ナビラ王国編

第76話 ナタリア、過去を振り返る

※ナタリア視点


 化粧を施すことすら冒涜ぼうとくと思ってしまうほど、きめ細かい肌に最低限のメイクをしてお召し物の選定へ。


 普段は寒色系のドレスを好まれる。

 陛下とお出かけされる日は陛下好みのドレスを。

 公務の際は暖色系のドレス、と決まっている。


 装身具は最低限に。

 右足首のアンクレットは目立たないけれど、胸元のネックレスと左手のリング、そして右耳のイヤーカフは映えるようにしたい。


 グリンロッド王国から帰国してからのティアナは左腕に黄金のブレスレットを身につけるようになった。

 以前のティアナは煌びやかに着飾ることを好まなかったが、他国訪問をする度に装身具が増えていき、どんどん王妃としての風格が増しているように感じる。


 最後にヘアセットをすれば朝の身支度は終了。

 感嘆の吐息を我慢できないくらい瑞々みずみずしい薄水色の髪をくしでとくのがナタリアの日課だった。


 当時はこんな生活が続くとは考えていなかった。


 見惚れてしまうほど滑らかなティアナの首筋にナイフを突きつけた過去を持つナタリアは過ちを恥じながら、ティアナのために身命を賭す誓いを立てている。



◇◆◇◆◇◆ 



 ナタリアは大陸で一番最初にティアナ暗殺を命じられた刺客だった。


 シエナ王国を追放され、ひょんなことからドラウトに保護されたティアナはキュウサ領のお屋敷で過ごすことになり、彼女のお世話係が必要になった。


 当時からミラジーンがティアナの専属侍女件騎士として側にいたがミラジーンも四六時中、一緒にいられるわけではない。そこで専属メイドあるいは侍女の選定が始まった。

 身分が証明できて聖女の側仕えに相応しい女性、というのが最低条件だった。


 これまでナタリアはナビラ王国で過ごし、母の姓であるカーランベルグを名乗って生きていた。

 しかし、聖女がシエナ王国からレインハート王国に渡ったという噂が広まるよりも前にレインハート王国の貴族、ラッドロー侯爵家の使いの者によって呼び出された。


 一度も会ったことのない父親――ラッドロー侯爵の邸宅に呼ばれ、「お前は私の子だ」と宣言されたナタリア。

 女手一つで育てられたナタリアは敬愛する母と見知らぬ父の命令を受け、侯爵令嬢としてティアナの専属侍女選定試験に臨んだ。


 リラーゾたちがいぶかしむ中、ティアナが気に入ったことが決め手となり、あれよあれよと合格してしまったナタリアは両親の望み通り、聖女の側仕えになった。


 専属侍女見習いになって次に問題になったのが父と母の意見の食い違いだ。

 父は聖女に取り入り、ナタリアの地位を確立した上でラッドロー侯爵家の力を強めたいと願い、母は聖女をナビラ王国にお連れしろと命じた。


 しかし、ナタリアはどちらの命令にも従わなかった。

 レインハート王国行きが決定してすぐにナビラ王国女王より、未来の宰相として密命を受けたナタリアは葛藤の末、お世話をするふりをして背後からティアナの喉元にナイフを突き付けた。


『そんなに震えた手でどうしたの?』

『わ、私はあなたを殺す者です』

『そうなんだ。なら今が絶好の機会だね。ミラジーンが帰ってくるまであと少しだよ』

『せ、聖女様は怖くないのですか!? こ、殺されようとしているのに!』

『ナタリアにはナタリアの事情があるでしょ? わたしを殺すことでナタリアが幸せになれるなら甘んじて死を受け入れるよ。ナタリアを専属侍女に選んだのは他でもないわたし自身だからね。その責任はわたしにある』


 この時、ナタリアの目に映ったティアナの空色の瞳はどこまでも澄み切っていて、まだ聖女として覚醒していない頃からその片鱗を見せつけていた。


 結局、ナタリアはティアナを手に掛けることはできず、離席していたミラジーンが戻って来たことで絶好の機会を逃したと同時に死を覚悟した。

 レインハート王国で処刑されるか、ナビラ王国で処刑されるか。場所が違うだけで末路は同じ。


 そんなナタリアの心境を知ってか知らずか、ティアナはナイフ型の魔法具をナタリアから奪い取り、机の中に隠した。


『何かありましたか?』

『ううん。ナタリアが髪をといてくれたの。これからも髪だけはナタリアに任せるわ』

『承知いたしました』


 ナタリアがナビラ王国と関わりがあるというのは周知の事実だが、彼女の正体がナビラ王国が放った刺客であるという真実はレインハート王国においてティアナとドラウトだけしか知らない極秘事項だ。


 幼い頃より暗殺術を身につけたナタリアが任務に失敗し、聖女ティアナに懐柔されたとあっては母国に帰ってからどんな仕打ちを受けるか簡単に想像できる。

 そこでティアナはナタリアを正式に専属侍女の位に置き、彼女の身を守ることにした。


 ティアナの懐の深さに感銘を受け、絶対服従を誓ったナタリアはレインハート王国における聖女ティアナの盾として今も尚、知名度を上げ続けている。



◇◆◇◆◇◆



「ありがとうね。あの時、ナタリアが近くにいてくれなかったら、わたしはどうなっていたか分からないよ」

「勿体ないお言葉なのです」


 ティアナがグリンロッド王国から帰国し、これまで通りの日常が戻ったレインハート王国。

 ある日、ティアナはナビラ王国に向かうと言い始めた。


「ご挨拶に伺うか。ナタリアのことも話さないといけないし。向こうは王様じゃなくて女王様だっけ」

「はい。あの、そのことなのですが……」


 ナタリアが手を止めて震えた声を出すものだから心配になったティアナが振り向いた。

 スカートを握り締め、叱られた子供のように潤んだ瞳でティアナを見つめる。


 母性溢れる微笑みを向けてくれるティアナにこれ以上、嘘をつき続けることは出来なかった。



「わ、私の母はナビラ王国の宰相なのです。だから、その……私はレインハート王国の侯爵令嬢でもあり、ナビラ王国の宰相の娘なのです。今まで黙っていてすみませんでしたなのです!」

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