第64話 ドラウト、古文書を読む

「さっさと邪魔な虫どもを追い払え!」


 場所は大陸の西部。グリンロッド王国とクラフテッド王国の国境付近である。


 野営用の天幕の中にはドラウトの怒声が響いていた。


 愛する妻がさらわれ、冷静を欠いたドラウトは怒りのままにクラフテッド王国へ転移し、単騎でグリンロッド王国へ乗り込もうとしたが、国境警備を任されているグリムベルデ家の女傑たちによって足止めされた。


 なぜドラウトがグリンロッド王国へ転移しないのか。

 理由は二つ。


 一つは外交的な問題だ。

 相手国の許可なしに転移すれば、侵略行為と受け取られ、敵対行動を取られても文句を言えない。過去にはそういった例があったと語り継がれている。


 囚われているのがレインハート王国の王妃であれば、正式な手順を踏んで返してもらえば良いのだが、ティアナはこの世で最も尊いとされる聖女でもある。


 先に手を出したのは向こうだが、これがグリンロッド王国の仕業ではなかった場合、非常に厄介な事件になる。

 乗り込んだレインハート王国に非があれば、どんな交渉を持ちかけてくるか、あるいは聖女ティアナをどう使うか分かったものではない。


 もう一つの問題は、そもそも転移魔法を発動できないということだ。

 ドラウトの魔力は十分で王家の呪いもティアナによって緩和されている。


 しかし、グリンロッド王国に張り巡らされた高度魔法抵抗結界によって、外側からの干渉を受けないようにされていた。


 打つ手がなくなったドラウトはリラーゾたちが到着するまでの間、地団駄を踏まされることになった。


「全権をルクシエラ公に譲渡しました」

「すまん。自国のまつりごとないがしろにはしたくないが、ティアナのことになるとダメだ。いてもたってもいられなくなってしまう」


 情けない顔を隠すようにとめどない冷や汗を拭くドラウトの姿に、腹心のリラーゾも心を痛めた。


 たった一人の女性がドラウトをここまで変えたのだ。


 それほどまでに恋とは恐ろしく、愛とは重々しいのだと痛感させられる。

 自分も愛する人が奪われたのならこうなってしまうのかとおののいた。


「これを。ルクシエラ様からのドラウト様へとお預かりしました」


 取り出した古びた筒をドラウトへ渡す。


 藁にも縋る気持ちで色褪せた筒を開けようとしたドラウトだが、あまりにも固くて両手に力を込めた。


 パキッと嫌な音が鳴る。


 開封のためには致し方ない。ドラウトが力の限り回すと筒に亀裂がはしり、そのまま壊れてしまった。


 中から出てきたのは日常的に使用される羊皮紙でなく竜皮紙だった。


 ドラゴンの皮は長期保存には向くが、インクが滲まないから別の方法で文字を書く必要がある。


 しかし、そこには何も書かれていなかった。


「ただの皮ですか?」

「……………………」


 しばらく無言で竜皮紙を見ていたドラウトは何かに気づき、手に魔力を込めた。


 すると、細かい文字が浮かび上がり、更にドラウトが魔力を込めると不規則に並べられた文字が移動を始めた。


「読めない字ですね。魔導書の一種ですか?」

「いや。そうか、これのために……」


 そこに羅列しているのはドラウト以外には読めない文字だ。

 正しくはレインハート王家の血を継ぐ者にだけ教える文字で、現在では最後の生き残りであるドラウトしか読むことができない。


「父上め。僕を泣かせながら読み書きさせ続けたのは、コレのためか」


 それはレインハート王族が代々守り、後世に残してきた秘蔵の竜皮紙だった。


 先代のレインハート王が死の間際にルクシエラに託しておいた物がやっと本来の持ち主の手に渡ったのだ。



* * *


 グリンロッド王国に属するグリルベルデ家とは聖女信仰主義の女性系王族の総称である。


 人々からは鳥神ザクスに選ばれなかった王族と呼ばれ、国家反逆行為を何度も繰り返しては王権奪取を目論む一族だ。


 なぜ彼女たちが聖女信仰主義になってしまったのか明かそう。


 歴史を紐解くと、かつての聖女の施しによる影響が大きいことが分かる。


 かつて歴代の聖女の中でも一際、治癒能力に長けた聖女がいた。


 聖女は戦禍の中で重症を負ったグリルベルデの女戦士を死の淵からすくい上げた。


 当時、強力な魔法使いでも救えなかったのに奇跡を目の前で見せられて、聖女を手放したくない、と考えるのは至極当然のことだった。


 それ以降もグリンロッド王国の天災を鎮めるためにやってきた聖女を軟禁して、『彼女は我が国への亡命を希望している』と声明を上げた例があった。


 こうした過去の教訓から、シエナ王国は聖女を他国へ派遣する場合、尋常ではない数の護衛をつけるようになった。


 もちろん、他の三国もグリンロッド王国へ苦言を呈したが、温厚なグリンロッド王家は揉め事を避けて問題解決を先延ばしにしてグリムベルデ家の悪事がなくなることはなかった。


 やがてシエナ王国は自国から聖女を出さないと取り決めた、と各国の王へ使いを出した。


 我々、レインハート王国も異論は唱えなかった。

 何よりも優先されるのは尊い存在である聖女の安全だからだ。


 各国の天災は守神に頼る選択をしたのだが、その頃から龍神リーヴィラ様は意気沮喪いきそそうとされ、やがて王国の生命線である川をその身で塞がれた。


 愚かな人間に対する罰なのだ。


 リーヴィラ様を責めてはならない。


 諸悪の根源はグリムベルデ家の身勝手な行動だ。

 そして、彼女らを放置したグリンロッド王と、強く出られなかった我ら各国の王こそが元凶だ。


 こんな未来しか与えられないことを許してくれ。


 この書状を読んでいる、次代のレインハート王よ。

 聖女が訪れる日が来ているのなら、グリムベルデの魔の手が伸びる前にシエナ王国に帰すのだ。


 精霊殿こそが彼女たちの家だ。


* * *



「なんだこれは……」


 ご先祖様からのメッセージを黙読したドラウトは竜皮紙を強く握り締めた。


 それでも丈夫な竜の皮はびくともしない。


 王族だけの極秘文字を読むことができないリーヴィラとリラーゾが何度も急かしてくるが、ドラウトは内容を伝えようとはしなかった。


「グリムベルデを滅ぼす。何としても関所をこじ開けるぞ。ナタリアとミラジーンを呼べ」


 まさかの召集命令にリラーゾが目をむく。


「どうしてナタリアなのですか⁉︎」

「何をムキになっている。彼女が適任だと判断したから作戦を伝えるだけだ」

「ナタリアはティアナ様の侍女です。武の心得があったとしても敵地に送り込むというのは横暴です!」

「……どうした、リラーゾ。らしくないぞ」

「っ! 分かりました。二人を呼びます」


 ドラウトの召喚命令に驚いたリラーゾとは違い、ナタリアとミラジーンに戸惑いはなかった。


「貴様はティアナの希望で召し抱えたのだったな」

「はい。その通りです」

「事情は聞いている」


 命令に応じたナタリアの翡翠色の瞳には一種の覚悟が宿っていた。


「ナビラ王国側からグリンロッド王国の関所を越えられるか?」

「陛下の仰せのままに」

「目標はティアナの安否の確認および奪還だ。危険と判断すれば速やかに撤退しろ」

「承服しかねます。私の事情を知った上でお側に置いてくださっているティアナ様のためなら、この命は惜しくありません。必ず、ティアナ様の元に辿り着きます」

「わたくしもナタリアと同じ気持ちです。専属騎士として、あのお方をお守りできなかったのはわたくしの未熟さゆえです」


 ドラウトはそうか、とだけ短く答えただけだったが、腑に落ちないリラーゾが声を上げた。


「本当にできるのですか? ナタリアはミラジーンのように騎士ではないのですよ」

「騎士ではありませんが侍女であることに変わりありません。お側にいることが務めです」


 普段から物静かなナタリアの初めて見るしたたかな姿にリラーゾも引き下がるしかなかった。


(僕が甘かった。全てはシエナ王国の身勝手な行いだと決めつけ、他の可能性を疑わなかった。もっと頭を働かせておけば、ティアナを奪われることもなかったのに)


 聖女がレインハート王国を訪れなくなったのはシエナ王国が自国の益だけを優先した結果だと考察したリーヴィラの言葉を鵜呑みにした結果がこれだ。


 自分に嫌気が差していたドラウトの中では、守神リーヴィラさえも知らない、ご先祖様からメッセージを受け取ったことで方針が固まった。


 拳を握り締め、心の中で何度もティアナの名前を呼び、薄く目を開く。



「神だろうが、王家だろうが関係ない。洒落にならないほどの被害を与えてやろうではないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る