第31話 雨女、真実を知る

 あの未遂事件以来、ティアナは王宮内で過ごし、子供を連れてきてくれた人にだけ祝福の願いをかけていた。

 ドラウトに時間がある時は地方に転移し、王都に来れない子供たちにも身分に関係なく、祝福を施していく。そんな日々を送っていた。


 そんなある日、「シエナ王国が危機に瀕している」という噂がティアナの耳に入った。

 ミラジーンに聞いてもはぐらかすばかりで、答えてはくれない。


 そこでティアナは別件で私室を訪れたドラウトに直接、尋ねることにした。


「シエナ王国の危機とはなんですか? どうして、わたしだけ除け者にするのでしょう」


 細められた瞳と、責めるような声色。

 あまりにも静粛な空気感にドラウトは目を白黒させた。


 ティアナは人払いの指示を出し、専属侍女のミラジーンも下がらせて夫婦二人きりなった。


 しばしの沈黙を経て、観念したドラウトの口から出たのは思いもよらない言葉だった。


「シエナ王国は破滅に向かっている」


 突然のことで言葉が出てこない。


「隠していたことは謝る。すまない。これを伝えることでティアナが傷つくことは目に見えているから伝えたくなかったんだ。心の弱い僕を許してくれ」


 ティアナは何も言わずに立ち尽くし、うつむくドラウトの手を取り、微笑んだ。


「わたしは平気なので詳細を伺ってもよろしいですか?」


 ドラウトは言葉を選びながらも事細かにシエナ王国の現状を語ってくれた。


 真の聖女として雨と水をもたらしていた第一聖女マシュリと成婚したことでギルフォードは王位継承権一位の座を手に入れた。


 実は以前から有力貴族に賄賂わいろを贈り、支持力向上に努めていたというのは周知の事実だ。その方法というのがレインハート王国の特産物、乾宝石かんほうせきをあしらったアクセサリーをばら撒くというものだった。


「えぇ!? でも、シエナ王国への乾鉱石かんこうせきの返礼はドラウト様がおやめになったはずでは!? それに宝石への加工もできないはず」

「ティアナも知っている"アレ"をばら撒いたんだ」

「あの偽物をギルフォード殿下が⁉︎」


 ドラウトが静かに肯定する。


 ティアナの直感通り、ギルフォードは巷で流行っている偽物の乾宝石かんほうせきを配り、自分ならレインハート王国の宝石を別ルートから入手できるとアピールしたのだ。


「でも、あれは簡単に見破れるはずです」

「魔法適正があればね。魔力なしで見破れるのは聖女であるティアナだけだろう。なんなら、その偽物を作るように指示したのもギルフォードだ」


 衝撃的すぎて頭が回らない。

 それでは、ドラウトが支持率向上を目論んで自国に配るためだけに偽物を作ったことになる。

 一体、誰にそんなことができるというのか……。


 追い打ちをかけるように「本題はここからだ――」とドラウトが続ける。


「シエナ王国の暑さは危険な域に達している。某貴族からは我が国への亡命を希望する嘆願書も届いているほどだ」

「そんな……マシュリ様がいるのに……」

「………………彼女は聖女ではない」

「え?」


 ティアナは目に見えて動揺した。


「どうして断言できるのですか⁉︎ マシュリ様は聖女の運命を受け入れ、シエナ王国のためにギルフォード殿下と添い遂げられる覚悟を決められたのに」


 ドラウトはティアナの手を愛しむようにそっと撫でた。


「きみは純粋すぎる。ずっとそのままでいて欲しいと心から願っているが、時には人を疑って欲しい。でなければ、ティアナが深く傷ついてしまう」


 ごくりとティアナの喉が鳴る。


「あの二人はそんな伝承、伝統を真に受けてなんかいない」

「それは、どういう意味ですか?」

「ギルフォードは言い伝え通り、聖女を伴侶とすることで次期国王の座を確立するつもりだ。現に彼の王位継承順位は一位となり、ヘンメル王太子を退けた」

「マ、マシュリ様は⁉︎ マシュリ様が真の聖女になるべくたゆまぬ努力で力を制御されていた姿を知っています!」


 ドラウトを疑うつもりは毛頭ない。しかし、マシュリを信じたいと思っていることも事実だ。

 心の中がぐちゃぐちゃになりそうになりながらも、ティアナは拳を握って返答を待った。


「彼女は聖女候補ですらない」


 本当は伝えない方が良かった。

 でも、嘘はつきたくない。


 そんな悲痛な叫びを体現するように歪んだ顔で告げられ、ティアナはよろめいた。


 とっさにドラウトに抱き寄せられたが、すぐにはさっきの言葉を飲み込めない。

 その一言はあまりにも重すぎた。


「……で、では…………」


 ドラウトは震える声のティアナをじっと待ってくれている。


 それからしばらくして、ようやく聞きたいことが出てきた。


「マシュリ様のお力は……?」


 やっとのことで絞り出された問いかけにもドラウトは即答した。



「彼女は魔法使いだ」



 まるで鈍器で殴られたような衝撃が突き抜ける。

 いくつもの疑問が湧いては泡のように消えて、また湧いてを繰り返した。


「僕たちと同じなんだ。彼女は強力な魔法使いだけど、訓練していないから魔力量と水魔法の力がアンバランスだった」


 だった、という言葉に違和感を覚える。

 まるで自分で確認したような……と、そこではっとした。


「披露宴のとき……?」

「そう。招待してもいないのに、大手を振って参列した無礼者だった。どんな奴が僕のティアナを蔑ろにしていたのか確認するだけのつもりだったが、とんでもない秘密まで見つけてしまった」

「どうして、マシュリ様が魔法を使えるの? 由緒あるヒートロッド伯爵家の御令嬢なのに」

「誇れる歴史に泥を塗った人物がいるということだよ」


 言い回しが難しくて理解が及ばない。

 しかし、たとえ魔法だったとしてもシエナ王国の気候を制御していたのはマシュリだと思い直し、ドラウトを見上げた。


「シエナ王国の酷暑は私利私欲に溺れたギルフォード・シエナとマシュリ・ヒートロッドによって引き起こされた。彼ら二人は裁かれるべき人間だ」

「あの二人が結ばれれば、シエナ王国は安泰のはずです!」


 と、言い切ったところで、はたと気づいた。


「マシュリ様が、聖女ではない……? ということは――っ!」

「何度も伝えてきたが、真の聖女は僕の目の前にいる。今の今まで信じてもらえていなかったようだけど」

「そ、そんなことはありません。ただ、自信がなくて。ドラウト様のお言葉よりも、自分を信じられなくて」


 物悲しそうに垂れたドラウトの眉を励ましたくて一生懸命に言葉を探した。


「今のシエナ王国に聖女は不在。つまり――」

「シエナの均衡が崩れたってわけ」


 突然、話し始めた竜神リーヴィラ。


「言っただろ? 嬢ちゃんはシエナに必要だって。ぬるいんだよな〜。聖女を他国に追放して、自分たちだけが甘い蜜を吸おうなんて、図々しいったらありゃしねぇよ」


 普段は飄々としているリーヴィラの冷ややかな声。

 目を細めて、真っ赤な舌を出し入れする姿に背筋が凍そうだった。


「わたしが向かえば、シエナ王国はあの頃のような過ごしやすい国になりますか?」

「なるだろうな〜」

「ダメだっ!」


 あまりにも気持ちのこもった声に体が震えた。

「そう言うと思ったから黙っていたんだ」と言いたげなドラウトの表情にリーヴィラが同意した。


「ティアナを真の聖女だと判断したから、あるいは手に入らないティアナの存在を消すために刺客を送り込むような国だぞ! 絶対に奴らには渡さない」


 捨てられた子犬のように潤んだ瞳で見下ろされれば、ティアナは微笑み返すしかなかった。


「わたしはドラウト様の元から去るのではありません。一時的に帰国するだけです」

「それでもダメだ。あの王子と悪女はティアナを傷つけた上に、殺そうとまでしたんだ。絶対に許すわけにはいかない」


 襲撃を依頼したのが母国の、しかも自分の夫になっていたかもしれない男だと伝えられて動揺しないわけがない。

 しかし、ティアナは柔らかく笑い、ドラウトを覗き込んだ。


「わたしはドラウト様の妻で、レインハート王国の王妃ですからこの国を豊かにするために全力を尽くします。ですが、わたしは聖女でもあります」

「それはっ!」

「わたしに自信を待て、と仰ったのはドラウト様ですよ?」


 反論しようとしてもティアナの細い指先がドラウトの唇を閉じていて叶わない。


「聖女として崩壊寸前の他国を見過ごすわけにはいきません。参りましょう、共に」


 昨年、レインハート王国に来たばかりの頃とは比べものにならないしたたかさと頼もしさのティアナの手を取ったドラウトは小言を言いながらも転移魔法を発動させた。


「きみには指一本触れさせない。そんな場面を見せられたら僕がシエナ王国を滅ぼす」


 とても冗談には聞こえない。これでは国王ではなく、魔王になってしまう。


 苦笑しながらドラウトを宥めたティアナは、レインハート王国に来た時とは違って一瞬にして帰国を果たした。

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