第66話 聖女、精霊と言葉を交わす

 あまりにも暴力的すぎる言葉に後宮に仕える使用人数名が気絶した。


 ティアナは微動だにせず、ザクスだけを見続けている。ティアナを含め、全員が怒り出すと思っていた。


「口を慎めよ、小娘が――」


 もしかすると本当の天災が起こるかもしれない。そのきっかけを作っちゃったかも、と言葉を紡いでから気づいたがもう遅い。


「なんで、そんなことを言うんだよぉぉぉ」


 フェニーチェの頬を伝う一筋の光。


 小さな手でとめどなく流れ出る大粒の涙を拭う仕草にティアナの罪悪感と母性が爆発した。


 その後の後宮はてんやわんやだった。

 どれくらいの大騒ぎだったかというと滅多に立ち入ることのない王宮勤めの使用人たちが緊急召集されるほどだ。


 後宮に連れてこられて以来、一度も泣いたことのないフェニーチェが大泣きしたとあって、使用人たちもどう対応すれば良いのか判断できなかった。


 そんな中、ティアナが泣き続けるフェニーチェを抱き締め、頭を撫でてあげた。

 特段、美談ではない。

 フェニーチェを泣かせた本人が謝罪して慰めた、というだけの話だ。


 やがて、泣き疲れて寝てしまったフェニーチェを私室に連れていき、その日の内に起きてくることはなかった。


 専属侍女によるとフェニーチェが熟睡することはないという。

 王国の守神であるザクスと体を共有しているからだと本人は言っているようだが、その割には目の下にクマはなく、体の成長が遅れている様子もなかった。


 自ら後宮での案内役を買って出てくれていたフェニーチェが居なくなり、ティアナは久々に異国の地で独りぼっちになってしまった。


 用意された客間のベッドの上で、壁に背を預けて窓の外から雪を眺める。


 自分を召喚した張本人はすやすや眠っているし、侍女の数名はグリムベルデ家と内通している。

 他の使用人も聖女だからといってティアナを特別扱いしてくれるとは限らない。


「あれ、これってピンチかも……?」


 気づいてしまったが、何か出来るわけでもない。


 かつて日照り国と呼ばれたレインハート王国で暮らしているから寒さに慣れておらず、仮に慣れていたとしても大陸一の極寒を誇るグリンロッド王国を不用意には出歩けない。


 頼みの綱であるドラウトは魔法結界に拒まれて転移魔法を発動できず、口喧嘩を始める神たちは考え方が真逆すぎて頼りにならない。


 要するに八方塞がりだ。


 いくらティアナがポジティブ思考だったとしても不安と恐怖が押し寄せてこないわけではない。


 どうすることもできず、膝を抱えそうになった時、頭の中に声が聞こえた。


『ここはまだマシだよ。血の臭いはしないし、耳障りな汚い祝詞のりとも聞こえないし。あんた、ラッキーだね』

「誰……?」


 見渡しても誰一人としていない。声だけが聞こえていた。


『折角だから話し相手になってあげるって言ってるの』

「あ、ありがとう」

『自分で言うのもなんだけど、聖女って呑気な子が多いのよね』

「あなたも聖女なのね」

『当たり前じゃない。あんたの周りを飛んでる精霊って元は聖女だから』


 気持ちを紛らわせるための雑談相手が出来たと思ったら、とんでもない暴露をされてしまい、ティアナは盛大にむせ込んだ。


「全然、知らなかった」

『でしょうね。あたしだって精霊になってから気づいたし』

「そうなの? どうして精霊になったの?」

『あたしらって死んだら精霊になるみたいだよ。だから数十年後には、あんたも何代か後の聖女を周りをふよふよ浮いてるってわけ』

「へぇ、天の世界に昇るわけじゃないのね」

『あはっ。あんた、天上界のことを信じてるの⁉︎ 信仰心高めね』


 小馬鹿にしたように笑っていた精霊はティアナの周りを飛んで、ナイトテーブルの端に腰掛けた。


 精霊には羽の生えた小人のような姿を持つ子と、ただの光を放つ球体のような子がいる。

 今、話しかけてくれている子は前者だ。


『天の国なんてない。あったとしてもあたしたちは行けない。行けるのは普通の人間だけよ。でも、死んで楽になってるから今は天上界にいるみたいなもんか』


 打って変わって、投げやりな声にティアナの気持ちまで沈みそうになる。


「何かあったの?」

『色々』

「じゃあ、どうしてあの時、わたしの手を掴んでくれたの?」


 あの時とは、ドラウトの執務室でフェニーチェ(ザクス)による召喚魔法が発動した時だ。


 魔法陣に包まれ、ドラウトに手が届かないと諦めかけたティアナの元に飛び込んできてくれた精霊を掴んで一緒にグリンロッド王国に来た。


『仕方ないじゃない。体が勝手に動いてたんだから。今、すっごい後悔してる』

「ありがとう。とても心強いわ」

『あのさ、ザクス様が仰ってたけど、グリムベルデには関わらない方がいいよ。あいつら、聖女様万歳とか言いながら拷問をするようないかれた連中だから』

「そうなの⁉︎」

『実際にやられた本人が言うんだから信じなさいよ』


 思わずティアナは口元を押さえた。


「……どういうこと?」

『グリムベルデの女戦士を治療したことでもてなされてね。目が覚めたら、全裸で張りつけにされて崇められるわ、血を抜かれるわ、無理矢理食べさせられるわ、で最悪の人生を送った』

「……助けは来なかったの?」

『グリンロッドの国境警備はグリムベルデが担っているからね。不都合が生じるような相手は絶対に通さない』


 だから、ドラウト様も手こずっているのね、とティアナ。


『そんな生活が何十年も続いて、あたしはそのまま死んだから何があったのか知らないし、あたしの血を何に使ったのかも知らない。とにかく、クソみたいな人生だったわ。あんたが羨ましいよ』


 ティアナは無言で精霊を両手で包み込み、頬を近づけた。


「嫌な思い出を教えてくれてありがとう。辛かったよね。おかげでわたしのするべきことが見えた」

『分かればいいのよ。防寒をしっかりしてさっさと後宮を出るわよ。リーヴィラ様とアグニル様の力をフル活用して体温維持すれば、なんとかなるはずだから』

「うん。まずはナビラ王国との国境付近に向かって、それからグリムベルデの本拠地に乗り込もう!」

『なんでそうなるのよ⁉︎ 話聞いてた⁉︎ バカなの⁉︎ さっさと逃げなさいって言ってんの!』


 きょとんとしたティアナは手のひらの上で地団駄を踏む精霊にウインクした。


「わたしの恩人に酷いことをしたんだよ。やり返さないと」

『捕まったら最後よ。愛する王様とは二度と会えない。だからやめておきなさい』

「わたしはドラウト様を信じているし、あなたを苦しめた人たちの子孫を許すこともできないわ」


 ティアナに先ほどまでの不安や恐怖感はない。

 敵が見えないからこそ恐ろしいのであって、実態が見えて目的を知ったのなら不必要に恐れる必要はなかった。


『言わなければよかった』

「そんなことないよ。グリンロッド王もグリムベルデへの対応にあぐねているみたいだから、二人で聖女としての一手を打ちましょう!」

『うわぁ……歴代最高峰のお人好しね。どうなっても知らないから』


 翌日、爆睡するフェニーチェを叩き起こしたティアナは行動を開始した。


 ナビラ王国側に向けて外出したいと申し出て、フェニーチェ・グリンロッドが比較的信頼できると思っている騎士を護衛につけてもらった。

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