第32話 ギルフォード、謀られる

※ギルフォード視点


 時は遡り、強制的に披露宴会場から追い出された後、数日をかけてシエナ王国に戻ったギルフォードは収まらない苛立ちを椅子にぶつけていた。


「くそ! どうしてこうなった!」


 髪を振り乱し、手当たり次第に物を投げつける。あまりにも酷い癇癪かんしゃくに執事や侍女はそっと退室する始末だ。


「ティアナめ、15年間過ごした母国を簡単に捨てやがって! お前が真の聖女なら俺の伴侶となって、俺を王にする役目があるだろうが‼︎」


 婚約者であるマシュリには聞かせられない内容だが、この場にいなければ関係ない。


 ギルフォードにとって自分の婚約者がティアナだろうが、マシュリだろうが問題はなかった。

 唯一の問題はどちらが自分を王にしてくれる真の聖女なのかという点だけだ。


 ギルフォードは生まれた瞬間から王位継承順位が二番目だった。

 何をやっても兄のヘンメルには勝てず、シエナ王国の伝統に縋り付くしかなかった。


『聖女は次期国王の伴侶となって、王国の繁栄のためにその身を捧げる』


 つまり、王太子よりも先に聖女を手に入れればいいだけの話だった。それに王太子には生まれた時から婚約者がいる。

 あの律儀な義兄が婚約者を捨ててまで、聖女と結婚するはずがないと睨んでいた。


 そんなギルフォードの前にはティアナとマシュリのどちらを選ぶべきかという壁が立ち塞がった。


 国王と王太子不在の日しかないと決意し、派閥の貴族を呼び寄せてまで開催した誕生日パーティーの予行練習。

 そこで答えを出した。


「マシュリを選んだのは間違っていたのか‼︎」


 両手で叩きつけた机が音を立てた。

 ジンジンと痛む手のひらに更に苛立ちが増す。その反面、少しだけ頭をクールにしてくれた。


「いや、まだマシュリが偽物だと決まったわけじゃない。偽物だったとしても国民は気づかない。さっさとあいつが俺の妻になれば、俺は次期国王の座が確定するんだ。クラフテッド王国の闇ギルドに作らせた乾宝石かんほうせきをばら撒いたんだ。ヘンメル派の貴族共も俺を支持するに違いない」


 注がれたワインを飲み干したギルフォードが呼び鈴を鳴らすと執事が飛んできた。


「やはりティアナは偽物だった。この目で確認した。早々にマシュリと結婚する準備を進めろ」

「ですが、教育がまだ……承知いたしました」


 何を言っても無駄だ、と悟って素直に従う。 


「それから掃除屋を動かせ。偽物と知らずにティアナを国外に出したのはシエナ王国の失態だ。我らで処理する」

「よろしいのですか? マシュリ様のご意向は?」

「他でもないマシュリからの頼みだ。俺たちにとってティアナは生きていない方が都合がいい」

「……承知いたしました」


 こうして、ティアナ暗殺を目的とした刺客が放たれた。

 しかし、ミラジーンを筆頭とする魔導騎士団によって排除され続け、終いにはドラウトまで出てきて、ギルフォードの期待した成果は誰一人としてあげられなかった。


 裏でティアナ暗殺を企て、表では正式にマシュリと結婚したギルフォード。そこに真実の愛はなかった。

 マシュリもギルフォードとの結婚生活に夢を抱いておらず、さながら仮面夫婦のような関係となった。


 ギルフォードがシエナ国王になるという野望を抱くように、マシュリにも目的があって一緒になったのだ。

 そんなマシュリは休みなく各領地へ向かわされ、力を使ってはへとへとになって帰ってくる日々を送っていた。

 ギルフォードから労いの言葉はなく、義務的に行った夜の営みの回数は片手で数えられるほどだった。



◇◆◇◆◇◆



 ある日、シエナ王国全土の天候が大きく崩れた。

 マシュリの体調に異変はない。しかし、黒雲が空を覆い、数日に渡って豪雨と雷が国中に降り注いだ。


「マシュリ、これをやる。左手の薬指につけろ」


 ご機嫌取りのために贈ったのは、大量に作らせた偽物の乾宝石かんほうせきをあしらったリングだ。


「こ、これはなんですか⁉︎」

「結婚指輪だそうだ。国内外に目を向けてもお前が初めて、それを身につけたことになる。これからお前を真似て全世界で大流行するだろう」


 マシュリの薬指で輝くのは立爪によって支えられ、高く持ち上げられた乾宝石かんほうせきのついたリング。


「あの、嬉しいです。ですが、その……」

「なんだ。はっきりと言え」

「これは、クラフテッドの作った偽物ではないです……よね?」

「馬鹿なことを」

「あの雨女が持っていた乾宝石かんほうせきとは、なんというか……雰囲気が違う気がして――」

「自分の妻に偽物を贈るはずがないだろ。そのネックレスもリングも全てレインハート王国から取り寄せた本物の宝石を使っている」

「ギルフォード様っ!」


 髪は潤いをなくし、肌は荒れ、かつての美貌が損なわれたマシュリに抱きつかれても嬉しくもなんともない。むしろ、鬱陶しいくらいだ。


(馬鹿な女め。魔法で作られた偽物だとも知らずに。こいつの機嫌が直れば悪天候も終わるだろ。)


 そんな風に楽観視していたギルフォードの思惑は見事に外れることになる。


 豪雨に続く豪雨と高温多湿な気候。

 暑さだけではなく、ジメジメした不快感を伴う天気はギルフォードだけでなく、国民たちの苛立ちを募らせることになった。


 そして何よりの問題は各地で起こる大洪水と山々の崩落や家屋の崩壊だ。

 家を失った者は迷うことなく国へ救援を求めた。


 不幸は続き、「早急に対処せよ」と命令を下したシエナ国王が病床に伏した。

 治療の甲斐もなく、シエナ王は帰らぬ人となり、マルグリット第二王妃の口利きもあって王位継承第一位のギルフォードが実権を握ることになった。


「ギルフォード殿下。国民は限界でございます。マシュリ様のお力ではもうどうにもできないではありませんか」

「マシュリは真の聖女だぞ! 叩き起こして、祈らせろ!」

「もう3日間も寝ずに神殿で祈りを捧げておられますが?」


 やってきたシエナ王国の宰相をギルフォードは怒鳴りつけた。

 しかし、怯むことのない宰相は続ける。


「なぜ精霊殿へ向かわせないのですか? 聖女が祈るべきは神ではなく、我が国を守護してくださる精霊のはずです」

「そんなことは知らん! 扉が開かないのだから仕方ないだろ!」


 それが答えではないか、と口には出さずに侮蔑の視線を送る。


「民衆が暴動を企てているとまことしやかに囁かれていますが、そちらに対しては?」

「放っておけ。こっちには騎士団がついている。まともに剣も振れない連中など恐るるに足らず」


 宰相は覚悟を決めたように息を吸った。 


「レインハート王国は以前のように生活水の援助は不要だと言ってきましたね。それは何故でしょうか?」

「知らん! 返礼品である乾果実かんかじつ乾鉱石かんこうせきも出さないとは、なんて恩知らずな王族だ。たかが水が手に入っただけで浮かれやがって」

「その、たかが水は我が国で枯渇していますよ」

「そんなわけがないだろ。俺は毎日のように飲んでいるぞ。それにずっと空から落ちてきているだろ! 雨をかき集めて、飲めばいいんだ!」

「このっ痴れ者がッ‼︎」


 目をひんぬき、激昂する宰相の姿に腰を抜かしたギルフォードは机を支えにしても膝が震えて立ち上がれなくなった。


「真の聖女はマシュリではなく、ティアナ様だ! 何故、理解しようとしない! お前たちが雨女だとバカにして追い出した方こそが我が国の聖女様だったのだ。そんな尊い方がレインハート王国に渡ったのだぞ‼︎」

「ぶ、無礼者! 誰に口をきいている!」

「お前にだ、ギルフォード・シエナ! 今、この国のまつりごとはお前が行っているのだろう!」

「だ、だから……手に入らないなら殺してしまおうって!」

「呆れて開いた口が塞がらんわ。その刺客たちは返り討ちに合い、協力依頼したグリンロッド王国にも見限られたようだが?」

「なぜ、それを⁉︎」


 秘密裏に進めていた計画のはずなのに、と青ざめるギルフォード。


「私はこの国の宰相です。この国を良い方向に導くのが勤め。この国を滅びに向かわせるお前は国王に相応しくない」

「な、なんだと。言わせておけば! それが王族に対する態度か⁉︎」


 やっとのことで立ち上がったギルフォードが宰相に掴み掛かろうとした時、バリンッ! と大きな音を立てて部屋の窓ガラスが割れた。


「ひっ⁉︎ な、なんだ?」

「民衆が王宮まで辿り着いたようですな。ほら、敵は剣も振れない連中です。ご自慢の騎士団をお出しなさいな」

「き、貴様! 兄は、ヘンメルは何をしている⁉︎」

「おかしなことをお聞きになるのですね。あなたはもうなのでしょう、ギルフォード陛下」

「貴様、謀ったな、宰相!!」

「残された手は覚悟の籠城しかありません。ギルフォード陛下もマシュリ妃殿下もマルグリット殿下もここで死ぬのですよ。全てはあなたが招いた結果です」

「そんなわけがあるか!」


 部屋を飛び出し、階段を駆け上る。

 投擲とうてきが届かないほどの高さにあるバルコニーから姿を現すと獣のような声でギルフォードの名を叫ぶ民衆に圧倒された。


 視界を奪う豪雨と鳴り止まない豪雷、そして怒り狂った国民の怒号。


 眼下には地獄が広がっていた。


「マ、マシュリは⁉︎ マシュリ、祈ってないで俺を助けろ! お前は聖女以前に俺の妻だろ!」


 ギルフォードの叫びは雨音にかき消された。

 激しく顔を打ち付ける大粒の雨はシエナ王国全土を水没させる勢いだった。


 しかし、天変地異に見舞われる中でも彼女の声だけは耳を覆いたくなるほどによく聞こえた。


「もうやめましょう、ギルフォード殿下。お戯れの時間は終わりです」


 空を覆い隠していた分厚い黒雲が道を開けるように風に流される。

 やがて、土砂降りだった雨が上がり、雲間から光が差した。


「ティアナ。お前なのか……っ」

「はい。ティアナ・レインハート。ただいま戻りました」


 追放したはずの女がシエナ王国に数十日ぶりの光をもたらした。


 太陽を背負う姿は紛れもなく聖女そのもので、見たこともない美しくも強かな眼差しがギルフォードを捉えて離さなかった。

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