第5話 雨女、始めて魔法具を使う
正式にドラウトの客人となったティアナはいきなり浴場へと連れて行かれた。
貴重な水を自分のために使わせてしまうことへの罪悪感に苛まれながらも言われた通りに従う。
メイドたちに服を脱がされ、野良猫の如く全身をくまなく洗い流された。
浴場といっても沸かしたお湯をかけ流しているだけで、ティアナの知っているシャワーとは雲泥の差だったが体は温まった。
むしろ、外の気温も相まって暑すぎるくらいだ。
母国であるシエナ王国ではシャワーは当たり前だったが、虐げられてきたティアナが毎日浴びられるわけではなく、サラサラ過ぎる髪が落ち着かない。
与えられた洋服に着替え、ドラウトが呼び寄せた侍女についていくティアナはこれから私室となる部屋へと案内された。
「申し遅れました。わたくし、ミラジーンと申します。本日限りではありますが、ティアナ様のお世話係を務めさせていただきます。何なりとお申し付けください」
褐色の肌とツリ目が魅惑的な女性というのが第一印象だった。
ミラジーンが灯りを点けたことで部屋がどれほどの広さなのかを知り、思わず声を上げてしまった。
「ここがお部屋ですか⁉︎」
「はい。お気に召しませんか?」
「とんでもない! わたし、物置部屋でしか寝たことがないので驚きました。あ、ミラジーンさん、あれがベッド⁉︎」
興奮して指をさすティアナにミラジーンは呆れとも哀れみとも取れる反応を示した。
「さようでございます。あちらのベッドをお使いください。ただ、湯浴みは何度もできませんのでご容赦ください」
心情はどうあれ、頭を下げるミラジーンに手をぶんぶん振る。
「ぜんっぜん平気です! わたしこそ、貴重な水を使ってしまってごめんなさい。あの、ドラウト様も湯浴みはされたのですか?」
一瞬、眉を細かく動かしたミラジーン。しかし、ティアナはそれに気づかなかった。
「はい。ティアナ様とは別室にて。滅多に水もお湯も使いたがられないのですが、今日はティアナ様がいらしたので素直に入られました」
それであの美貌はずるい。
密かに嫉妬するティアナは小さく唇を結んだ。
「ティアナ様、わたくしには敬称も敬語も不要です。ミラジーンとお呼びください」
「ほんと? それなら嬉しい。わたし、こっちの言葉の敬語が苦手で」
「えぇ。我ら一同そのようにお見受けしております。ドラウト様とは母国語で話されていたようですね」
ミラジーンの言う通り、ドラウトはティアナがレインハート語が堪能ではないと察し、シエナ王国の言語で会話していた。
ティアナがレインハート語を知っていたとしても使い慣れていないことは既に周知の事実である。
「ドラウト様より快適にお休みいただくように、と仰せつかっていますので、こちらの魔法具をお使いください」
手渡されたのは砂時計だった。
シエナ王国ではオイル時計が主流で、初めて見る砂の入った時計を食い入るように覗き込む。
「使い方はご存知ですか?」
時計の使い方は知っているが、魔法も魔法具も一般的ではないシエナ王国とは勝手が違うのだろう、と首を横に振る。
「反対に置き直してください。中の砂が落ちきるまでは閉じ込められた冷却魔法が発動します」
「砂が全て落ちたら反対に置き直せばいいの?」
「さようです。ただし、砂は3分で落ちきります。その間に寝てください」
「分かったわ。早寝早起きは得意なのっ」
たった3分しか効果を発揮できない魔法具を持ってきたのは意地悪したいわけではない。
突然の来客に対応できるものがコレしかなく、申し訳ない気持ちと少しでも快適に過ごして欲しいという気持ちが入り混じっていたミラジーンにとって、ティアナの笑顔は救いのあるものだった。
「これが魔法具か。本では読んだけど本物は初めて見た」
シエナ王国出身で魔法の適性を持たないティアナには魔力を感知する才能がない。
ただの人間にはただの砂時計にしか見えない代物だが、ティアナはミラジーンを疑うことはなかった。
「早速、使ってみるね」
砂時計をひっくり返す。すぐに細かいさらさらの砂が落ちた。
途端、砂時計を中心にひんやりとした冷気が出てきて室内を巡る。
さっきまで蒸し風呂状態だった部屋はすぐに快適な温度まで下げられ、風呂上がりの火照った体を冷ましてくれた。
「すごい! レインハート王国にはこんなに便利な物があるのね!」
子供のように興奮するティアナは落ち続ける砂をじっと見つめてから質問した。
「ドラウト様やミラジーンも部屋で魔法具を使っているの?」
「いいえ。我々は慣れていますので。これは客人用です。本来であればもっと大きな物をご用意するのですが、あまりにも突然の来訪で粗末な物しかありませんでした。明日には準備が整いますので今夜だけご容赦ください」
心ばかりの嫌味を含む謝罪。
ミラジーンはドラウトより「この娘がシエナ王国の聖女だから屋敷で出来る最大限のもてなしをするように」と指示されているが、遊びに来ているようなティアナの態度が気に入らなかった。
それにこの娘とは今日限りの関係だから、と私情が入る隙を作ってしまっていた。
(ここが誰のお屋敷なのか理解した上で振る舞っているのか?)
そんな黒い感情を隠して謝罪するミラジーンに、ティアナはかぶりをふって彼女の手を握った。
「わざわざありがとう。熱帯夜だって聞いていたから不安だったの。ミラジーンのおかげで安心して眠れそう」
「……随分と冷たい手なのですね」
「子供の頃からずっとなの。嫌だった?」
「いえ。とても気持ちいいです」
感じたことのない心地よさに堪らずティアナの手を握り返してしまった。
「そうだ。綺麗なお顔なのにドラウト様の肌が荒れているのはずっと前から? 水分もあまりとらないの?」
天真爛漫な雰囲気から一変したティアナにミラジーンは目を丸くした。
今のティアナはさっきまでベッドや砂時計を見て興奮していた時とは別人のようだ。何より、細めた鋭い視線が怖かった。
「は、はい。その通りです」
ふぅん。とつぶやき、あごに手を当てるティアナからは先程までの無邪気さは感じられない。賢者と対談しているような緊張感がミラジーンの肩に重くのしかかった。
何もかもを見透かすような視線に背筋が凍りそうになる。魔法具のおかげで涼しいはずなのに背中からは嫌な汗が流れた。
「やっぱり水分が少ないのよね。この夜もなんとかしたいな。夜はお腹を出して寝るの?」
「なっ⁉︎ わたくしもそこまでは……」
「ドラウト様じゃなくて、ミラジーンのこと」
「へっ⁉︎」
まさか自分のことを聞かれているとは思っておらず、信じられないくらい狼狽した。初対面の女性にセンシティブな質問をぶつけるとはなんて不躾な娘だ、と憤る反面、図星を突かれていることに変わりはなかった。
ミラジーンは認めない。
ただ顔は真っ赤で、より一層ティアナの手が冷たく感じた。
「ミラジーンが寝苦しくありませんように」
「どうして、わたくしの様な者のために祈るのですか?」
「突然やってきたわたしを助けてくれたドラウト様や優しく案内してくれたミラジーンにちょっぴり良いことが起こって欲しいだけ。わたしがちゃんとした聖女だったら、これからずっと過ごしやすい気候にできるんだけどね」
「そうですか。……今日はもうお休みください」
そっとティアナの手を離したミラジーンが整えられたベッドに視線を向ける。
ティアナは我慢できないというようにベッドに飛び込み、緊張の糸が切れたのか、ふかふかなベッドを堪能しながら眠りについた。
一礼したミラジーンは言いようのない恐怖心を隠すように、そしてこの時間がもう少しだけ続いて欲しいと願いながら部屋をあとにするのだった。
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