第30話 雨女、恐怖をはね除ける

「僕がついていながらすまない」


 耳を塞いでいても、愛する人の声が聞こえたような気がしてゆっくりと瞳を開ける。


「……ドラウト様…………?」


 すると、そこには悲痛に歪んだ顔でたたずむドラウトがいて、頬を撫でてくれた。


「どうしてここに? ご帰宅は明日のはずなのに!」

「ティアナにかけた防御魔法が発動する直前、僕の転移魔法が強制的に発動するように連動させてあるんだ。だから飛んで来た」


 ドラウトの足元に転がる黒ずくめの男に視線を向ける。

 すでに伸びているようだが、護衛の騎士たちが速やかに拘束していた。


「ドラウト様、申し訳ありません!! 私たちが着いていながらこの体たらく。処分はいかようにもっ!」

「追って通達するが――」


 ごくりと誰かが固唾を飲み込んだ。

 それほどまでに緊迫感のある間にティアナさえも押し黙ってしまった。


「ティアナを優先してくれたことに感謝する。僕の命なんかとは比較できないくらい尊い女性ひとだ」


 ミラジーンたちは恐縮し、ティアナは謙遜する。

 そんなティアナに微笑み返したドラウトは表情を引き締めて、拘束された男を見下ろした。


「どこの誰か調べ上げろ。我が国の王妃に手を出したのだ。誰に喧嘩をふっかけたのか分からせてやる必要がある」

「はっ!」


 ドラウトはそっとティアナの隣に移動して手を取った。


「僕が護衛しよう。ミラジーンは先に行け」

「は、はい」


 名残惜しそうに、悔しそうに唇を結んだミラジーンが騎士たちと共に男を城へと運び始めた。


「ドラウト様、ミラジーンたちを叱らないでください。わたしがさっきのカフェでお茶をしたいとお願いしたのです」

「分かっているさ。だが、お咎めなしでは僕たちの面目を保てない」

「僕たち……?」


 ドラウトは自分の胸とティアナの胸を指差しながら、「僕たち」と繰り返して照れくさそうに微笑んだ。


「ティアナはレインハートの名を冠する王族な訳だから、きみを守れなければ処刑されても文句は言えない。それに――」


 ドラウトの手に力が入る。


「きみを失っていたと思うと胸が張り裂けそうなんだ。無事で良かった」

「ドラウト様……」


 照れよりも、心配させてしまったことへの罪悪感が勝り、ティアナは再び頭を下げたが、ドラウトは気にするな、と言うばかりでティアナを責めることはなかった。


「あの、さっきの男の人が使ったのは魔法ですか?」

「いいや。あれは音爆弾と呼ばれる破裂した時に強烈な音を放つアイテムだ。殺傷能力はないが、耳が聞こえなくなる可能性はあった」


 だから、あんなにもうるさかったのね、と納得する。

 同時に近くにいた騎士が気絶するほどの威力があったのに、どうして自分は平気だったのだろうと疑問が浮かび上がった。


「ティアナを守る魔法はありとあらゆる外敵を跳ね退けるものだ。でも、万能ではなかったようだな。まだ人類未到の魔法の習得には程遠いらしい」


 何でもないことのように言っているが、ティアナのために新しい魔法の開発、発動をやっておけているドラウトにはレインハート王国の守神も呆れ顔だった。


「あんな物を作れるのは一国しかない。きっとナビラ王国だ。指示と実行は別の国の人間かもしれないけどね」


 国名は聞いたことがある。

 シエナ王国とレインハート王国に隣接し、中立的な立場を主張する国家のはずなのに……と思案顔のティアナ。


 視力が回復したとしても昔からの癖はまだ抜けない。

 気づかないうちに眉間にしわを寄せていたティアナにドラウトの手が伸びる。


 ぐりぐりと眉間をほぐされ、とっさにティアナは飛び退いた。


「ド、ドラウト様⁉︎ こんな人前で!」

「人前でないなら良いのかな?」

「そ、それは……許容できるというか、むしろ嬉しいというか」


 あまりの破壊力に破顔しそうになるドラウトは手で顔を隠し、ごほんと大袈裟に咳払いした。


「後のことは僕に任せてくれ。不安だろうが、ティアナにはいつも通りに過ごして欲しい」

「不安なんてありません。いつも、どんな時でもドラウト様が側にいてくれると信じていますから」


 そうは言っても本当は怖い。今だって、ミラジーンたち護衛を無視するようにティアナだけが狙われたのだ。


 妃教育中、「暗殺のリスクは常につきまといます」と口をすっぱくして言われたのは記憶に新しい。

 しかし、そんなことを言っていては何も始まらないのも事実だ。


 ティアナはドラウトと手を繋いでいない手で乾宝石かんほうせきのついたネックレスを摘み、満面の笑みで答えた。

 

「これからは迂闊に寄り道しません」

「外出を控えるのではなくて?」

「それでは困っている人を助けられません。用心しながら帰ってきます」

「そうか。奥様には敵わないな」


 困ったように笑うドラウトと一緒に城へ戻る道すがらティアナは早速、レインハート王国の子供たちに祝福の祈りを捧げて構わないか尋ねた。


 ティアナのやりたいことを否定しないドラウトだったが、王都以外の領地には絶対にドラウトの転移魔法で移動することを条件にした。


「縛るつもりはないんだ。でも、何日もティアナが他の連中と過ごすのは看過できない。僕のわがままを許してくれるか?」

「そんなことありません。嬉しいです。ドラウト様がお忙しくない時にお願いしますね」


 自分に魔法適正があれば、いつでも転移魔法の練習を願い出るのに、と思ってすぐに考えを改めた。

 それでは、二人でいる時間が更に減ってしまうと気づいたからだ。


「ドラウト様、聞いてください。先ほど、生まれたばかりの赤ちゃんに祝福をしたのです。それで――」


 嬉々として聖女の力を行使できたことを語るティアナに相槌を打つドラウトの表情はいつになく柔らかかった。


「ドラウト様、もう一つご提案がありまして」

「喜んで聞かせてもらうよ」

「実は、リングに一工夫加えられないかと思っていて」


 少し前にミラジーンに話していた内容を語ると、細かく相槌を打っていたドラウトが黙り、食い入るように話を聞いていた。


「――今の話は誰かに伝えたのかな?」

「ミラジーンにだけ。他の護衛の皆さんには聞こえていたかもしれませんが、ちゃんと話したのはミラジーンだけです」

「そうか。では、これは内密にしておこう。僕との約束だ。モンド卿には僕から話を通しておく」


 やっぱりまずかったかしら、と不安げなティアナだったが、ドラウトの目が優しいことに変わりないことに気づき、無駄に心配しないことに決めた。



◇◆◇◆◇◆



 その日の夜。

 場所はドラウトの執務室だ。


「リラーゾ、一つ頼まれてくれ」

「何なりと」

「このリングが次の流行だと嘘の情報を流して欲しい。シエナ王国のギルフォードの耳元で囁け」

「……また悪巧みですか?」

「僕はあの披露宴での一件をずっと根に持っているんだ。それに僕の太陽を傷つけようとした。このまま黙っていられない。お前なら出来るだろ?」

「ご期待に応えてみせましょうとも」


 信頼の置ける部下を見送ったドラウトはティアナの想像力の豊かさに感銘を受けつつ、サマク領領主であり、一級宝石加工職人のモンドに書状をしたためるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る