第65話 聖女、他国の子供たちと戯れる
今日はご挨拶のみで失礼いたします、と丁寧に腰を折ったシュナマリカ・グリムベルデは後宮の庭から去って行った。
後宮の警備が行き届いていないのではない。
彼女は影の中に消えたのだ。
ドラウトの血統魔法である転移魔法と違い、影から影へ移動するだけの魔法だ。
しかし、魔法適正を持たないティアナから見れば、同様に常軌を逸する移動手段だった。
「あなたたち二人は彼女の手下なの?」
びくっと肩を震わせた二人の侍女が戸惑いながらもぎこちなく頷く。
「何か事情があって?」
「……どうする?」
「聖女様だよ、力になってくれるかも」
優しく問いかけると彼女たちはヒソヒソと小声で相談を始め、やがてしっかり頷いた。
「私たちはグリムベルデ家を支持する家の娘ではありません。協力すれば給金をいただけるとのことで、シュナマリカ様の指示でこちらの後宮にお仕えしています」
安請け合いをしている雰囲気ではない。語ることも阻まれる事情があって金を必要としているのは見てとれた。
だから、ティアナはそれ以上のことは聞かずにお散歩と王都の案内を願い出た。
「よ、よろしいのですか⁉︎ 私たちはグリムベルデの手先のようなものですよ⁉︎」
「そうです! もっとご自分を大切になさってください」
言動が一致しないあたり根っからの悪人というわけではないらしい。
優しいからこそ、シュナマリカのような人に利用されているのだろう。
「あなたたちがわたしに危害を加えるわけではないでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
「なら問題はないわ。何か羽織るものはあるかしら」
フェニーチェにも「ちょっとそこまで」とだけ告げて王都の町へ向かう。
今のティアナの服装におしゃれという概念はない。
野暮ったい厚手のロングコートで隠しているが、その下はワンピースにズボンという奇抜なファッションをしている。
靴も濡れないように工夫された重くて頑丈な仕様だ。
マフラー、手袋と完全防寒姿のティアナを見て、「聖女様だ!」と近づいてくる人がいるかどうかというレベルまで厚着していた。
シエナ王国では誰のお下がりかも分からない布の切れ端のような服を着ていたこともある。
レインハート王国では上等な服を用意してくれたけれど、どれも暑さを凌ぐために通気性の良いものだった。
ティアナは人生で初めて厚着というものをして内心ワクワクしていた。
「なぜ、そんなにも楽しそうなのですか? 敵国で、しかもこんなに雪が降っているのに」
ティアナは足を雪に取られないように気をつけながら進む。
「だって、雪なんて初めて見たんだもの。この寒さも慣れれば、どうってことないわ」
レインハート王国から一人だけ連れて来れた精霊はまだ震えているが、ティアナ自身は平気だった。
精霊を懐に入れてあげていると遠くの方で子供たちが氷の上で遊んでいる姿が見えた。
「あれは?」
「スケートですね。靴の底に薄い魔力をまとわせて氷の上を滑る遊びです。幼い子にとっては魔力操作の練習にはちょうど良いんです」
「へぇ!」
わたしもやってみたい! と言いそうになった口を
ティアナが魔法を使えないことを察してか二人の侍女も何も言わなかった。
「一緒に滑る?」
ふと、声のする方へ視線を下げると幼い少女がティアナを見上げていた。
「滑りたいけど、わたしは魔力がないから難しいの。みんなが楽しそうにしているのを見せてもらってもいい?」
「平気だよ」
そう言うと少女はティアナの手を取って分厚い氷の上まで案内した。
雪も初めてなら氷も初めて見るティアナが氷の上に立っていられるはずもなく、生まれたての子鹿のように足を震わせている。
しかし、集まってきた子供たちがティアナを支えてくれているから転けることはなかった。
「これでどう?」
少女が軽く指を振るとティアナの厚底靴が少しだけ浮き上がり、ついさっきよりも更にバランスの取りにくい状態になった。
「お姉さんの靴にも魔法を施したの」
腰が引けているティアナを子供たちが引っ張り、ぎこちないながらも氷の上を滑る。
自由自在とまではいかないが、スケートの楽しさを知ったティアナは「いつかドラウト様ともやってみよう」と考えていた。
「みんな、ありがとう。お礼をさせてね」
お礼にティアナは聖女の祈りを子供たちに捧げた。
病気になった時の症状を軽減できるというもので今すぐに何か恩恵を感じられるものではない為、子供たちは怪訝顔でティアナを見上げていた。
「お優しいのですね」
「そんなことないよ。本当に優しいならグリンロッド王国に住む全ての子供たちに祈りを捧げているわ」
「子供全員って、いったい何日かかるか……!?」
「レインハート王国とシエナ王国はもう終わっているの。残りの三国の子供たちにもやってあげたいんだけど、なかなか時間が取れなくて」
困ったように眉をひそめる。
実際にティアナはグリンロッド王国に連れてこられ、身動きが取れない状況だ。
この間にも大陸のどこかで聖女を待っている人が居るのではないかと想像してしまった侍女たちはそれ以上は何も言わなかった。
雪を踏みしめながら後宮に戻ると腕を組む小さな王子が仁王立ちしていた。
雰囲気は
拗ねたような、年相応の顔つきの中に大人げなさを含んだような、複雑な表情をしていた。
「待っていろと言った」
まだ声変わりもしていない幼い声だが、重圧感のある言葉に侍女たちが平伏する。
「フェニーチェ殿下ではないですね。ザクス様?」
「グリムベルデには用心しろと言ったのに一人で後宮を出るとはどういう了見か」
「一人ではありません。三人です」
揚げ足を取るつもりなんて毛頭ない。
ティアナはただ事実を述べただけなのに侍女たちは顔を青ざめさせていた。
「……はぁ。これは紛れもなく彼女の生き写しだな」
小さな手で頭を抱えるフェニーチェ(ザクス)をきょとんとした顔で眺める。
「とにかく勝手に出歩くな。この体では出来ることが限られる。子供の体とはなんと難儀なものか」
「ザクス様は最初から成人されていたのですか?」
ひぃぃ、とどこからか悲鳴が聞こえてきたが、ティアナは全く動じない。
後宮に仕える者たちからすれば、
ただ、当代の依代がまだ成人していないフェニーチェだったというだけの話だ。
それなのに、ティアナはあたかもザクスが子供から大人に成長していることを前提にしている。
「そんな昔のことなど覚えていない。権力のないガキは扱いにくいという話だ」
「でも、王子ですよ?」
「お前は聖女のくせに
「ごめんなさい。分かりません」
またしても悲鳴が聞こえた。
ザクスはついにうなだれ、こいつはダメだ、と諦め顔だ。
「だって知らないものは知らないもん。わたしが知っているのは知っていることだけよ」
自分でも何を言っているのかこんがらがってきたが幼少期の事情を語ると、ザクスは嘆き悲しみ、そして先ほどのティアナの意図を理解して謝罪した。
「こいつにはグリムベルデの血が混ざっていないということだ。だから、
「じゃあ、彼らにとってフェニーチェ殿下は邪魔な子ってこと?」
「その通りだ。我が離れれば、こいつはグリムベルデによって殺される。あるいは成人するまで飼い殺され、新たなグリムベルデを生む種にされる。後宮から逃げようにもこの体では魔法制御もままならない」
レインハート王国に届いた手紙には三重の魔法が組み込まれていたが、その全てが発動したことでフェニーチェは力尽き、ザクスを強制的に追い出す結果となっていた。
いかに
「一刻も早く、貴様を天空の城に連れて行きたいのに」
「どこ?」
「この国の天上にそびえる我の城だ。地上にいるから大陸のゴタゴタに巻き込まれる。だったら誰の手も届かない場所に行くのが得策ではないか」
その質問にティアナは即答しなかった。
じっとフェニーチェの瞳の奥にいるザクスを見つめる。そして、静かに一言だけ告げた。
「それって逃げるってことでしょ」
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