第77話 聖女、侍女の恋愛事情を知る
「ティアナ様は大陸の北東部、我らがレインハート王国の隣に位置するナビラ王国へ向かわれるということですね」
「そう言い出すに違いない。今更、ティアナを止めるような真似はしないし、ナビラ王国には借りもある。遅かれ早かれ、出向くことになるだろう」
「グリンロッド王国への侵入経路の件ですね」
王宮の執務室にてドラウトとリラーゾは協議を続けていた。
ドラウトの言う通り、ティアナの突拍子もない発言は今に始まったことではない。誰もがナビラ王国に行くと言い出すのは時間の問題だと思っていた。
「今回もドラウト様がご一緒されるのですか?」
「それが……」
ドラウトは浮かない顔を隠そうともしなかった。
「ティアナから他国訪問の際にはついてくるなと言われてしまって」
心配になるほど落ち込むドラウトの姿もすっかり見慣れてしまったリラーゾはおおよその事情を察した。
「グリンロッド王国で倒れられたことを気にかけておられるのですね。であれば、ドラウト様は大人しくしておく方がよろしいかと」
「だからと言ってミラジーンとナタリアだけというのは看過できないだろ」
「……ナタリアですか」
リラーゾの意味深な物言いも今に始まったことではない。
特にナタリアに関しては、ティアナの専属侍女見習いの頃から厳しい目を向けていた。
「もったいぶらずにナタリアが何者なのか教えてください。ラッドロー侯爵の娘ということでしたが、貴族台帳に名前はありませんでしたよ」
レインハート王国で産まれた貴族全員が記されている台帳に名前がないということは王国が認めていない、あるいは王国に申告していない子ということになる。
貴族台帳を見れる人間からすれば、ナタリアの素性が怪しいのはすぐに分かることだった。
「他でもないティアナの頼みだから僕の口からその件は話せない」
「では質問を変えます。ナタリアに結婚を申し込む際はラッドロー侯爵ではなく、ナビラ王国のご実家に出向くのが吉ということでよろしいですか?」
「は、はぁ⁉︎ お、お前は何の話をしているのだ!」
「言ってませんでしたか? 私はナタリアを妻に娶るつもりです。ティアナ様がナビラ王国に向かわれるのなら私もご一緒させていただこうかと」
フリーズしたドラウトの頭を叩き起こすように、ティアナの絶叫が王宮内に木霊した。
◇◆◇◆◇◆
「ドラウト様、ど、ど、ど、どうしましょう!」
「とりあえず、落ち着こう。スコーンをお食べ」
「いただきます」
焼きたてのドラウト特製スコーンを頬張る。
サクサクの生地にほのかな甘みが口の中に広がり、一瞬で幸福感に包まれた。
「おいひいです」
「それは良かった。それで、ナタリアがどうしたって?」
「実はナタリアはナビラ王国の宰相さんの娘さんだったそうです。そんな子がどうして、わたしみたいな女の侍女をやっているのでしょう!?」
「わたしみたいな、なんて言って欲しくないな。出会い方はどうあれ、ティアナだからこそ仕えたいと心を入れ替えたのだろう」
「何か重要な目的があったのではないでしょうか」
命を狙われていたティアナだが、当時はナタリアの身を案じるあまり彼女の目的を問い詰めることはしなかった。
同時に激昂するドラウトを宥める方が大変だったことを思い出した。
「ふふっ。あの時のドラウト様は酷くお怒りでしたね」
「当たり前だろ。妻……当時の大切な女性が狙われたのだ。首を母国へ送り返した上で滅ぼしても足りないくらいだ」
ドラウトなら本当にやりかねない。
あの場面でナタリアが躊躇わなければ、ティアナの人生は幕を閉じ、同時にナビラ王国も地図上から消えていたことだろう。
「グリンロッド王国のグリムベルデ家と違ってティアナを
「そうですよね……。なぜでしょう」
あごに指を当てて思案顔のティアナ。
久々に眉間に寄ったしわをほぐすようにドラウトがグリグリした。
「あぅ」
「相変わらず可愛い」
「もう。子供扱いして」
拗ねた顔のティアナに紅茶を勧め、ドラウトも自作のスコーンを頬張った。
自分で作ったものを「美味しい」と言って食べてもらえることがこんなにも嬉しいことを教えてくれたのはティアナだ。妻が喜ぶのならいくらでも作ってあげたい。
「というわけで、わたしはナタリアと一緒にナビラ王国へ向かいます」
「なら、僕も――」
「ドラウト様はお留守番ですよ」
ピシャリと言われてしまったドラウトは眉尻を下げた。
「今回はお話し合いだけなので危険な真似をするつもりはありません。それに、ザクス様のように強制召喚ではなく、わたしの意思で、自分の足でもって向かうのです。好きなタイミングで帰ってきますよ」
「本当だろうな」
まだまだ不安が拭い去れないドラウトが落ち着きなく手遊びを始める。
「困ったらザクス様をお呼びします」
ティアナは袖をまくり、左腕にある黄金のブレスレットを見せつけた。
当初、鳥神ザクスはティアナにチョーカー型の宝具を贈ったが、ドラウトが即座に却下し、ブレスレット型に変更した経緯がある。
チョーカーを身につけることで、ドラウトが贈った
それは万が一にもチョーカーがティアナの首を締め付けないとは言い切れないからだ。
嘆き悲しみ、聖女が手に入らないなら世界そのものもを凍らせようとした神の宝具だ。今はティアナが懐柔しているとはいえ、何がきっかけで泣き出すか分かったものではない。
ティアナを大切に思うからこそ、ドラウトはザクスとフェニーチェに直談判し、宝具の形を無理矢理に変更させたのだった。
「あまり奴に借りを作りたくないから鳥は最終手段だ。まずは僕を頼ってくれ。願ってくれれば、いつでも迎えに行くよ」
「ありがとうございます」
翌日、ティアナはナタリアにナビラ王国訪問に同行してもらえないか頼んだ。
「は、はい。私でよければ」
「ナタリア以外に適任がいないの。あなたなら王国の地理にも詳しいでしょ?」
「はい。あの、リラーゾ様からお聞きしていませんか?」
なんのこと? とティアナが小首を傾げる。
ナタリアは頬を真っ赤に染めて、遠慮がちに告げた。
「実は昨夜、リラーゾ様に婚約を申し込まれまして……」
「ん? はい?」
「ですから、その……私と夫婦になりたい、と」
「……あら」
絶句したティアナはそうつぶやくのが精一杯だった。
ナタリアの反応を見るに戸惑っているだけで嫌がってはいないらしい。
接点のない二人だと思っていたのに実は惹かれ合っていたと知らず、ティアナの心境は複雑だった。めでたいことだが身分だったり、立場だったり成婚に至るまでには障害が多いと思ってしまったからだ。
「それはおめでたいことだけど、どうしてリラーゾさんの名前を出したの?」
「それが、その、ナビラ王国への訪問にリラーゾ様も同行していただけるとのことです。ドラウト陛下が動けないなら自分しかいない、とも仰っていました」
そんなことは聞いていないティアナだが、夫の側近が一緒に来てくれるのなら心強い。ティアナは二つ返事してナビラ王国行きの準備を始めた。
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