第4話 雨女、宣言する

 空になったコップを取り上げたドラウトがガラス製の水差しを傾け、おかわりを注いでくれた。


 まだ事態を飲み込めていないティアナはベッドに腰掛けるように促され、コップを手渡される。

 まだ喉の乾きが満たされていないから無心でコップを受け取って、二杯目を飲み干す。すーっと頭の熱が冷めていき思考が巡り始めた。


「ここがレインハート王国なら水は貴重なんじゃないですか!?」


 勢いよく振り向くときょとんとしたドラウトが吹き出し、顔を背けてくつくつと笑い出した。


「その通り。この水はシエナ王国から援助してもらっているものだ」

「……どおりで。同じ味だと思った」

「分かるのか?」

「はい。雑味がなくて、柔らかい舌触りなのです」


 半分ほどまで減ってしまった水差しを見つめていると、もう一杯? と言うようにドラウトが目配せした。

 ふるふると首を振り、コップをナイトテーブルの上へ置いたティアナは姿勢を正し、深く腰を折る。


「大変失礼しました。シエナ王国から参りました、ティアナです。一応、聖女です」

「この水は君が?」

「いいえ、これは第一聖女マシュリ様のお水です。赤ちゃんでも飲めるようにって試行錯誤されたそうですよ」

「ほう」


 何か含みのある相槌を打ったドラウトを盗み見てみる。

 だが、それはあまりにもあからさますぎた。


「そんなに見られると緊張してしまうな」

「へ⁉︎ あ、つい! すみません」


 幼い頃からの癖で眉間にしわを寄せなければ文字はおろか人の顔すらまとも見えない。

 目つきが悪いとか、睨むなとか、ケラ大聖堂では散々な言われようだったが、ティアナは何度も謝罪しながら人の顔と名前を覚えてきた。


 その癖を王族相手にやってしまったのだ。

 恩人の顔をひと目見ようと目を凝らした結果、困ったドラウトにたしなめられた。


(またやっちゃった)


 ふむ、と小さく唸り、納得したように手を打ったドラウトが距離を詰める。


「こうすれば見えるか?」


 ベッドが軋む。

 心地のよい低い声。ひと目見れば、目を離せなくなるほどの美貌。そして太陽のように力強いオレンジ色の瞳。

 美青年の顔が目と鼻の先にあった。


「綺麗……まるで宝石みたい」


 睨むように細められたティアナの瞳とドラウトのオレンジ色の瞳が交わる。


「きみの瞳は晴れ渡るレインハート王国の青空のようだ。天からの使者と言われても誰も疑わない」


 惚けていたのは一瞬だけで初めての出来事に、ベッドに乗り上げて逃げるように腰を浮かす。


「初めて会ったばかりの女性に対する距離感ではなかったな。謝罪する」

「違うんです。目を褒められたのが初めてで」


 クリクリの大きな瞳だった母と違ってティアナは目が細い。正しくは目を細めなければ人の顔のパーツが見えないし、文字も読めない。

 生まれついての弱視であるティアナの目を覗き込むような真似をしたのはドラウトが初めてだった。


「わたしは偽物の聖女としてシエナ王国を追い出されたんです。違う場所で頑張ろうって思ってたんですけど。これからどうすればいいのか」

「偽物……か。それでも価値があるから無法者に襲われて、こうして僕に攫われているのだよ」


 断りを入れたドラウトの手がティアナに伸びる。

 びくっと体を震わせるだけで動けなくなってしまったティアナの薄水色の髪はドラウトの指先を流れて腰に落ちた。


「きみからは魔力を感じない。だけど、不思議な力の流動を感じる。間違いなく、ただの人ではない」

「でも!」

「僕はきみが馬車から降りた瞬間に雨が降り始めるのを見た。きみが恐怖し、強く拒絶すれば雨足は強くなり、自分を守っているようにも見えた。誰がなんと言おうと僕は自分の目で見たものとその曇りのない瞳だけを信じる」


 頬が熱を帯びるのが分かった。

 それと同時に心の中まで熱くなる。


 これまでの人生で一度たりとも褒められたり、認められたりしてこなかったのだから、耐性がなくて当然だ。

 しかも、髪にまで触れられれば意識しないはずがない。


 ドラウトはナイトテーブルの上にあるもう一つのコップに注いだ水を一気に煽った。


「僕はこの水が嫌いだ。人工的な味で何の感動も覚えない。心に響いてこない。シエナ王国にはそれなりに感謝しているが、もっと美味い水が飲みたいというのが僕の心からの叫びだ。誰にも言えないけどね」


 言ってますよ。

 そんな指摘をするわけにもいかず、ティアナは困ったように唇をへの字にした。


 ここは渇水被害が甚大な日照りの国。

 簡単に水が手に入らないからこその拘りだろうか。


「その願いを叶えられるとよいのですが」

「もう叶ったさ。きみの降らせる雨は美味しかった」

「の、飲んだの!?」


 素っ頓狂な声を上げるティアナを真正面から捉え、大真面目な顔でドラウトは告げる。


「躊躇なく飲ませてもらった。まるで打ち上げられた魚のように口をパクパクさせて――。叶うならもう一度、いいや、ずっと飲んでいたい」

「そ、それは……あまりにも、お体に悪いのでは――」

「もうきみの水なしでは生きていけない体になってしまった。責任の所在はきみにある」

「わたしのせいで……?」

「僕は聖女様を他国に渡すつもりはない。時間はたっぷりある。どれだけの時が経とうとも気にせずにゆっくりと聖女の力を試すといい。これまで全力を出したことはないのだろう?」


 図星に肩が震える。


 指摘通り、外出すれば大雨を降らせてしまうティアナは大聖堂に軟禁されて以来、本気で聖女の力を使ったことはない。

 だから適度に雨を降らせ、山々と都市に水を循環させるマシュリのように国のために働いたこともなかった。


「あの……わたしが生贄にされるようなことは、あるのでしょうか……?」

「あぁ――」


 寂しげに視線を彷徨わせたドラウトは憂うように微笑んだ。


「あれは祖父の代までの習慣だ。今でもお年寄りたちは生贄を出せとうるさいけどね。僕が王になったからには完全に撤廃させる」

「では、今ではやってないのですね! よかった」

「いや、明日の昼頃にとある女性を枯れた湖に落とす予定だ。彼女を最後の犠牲者にしたい」


 呆然とするティアナは握りしめた拳を見せつけるように立ち上がる。

 そして、叫んだ。


「絶対に助けます! そんな風習はいけません‼︎」

「なぜきみが? 縁もゆかりもない国の催事に関わるのか?」

「偽物でも聖女だからです! あなたが、わたしには価値があると言いました。わたしなら雨を降らせることができます。あなたの体をダメにした雨ですよ! 生贄なんかより、わたしを頼りにしてください!」


 ふっと笑うドラウトの横顔は刃物のように鋭く、言い終えてから少しだけ後悔した。

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