い人だ。


「ドラウト様はお優しい方ですね。わたし、一生懸命がんばりますっ!」


 今の素直な気持ちを伝えただけなのに、ドラウトは片手で目元を隠すような仕草をして俯いた。

 しっかりとドラウトの耳まで赤くなっているのだが、ティアナは元来の弱視によって見落としていた。


「少し待ってくれ」


 深く呼吸するドラウトに言われた通りティアナが黙っていると、ブツブツと小声が聞こえてきた。


「歴代の聖女とは皆こうなのか。いくら何でも純粋すぎる」


 何を言っているのか意味がわからない。そんな風に小首を傾げたティアナは姿勢を正したままだ。


 ドラウトは何度目かの深呼吸を終え、ようやく顔をあげると決意に満ちた硬い表情で静かに語った。


「我が国に追放されてくる聖女がどんな女性であったとしても割り切って接するつもりだった。その力を利用するためなら何度でも欺くつもりだった」

「はぁ……」

「だが、考えを改めようと思う。もっと違う形でティアナ嬢と触れ合ってもよいだろうか?」


 貴族や王族はいちいち難しい言い回しをするから心が読み取れない。

 平民のティアナにとって苦手な分野の一つだ。


 しかし、何度も聞き返すわけにはいかず、とりあえず頷くことにしたらドラウトは笑顔を綻ばせ、耳を疑うことを口走った。


「ありがとう。この世界で一番の尊い方と婚姻関係を持てることは何ものにも代えがたい喜びだ。命を引き換えにしても守り抜き、灼熱砂漠の熱さにも負けないほど愛を抱こう」



 ん??

 今、なんて言いました? 婚姻関係? 


 それって夫婦になるってこと⁉︎

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