第6話 雨女、悪しき風習を終わらせる

 あまりにも寝苦しくて寝返りを打つ度に砂時計をひっくり返したティアナの目の下にはくまができていた。


 鏡に映った初めて見るくまに一種の感動を覚えながら起床すると窓の外からはむわっとした生温かい風が吹き込んだ。


「そっか。シエナ王国じゃないんだ。ちょっと朝風とは思えないかな」


 窓を閉じれば室内に熱気がこもる。かと言って窓を開ければ熱風が部屋の中を吹き抜ける。

 八方塞がりのティアナが砂時計に手を掛けようとした時、ノックの音が聞こえた。


「は、はいっ」

「失礼いたします」


 機敏な動きで入室した二人のメイドがてきぱきと着替え、ヘアセットを終わらせていく。

 鏡に映る自分が変わっていく様子をまじまじと見つめていたティアナの口からは何度も感嘆の声がもれた。


「あの、ミラジーンはどこですか? 昨日はあの人がお世話してくれたんですけど」

「ミラジーン様は別室でお支度中です」

「そう、ですか」


 そういえば、本日限りと言っていたことを思い出す。


 身の回りのことは全部一人で出来るのに手伝ってもらうのは気が引けるような、自分の思い通りにならなくてもどかしいような。

 その点、昨日のミラジーンはティアナの気持ちを汲んでくれていた。


(今日もミラジーンが良かったな) 


 贅沢を言ってはいけないことは重々承知しているが、そう思わずにはいられない。

 たったの一時間しか関わっていないが、ミラジーンの言葉遣いや気遣いを肌で感じた身としては他の人では物足りなく感じてしまう。


「終わりました。目を開けてください」


 ゆっくりとまぶたを開ける。

 化粧台の前に座っているティアナは、純白の聖職者のような服装に身を包み、きつめのメイクを施されていた。

 淡いブルーの髪は一つにまとめて三つ編みにされて肩の上に垂れている。


「やってもらってケチをつけるわけではないけど、ちょっとメイクが濃くありませんか?」

「仕方がありません。こうでもしないと立派なくまを隠せませんので」


 トゲのある言い方にむっとしたティアナの目が一層細くなる。


「ひっ!?」

「こ、こら! も、申し訳ありません」

「申し訳ありません! 聖女様!!」

「あ、ちがっ。ごめんなさい。違うんです。決して怒ったわけではなくて!」


 怯えながら額が床につく勢いで謝罪するメイド二人を強引に立たせたティアナは、レインハート王国での自分の立場を再確認するように深呼吸した。


「余計な気を遣わせてしまってごめんなさい。えっと、この服について聞いてもいいですか?」

「も、勿論でございます。今日は雨乞いの儀なので聖女様には天の使いとしての装いを、とドラウト様より仰せつかっております」 


 寝起き顔のまま身支度を進められたティアナは、今日が雨乞いのために生贄を差し出す日であることを思い出し、部屋を飛び出さんとする勢いで扉へと向かった。

 しかし、ティアナがドアノブに触れるよりも早く扉が開いた。


「おっと。そんなに急いでどこへ行く?」

「……ドラウト様」

「僕の見込んだ通り、きみには白い服がよく似合う」

「これから雨乞いの儀式なんですよね? せっかく着せて貰いましたがこんな服――」


 パチンっと指が鳴り終わる頃にはティアナは祭壇の前にいた。転移魔法だ。


 小さな祭壇の奥からは不安感をかき立てる風の音が聞こえる。

 唾を飲み込み、階段を昇って顔を覗かせる。まるで鯨が口を開けているような巨大な穴があった。


「ここはどこ!?」

「かつてはレインハート王国の生命線だった場所だが、今ではただの枯れた湖だ。ここに生贄を捧げることで雨が降る。ほら、今もすでに小雨が降り始めた」

「違います! それはわたしの力です!」


 ティアナが一歩でも外へ出れば雨が降ることはシエナ王国では常識だった。

 だがこの国では違う。それを証明できなければ、生贄不要論を立証できない。


「ドラウト様は王族なのでしょう!? 皆さんにわたしが居れば生贄は不要だと説明できませんか!?」

 

 ティアナが懇願してもドラウトは首を振るばかりで話し合いにすらならない。

 次第に人が集まり、いよいよ儀式の準備が整った。


 ティアナの心が揺れる度に雨足が強くなる。

 領民は歓喜の声を上げ、今回の生贄が枯れた湖の底に落ちるのを今か今かと待ちわびているようだった。

 そんな異様な光景の中、視界の端に映った女性の姿にティアナは絶句した。


「どうして……なんで……!? ミラジーンが生贄だなんて――」

「ティアナ様」


 昨日のような凛とした姿ではなく、白装束に身を包むミラジーンは柔らかく笑った。その笑みは諦めたように、あるいはどこか誇らしげだった。


「どういうことですか!? どうしてミラジーンが生贄なんですか! ドラウト様の侍女じゃないんですか!?」

「年齢的にも、魔力量的にも生贄にぴったりなんだ」

「生贄にぴったり? 魔力?」


 ティアナの動揺に呼応するように雨が弱くなり、絶望した領民たちはミラジーンを早く湖に捧げるように催促を始めた。


「ドラウト様はこの催事を撤廃させると言いましたよね! それを今やらないでいつやるのですか!!」


 ティアナの叫びで雨が強くなり、視界が霞む。

 ただでさえ視力の悪いティアナはドラウトがどのような顔をしているのか見えなかった。だから、声色で彼の心根を推し量るしかない。


「言われなくても分かっている。だけど、僕には……」

 

 その悲しそうな悔しそうな表情にティアナの母性が刺激された。


「ドラウト様の邪魔をする人は誰ですか! わたし、その人のことを許しません! こんな悪趣味なことを続けるなら、こんな国――」


 ティアナの怒りに応えるように黒雲はレインハート王国全土を覆い尽くし、ゴロゴロと不穏な音が鳴り始める。


「水浸しにしちゃうんですからね!!」


 そして、ピカッと光るや否や、雷鳴が轟き、落雷が祭壇近くの木を焼いた。

 顔を殴りつけるような豪雨は全てを押し流すほど凄まじく降り注ぐ。


「ティ、ティアナ様。これは本当にあなた様がやっているのですか!?」


 驚愕するミラジーンの背後では領民が思い思いの言葉を口にしていた。


「あの娘はいったい何者なんだ!?」

「災害級の魔物が人に化けたのか!?」

「天候を操る力……まさか聖女!?」

「シエナ王国の聖女様がどうしてレインハート王国に!?」


 振り向いたティアナはドラウトを見上げ、目を細めながら手を伸ばす。


「雨天中止です。よろしいですね?」


 そして彼の頬に触れた。

 これまで軟禁されていた少女の平手など簡単にかわせるだろう。しかし、ドラウトはそれを受け入れ、そのままティアナの手を掴んだ。


「僕は不甲斐ない男だ。きみが僕の目を覚ましてくれた。こんな馬鹿な風習は終わりにしよう」


 さっきまでの悲哀に満ちた表情は消え去っている。ドラウトのあまりにも下手な棒読みにティアナは目をしばたたかせた。

 ティアナの手がより一層冷たくなっていくが、ドラウトはその手をきつく握り、決して離そうとはしなかった。


 そして、集まっている多くの領民――特に老人へ向けて言葉を発した。


「この女性ヒトはシエナ王国よりお越しの聖女である。この度、我らのレインハート王国を救うためにその力を貸していただくことになった。この雨を恵みの雨として、悪しき風習を終わらせる。異論がある者は歩み出よ! 第105代国王、ドラウト・レインハートが聞くぞ!」


 さぁーっと血の気が引くのが分かった。


(ドラウト様って王様なの!? ただの王族じゃなくて!? わたし、王様の頬をペチンしちゃったってこと!?)


 頭を抱えてしゃがみ込む聖女のことなど気に留めずに領民は歓喜の雄叫びを上げ、生贄の役目を回避したミラジーンは安堵からへたり込んで密かに涙を流した。


 そしてドラウトは不敵に笑った。

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