第75話 聖女、ジト目を向ける
数日後、謁見の間ではフェニーチェ・グリンロッドが丁寧な挨拶をして、その身をドラウトに差し出した。
「歓迎しよう。来るべき日に備えて我が国で学び、育て」
「恐悦至極にございます」
本音を言うならばドラウトは大歓迎しているわけではない。
理由は隣に座りフェニーチェの入場から挨拶まで失敗しないか心配顔になったり、「やったね」と声を発さずにウインクしている妻だ。
ヤキモキすることこの上ない。
これからフェニーチェが成人してグリンロッド王国に戻る日までこの生活が続くと思えば気が遠くなった。
「ドラウト様? まだ体調が優れませんか?」
「平気だ」
ドラウトがぶっきらぼうになる時は自分が原因だということに気づいているティアナは間髪を入れずに耳元に顔を近づけた。
「他国の幼い王子を受け入れる御心の広いドラウト様はとても素敵です。隣に座っていれば笑顔も綻ぶというものです」
「……フェニーチェ、魔法も帝王学も僕が教えよう。ただし、子供相手にも容赦しない。覚悟の上で僕の部屋を訪ねてきなさい」
「は、はい! い、痛み入ります」
ドラウトに隠れてピースするティアナに、フェニーチェもほっと胸を撫で下ろした。
「それでグリンロッド王国はいかがですか?」
「は、はい。産卵期を控え、大興奮して国境を越えた危険種を全て追い払い、国を救ってくださったドラウト様は英雄となっています。ティアナ様におかれましては、王国に春を呼び寄せた聖女様としてお二人のご尊名は語り継がれることになるでしょう。いえ、ボクが責任をもって語り継ぎます」
ティアナと一緒にいる時は年齢相当にあどけなく笑うフェニーチェだが、公式の場での佇まいは立派な王族男子のものだ。
鳥神ザクスが憑依している時とは違った雰囲気がある。
「あの一族の件は?」
「それは陛下が内々に処理されたということで、こちらの書状をドラウト陛下に献上するように仰せつかりました」
リラーゾの手に渡った書物がドラウトに届けられる。
ドラウトは書物を
「グリムベルデ……性根は腐っていても顔だけは良い連中だ。各地で家族を作っていたとなれば多方面に喧嘩を売ったのは言うまでもないな」
グリンロッド王国から各国へ散ったグリムベルデ家の女たちはそのほとんどが貴族に嫁入り、あるいは愛人となって子を成している。
今回の騒動でグリルベルデ家の血を継ぐ者全てが同士討ちしたのだから、グリンロッド王家が批難されるのは当然のことだった。
問題はフェニアス・グリンロッド国王がレインハート王国およびドラウトが関与していることを隠した上で、どのように各国に説明し、責任を取るのかという点だ。
まさかこんなにも大事になると思っていなかったドラウトだが、愛する妻を第一優先にしての判断だ。後悔はなかった。
「ん?」
ふと、視線を感じて隣を見るとティアナが微笑んでいた。
しかし、その目は一切笑っておらず、表情は塗り固められた
「顔が良いですか。そうですか。そうですか」
「ち、ちがっ! 一般的な話であって、僕はそんな風には思っていない!」
「わたしは何も言っていませんよ。そうですか、とつぶやいただけです」
「ティアナ、後で話そう。今はフェニーチェ殿下の歓迎式の途中だ」
「えぇ。もちろんです」
きょとんとするフェニーチェを横目に、咳払いしたリラーゾによって形式的な歓迎式は幕を降ろした。
◇◆◇◆◇◆
寝室でフェニアス王からの書状に目を通したドラウトは息をついた。
「やはりグリムベルデは各国の要人と関わりを持っていたようだ。裏でグリンロッド王国とクラフテッド王国との争いを
「本当に悪い方ばかりなのでしょうか。……あまりにもマシュリ様が不憫で」
諸悪の根源とも言えるシュナマリカはともかく、マシュリは利用されただけでティアナ不在のシエナ王国で聖女として人々を支えてくれていた。
出会い方が違ったなら友人になれていたかもしれない。
ティアナはそんな風に思いたかった。
「ザクス様とお会いしている時、マシュリ様が助けてくれたんです。"糸目雨女"って囁いてくれて。あれがなかったら、わたしはドラウト様の元に戻れなかったかもしれません」
そんなことを言われてはドラウトの胸も痛む。
彼女に極刑を言い渡したのはドラウトだ。
もしも彼女の事情を知っていたのなら未来は変わったのだろうか、と頭の片隅で考えてしまった。
「忘れろとは言わないが、過去に囚われて欲しくない」
「もちろんです。過去を教訓として前に進みます。あ、御心を痛めないでくださいね。わたしはドラウト様を責めるつもりはありません。ドラウト様の選択は常に正しいと思っています」
ぴったりと肩を寄せ合ってドラウトを上目遣いで見つめながら告げる。
ドラウトの鼻腔がわずかに開いたのをじっと見ているとティアナの頭の中で声が聞こえた。
『あんな奴らのことなんて気にするだけ無駄。そんなことで気を揉むなんて健康的じゃないわよ』
「そうね」
『あー、でもスッキリ。ありがとね、ティアナ・レインハート。あたしはシエナ王国に戻るけど、これからも見守ってあげる』
「うん。こちらこそ、グリンロッド王国について来てくれてありがとう。心強かったわ」
突然、独り言を話し始めたティアナを心配そうに見つめるドラウト。
ティアナが「ここに精霊がいるんです」と説明してもドラウトには見えない。
この精霊が勇気を出してティアナに過去の事実を伝えてくれなければ結末は違っていただろう。
姿が見えず、声が聞こえなくてもドラウトは敬意を払い、最上級の礼で応えた。
『……あんたの旦那、悪くないかもね』
「ふふっ。分かればよろしい」
「ん? 何の話だい?」
「女同士の秘密の話ですよ」
仲間はずれにされて唇を尖らせる姿も愛らしい。
一家郎党根絶やしにした張本人とは思えない拗ね顔にティアナの胸は高まったが、ドラウトの逞しい胸に飛び込みたくなる気持ちをぐっと堪えた。
「精霊さんが『あんな奴らのことなんて気にするだけ無駄』と言ってくれましたが、ドラウト様は彼女たちのお顔が好みなのですか?」
「な、何を言い出すんだ!」
大袈裟に狼狽えたドラウトがティアナの手を握る。
「これまでに出会った女性たちの中でティアナよりも
「もちろんです。少しだけ意地悪をしたくなっただけです。ご存知だと思いますが、わたしもドラウト様のことが大好きなのですよ。それこそ他の男性が視界に映らないくらいに――。だから、これからもわたしだけを可愛がってくださいね」
「あぁ、もちろんだとも」
――――
―――
――
―
翌朝、目覚めるとドラウトの姿はなかった。政務に出かけたのだろう。
ほのかに髪を撫でられたような感覚が残っている気がした。
いつものように専属侍女であるミラジーンとナタリアにメイクやヘアセットを任せている時、ミラジーンが急用で退室したことでナタリアと二人きりになった。
「ありがとうね。あの時、ナタリアが近くにいてくれなかったら、わたしはどうなっていたか分からないよ」
「勿体ないお言葉なのです」
「ナビラ王国の人に勘づかれなかった?」
「要人とは会っていませんが、きっと私が通ったことは気づかれているかと」
「だよね。ご挨拶に伺うか。ナタリアのことも話さないといけないし」
今ではレインハート王国の王妃に仕える侍女として仲間に迎え入れられているナタリアだが、当初はこんなにも良好な関係ではなかった。
「あの、そのことなのですが……」
「どうかした?」
「えっと、その……」
「話したくないことなら無理に言わなくていいよ。ナタリアのことを疑ったりしてないから」
ティアナの髪をとかしていたナタリアの手が止まる。
振り向くとスカートを握り締めたナタリアが今にも泣き出しそうになりながらティアナを見つめていた。
「わ、私、実はナビラ王国の宰相の娘なんです。今まで黙っていてすみませんでしたなのです!」
珍しくティアナ王妃の絶叫が王宮内に木霊するレインハート王国の朝になった。
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