第67話 聖女、危険に飛び込む

 フェニーチェは最後までティアナを困らせて出発を阻止しようと必死だった。

 しかし、鳥神ザクスが出てきてややこしくなる前に出発したいティアナは申し訳ないと思いつつもフェニーチェをあしらって、東方面(ナビラ王国側)へと出立した。


 吹雪とまではいかないが、強い風に飛ばされないように雪を踏みしめながら歩みを進める。

 王宮から寒冷地仕様となっている馬車まで辿り着くのも一苦労だ。


 この馬車はフェニーチェの侍女と騎士が密かに用意してくれたものだ。


 馬にも車にも魔法が施されているから雪道でも難なく進める。

 車内は暖房完備で、上着を脱がないと暑いくらいだった。


 やっとのことで一息ついたティアナの懐から精霊が顔を出す。

 そして、周囲には聞こえない声が頭の中だけに木霊した。


『どうしてナビラ側に向かうのよ。そんなにシエナ王国に頼りたくないの?』

「正面突破が無理ならきっとナビラ王国側からグリンロッド王国への侵入を試みると思うの。ドラウト様ならそうするわ」

『あたし、男の人と深く関わったことがないから分かんないんだけど、そんなに信用していいものなの?』

「だってドラウト様だよ。信じない理由がないわ」

『全然、答えになってないし』


 元聖女とはいえ、酷い目に逢えば心は荒んでしまう。いつの時代も純粋無垢な聖女を殺すのは悪意のある人間なのだ。


「わたしの侍女のナタリアって知ってるでしょ。彼女はナビラ王国の子なの」

『はぁ⁉︎』


 悲鳴にも似た声に思わず、耳を塞いでしまった。


 車が揺れたことで護衛の騎士に声をかけられてしまい、ティアナは慌てて「なんでもありません」と短く答えた。


『あんたの周り、敵国の人間多くない!?』

「確かにそうだけど、誰もわたしを傷つけようとしないよ」

『馬鹿じゃないの⁉︎ いつか痛い目見るわよ』


 ナタリアとの出会いや侍女になった経緯はともかく、きっとドラウトは彼女ナタリア自分ティアナと接触するように命じているだろう、と踏んでいた。

 だから、ナビラ王国側へと向かうのだ。


『この情報が筒抜けでグリムベルデが待ち伏せしてたらどうするのよ⁉︎』

「グリンロッド王国にいる限り、彼女たちから逃げることはできないわ。あの影の魔法を見たでしょ? その気になればこの馬車の影とか、わたしの影にも潜めると思うの」

『だから行動するってわけ?』

「そうそう。あなたから聞いた貴重な情報をドラウト様に伝えるの。そうすれば、大義名分を得てグリンロッド王国の門をこじ開けることができるわ。中に入ってしまえば、こっちのものよ」


 現在のシエナ王国を支配しているのはドラウトだ。つまり、聖女が所属するケラ大聖堂もドラウトの管理下に置かれていることとなる。


 歴代の聖女を不当に扱い、当代の聖女にも危機が迫っているとなれば、ケラ大聖堂も大手を振って実力行使できる。


 ティアナの行動は、レインハート王妃としての自分ティアナも、聖女としての自分ティアナも同時に守ることが出来る最善の一手を打つための布石となるのだ。


『……あんた、本当に聖女? 物騒すぎない? あぁ、でも今更か。傾国の魔女を葬ったのはあんただったわね』


 確かにマシュリ・ヒートロッドの正体を暴き、晒し上げたのはティアナだ。


 処刑を命じたのがドラウトで、それが妥当だったとしてもティアナの胸の内がすっきりしているわけではない。


「そうね」


 淡々と答え、頭の中が静かになった頃、馬車が急停車した。


「聖女様、ご降車ください」


 あまりにも早過ぎる停車だが、ティアナは戸惑うことなく下車し、雪に埋まる足を見てから正面を向いた。


 眼前には予想通り、シュナマリカ・グリムベルデが雪の上に立っていた。


「申し訳ありません、聖女様。我々にも生活がありますゆえ何卒なにとぞ、ご容赦ください」


 手袋も靴も脱ぎ、雪に沈みながら平伏する騎士たち。

 彼らの手足は真っ赤になっている。それでも平伏の姿勢をやめなかった。


 これがグリンロッド王国における最上の詫びであることを知らないティアナでも普通の礼ではないことは容易に勘づいた。


「結構です。すぐに体を暖めてください。これは命令です」


 後宮を出発する直前、わがままを言う王子フェニーチェの頭を撫でていた少女の面影はない。


 荘厳で静粛な聖女の姿に騎士たちは絶句し、動けなくなった。


「前回と同様に立ち話でも?」

「滅相もありません。ただ、私たちは屋敷を持たない一族なので粗末な場所しかご用意できないことをお許しいただきたいのです」

「どこへでも参りましょう」


 ここまでティアナの思い通りに事が進んでいることに違和感がなかったわけではない。

 聖女をザクスの手の届かない所まで引き離し、シュナマリカと接触できるように意図しない場所まで馬車を走らされていたとしてもティアナは動じなかった。


 どうせ接触されるならグリンロッド王国の中心よりも少しでもナビラ王国寄りがいい。


 ナタリアから預かっている魔法具を確実に渡すためなら危険を冒す価値があると判断しての行動だった。


 静かに歩み寄るシュナマリカの手を取るとティアナの足が雪の中に沈み込んだ。


 正確には影の中に沈んでいるのだが、どちらにしても気持ちの悪い感覚には変わりない。

 水を含んだ泥に腕を突っ込むような、まとわりつく感覚は足から腹部、胸部へと迫り上がってきて、やがてティアナは地面の中に引き摺り込まれた。


 唯一、雪の上に残った小瓶型の魔法具だけを残して――


(お願い、ナタリア。近くに居て)


 そんなティアナの願いに呼応するように小瓶型の魔法具は中に収められている小さな紙と共に何処いずこへと消えた。



◇◆◇◆◇◆



「紅茶でよろしいかしら?」

「……え、えぇ」


 目を開けるとティアナは椅子に座っていて、目の前ではシュナマリカがティータイムの準備を進めていた。


 視線だけで辺りを見渡す。


 決して豪華とはいえないが貴族の屋敷だ。

 これまでの経験から男爵家か子爵家の持ち家ではないかと直感した。


「改めて、シュナマリカ・グリムベルデです」

「ティアナ・レインハートよ」

「マシュリから定期報告を受けていたので存じ上げております。と、申しましても実際にお会いするのはこれが2度目ですが」


 まさか過去にケラ大聖堂で共に過ごし、自分をレインハート王国へ追放した女性の名前が出てくるとは思わなかった。


 ティアナの動揺は明白で、とてもではないがティーカップを持ち上げられる心理状態ではなかった。


「私はマシュリの母の妹にあたります。と、申しましてもマシュリよりも2日だけ早く生まれた同い年なのですが」


 生きていればですけどね、とシュナマリカ。


「実は私がシエナ王国のヒートロッド伯爵家の養女になるという選択肢もあったのです。私なら違う未来を描けていたかもしれません。と、申しましても今となっては後出しですが」


 神経を逆撫でするような話し方と、ねっとりまとわりつくような声。

 マシュリとは違った意味で記憶に残る言動を取るシュナマリカは椅子に腰掛け、小指を立てながらティーカップを傾けた。


「この国は寒いでしょう。寒くて寒くて心まで凍りついてしまいます。と、申しましても実際に凍るわけではないのですが」

「早々に本題に入りましょう。こちらに長居するつもりはありませんよ」

「それは残念です。では、我がグリムベルデ家の目的をお話しましょう」


 普段ならお構いなしに紅茶をいただくティアナも今回ばかりは飲もうとしない。

 それ以前にティーカップに触れようともしなかった。


「我々が欲しているのは王権、家、聖女の3つだけです」


 だけと言う割には欲張りだ、というのが正直な感想だった。


「王権はグリンロッド家がなかなか明け渡さないのでどうしたものかと何百年も悩んでいるのです」

「家は? ここは立派なお屋敷だと思うけれど?」

「我らの家は全てが仮住まいです。と、申しましても我ら一族全員、呪いによって屋敷を持つことができないだけなのですが」


 シュナマリカは薄い唇を最小限に動かし、言葉を紡ぎ続ける。


「基本的にグリムベルデ家では女しか産ませませんので嫁ぎ先が家になります。と、申しましても必要時には男児も産ませるのですが」


 という表現は引っかかるが、ティアナは言及することなく傾聴の姿勢を貫いた。


 今の話を鵜呑みにするならば、この屋敷もシュナマリカあるいは別のグリムベルデ家の女の嫁ぎ先ということになる。


「そして、最後に聖女あなたです」


 びしっと指をさされてもティアナは動じない。


「マシュリは強欲でした。シエナ王国の王妃の座に執着しすぎたのです。と、申しましても途中までは良かったのですが。あなたをシエナ王国から追放することは決定事項でしたからね。あそこでお連れできなかったことが悔やまれます」


 シュナマリカの話を聞けば聞くほどに、あの日ドラウトが危機一髪で駆けつけてくれていたことが証明される。


 誰から何を言われてもティアナの中でドラウトへの感謝と尊敬の念が膨れ上がるだけだ。


「ですが、こうして巡り会えました。今回ばかりはザクス神に感謝しなければなりませんね。と、申しましても大嫌いなのですが」


 ティアナはずっと右耳をいじりながら話を聞いていた。


(この話が獣神アグニル様にも聞こえていますように――

 リーヴィラ様伝えでもいいからドラウト様の耳に届きますように――)


 そう祈っていると無意識のうちにイヤーカフを撫でてしまっていた。

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