第74話 聖女、癒やす
「ドラウト陛下は魔力を使い過ぎて倒れられたようです」
横たわるドラウトの手を握り締め、今にも泣き出しそうなティアナの前でグリンロッド王国の侍医は静かに語った。
ティアナの悲鳴を聞き、駆けつけたミラジーンたちは動転するティアナをドラウトから引き離し、侍医を呼び寄せた。
幸いなことに、ここは魔法使いだけの国――グリンロッド王国。
医師は魔法関連の病に精通しており、莫大な金さえ払えばどんな魔法病も治してくれるとさえ言われている。
そんな医師の中でも能力が秀でている侍医が診察したわけだが、彼らでもレインハート王族の呪いは治せなかった。
治せない以前に理解できない。
これまでに見たことのない現象がドラウトの体の中で起こっているというのが正直な意見だ。しかし、思い詰めたティアナの表情を見れば、「分かりません」とは言えなかった。
「陛下の発作はこれが初めてですか?」
「……倒れられたのは初めてです」
「今日まで陛下を診ていた医師はおられますか?」
「いえ。普段はわたしが居ますので」
老年の侍医は驚き、言葉を失った。
これまで50年以上も魔法関連の病気を診てきた自分に分からない病をこの娘が管理していると言うのだ。
悔しさや恥ずかしさよりも探究心が勝った侍医はティアナに詰め寄った。
「具体的にどんな治療を施されているのですか!? 聖女様にしか癒やせない病となればこれは世紀の大発見ですぞ」
「具体的に、と言われましても……」
他人に言えるはずがない。
ティアナとドラウトの"それ"は他者から見れば、とてもではないが治療とは思えない行為だ。
もしかすると、いつものように肌を重ねることで全快するのかもしれないが他国の王宮の一室で、というのはティアナにとって無理難題だった。
「ティアナ様」
侍医を退室させたリラーゾがベッドの脇に立ち、これまでの経緯を教えてくれた。
「ドラウト様は各国の特級危険種に指定されているモンスターを転移させて、無理矢理グリンロッド王国の関所を突破したのです」
驚きの事実にティアナは目を見開いた。
特級危険種の数は限られるが巣穴を突けば大量に出てくる。
それら全てを転移させたとなれば、魔法発動のためにどれ程の魔力を消費したのか想像もつかない。
魔法使いであるリラーゾやミラジーンでも理解が及ばないのだから、非魔法使いのティアナが分かるはずもなかった。
「その危険種たちは?」
「関所突破後に各国に戻されました。もちろんドラウト様がお一人で」
途方もない話だ。
暴れ回る危険種が辺境伯領から逃げ出さないように抑えつけながら元の国にある巣に転移させる。
それを十数回も繰り返したのだ。
加えて、ティアナの元に駆けつけ、鳥神ザクスを追い返し、グリムベルデ一族を根絶やしにした。
ドラウトの命を削りながらの行動に、ティアナは涙を浮かべ口元を押さえていた。
「わたしには無茶をするな、と仰るくせにご自分のお体は大切にしてくれないのですね」
ドラウトの流れるような黒髪を撫でる。
ティアナの苦言はドラウトには聞こえない。いっそ聞こえていて欲しいと願いながらもティアナは覚悟を決めた。
体に負担をかけてまで助けに来てくれたのに自分だけが恥ずかしがってなんていられない。
こうなったら、この一室で――!
その時、ティアナの耳に静かな
「ティアナ様」
「なに?」
ほんの少しだけ扉を開いたミラジーンの呼びかけにぶっきらぼうに答える。
「フェニーチェ殿下がお越しです。急ぎ伝えたいことがある、と」
「お通しして」
ミラジーンには甘えてしまって不機嫌さを隠すことができなかったが、フェニーチェが相手なら話は別だ。
ティアナは深く深呼吸してから「どうしたの?」といつもと変わらない微笑みで問いかけた。
しかし、数日間とはいえティアナを近くで見てきたフェニーチェにとって、今のティアナが無理をしているのは明らかだった。
「あの、ティアナ様。ザクス様がお話があると申されています」
「え?」
フェニーチェが脱力すると年齢不相応な挑発的な目つきになった。
「
「でも、グリンロッド王国とレインハート王国は遠すぎるってリーヴィラ様が……」
「あんな楽観主義の自己中心的な奴と一緒にするな」
「で、でも――」
「ええい! うるさい! 20秒経ってしまうだろ。今すぐに支度しろ。定員はお前とこいつだけだからな」
律儀にドラウトとの約束を守るザクスが天上界に戻ると、またしても脱力してから意識を取り戻したフェニーチェが頭を下げて扉の方に駆けて行った。
「殿下、ザクス様にお礼を言っておいてもらえるかしら」
「ティアナ様が直接、お伝えした方がお喜びになられますよ!」
「そう……。そうね。そうするわ」
緊急事態の際はドラウトの転移魔法を重宝しているレインハート王国だが、ドラウトが倒れた時のことは想定していなかった。
客観的にはドラウトが健康そのものだったからだ。
陸路、海路、空路、どれをとってもドラウトの体に負担がかかってしまう。
しかし、神であれば話は別だ。
藍色の翼を広げ、巨大な羽を舞い散らしながら大空を飛ぶザクス。
その速度は飛竜種とは比べものにならない。それでいて背中に乗せているティアナとドラウトに負担をかけないとなれば、驚きを超えて恐ろしさを感じる。
あっという間にレインハートへと送り届けられたティアナだが、お礼を言う前にザクスは飛び立ってしまった。
「思ったよりも速かったな。あれ? あいつは逃げたのか?」
「リーヴィラ様! ザクス様ならたった今」
ティアナが空を指さしても鳥神の姿は遥か遠くで小さくなっていた。
「ちぇ。文句を言ってやろうと思ったのに」
「それよりもドラウトを運ばないと」
ドラウトの腕を持ち上げようにもティアナの力では脱力している成人男性を支えられるはずがない。
見かねたリーヴィラは体を巨大化させて、自身の背中にティアナとドラウトを乗せた。
今の大きさは馬車と同じか少し大きいくらいだ。
しかし、巨大な蛇には変わりなく、そのまま王宮内を突き進むものだから各所で悲鳴があがった。
早速、夫婦の寝室に運び込まれたドラウトをベッドの上に寝かせる。
まだ意識は戻らないが、グリンロッド王国に居るときよりも安らかな様子だった。
「やっぱり他国で魔法を乱発するとダメだな。そこは何代経っても変わらねぇな」
「昔からそうなの?」
「うん。この国の中で嬢ちゃんと一緒にいるからレインハート家の呪いをある程度は抑制できるみたいだ。他国だと恩恵が薄れるのかもな」
「もっと早く教えて欲しかったです。知っていれば無理なされなかったのに」
「いやいや。坊ちゃんならやってたさ。オレだってそうしてた」
リーヴィラはそれだけ言うと小さな体に戻って窓の隙間からバルコニーに出てしまった。
「ドラウト様」
手を握り、名前を呼ぶとわずかに握り返してくれた。
「ティアナ? ここは僕たちの部屋か?」
「はい。ザクス様が運んでくれました」
明らかに顔色が良い。
リーヴィラの言う通り、他国よりも自国にいる方が体への負担が少ないのだろう。
「ティアナ」
ドラウトの手がティアナの頬を撫でる。
そのまま後頭部に手を回され、引き寄せられ、首筋を
「お体は?」
「むしろ良い」
「もう……」
◇◆◇◆◇◆
軽く唇が触れ合ってからの記憶はなく、目覚めると血色良いドラウトが髪を撫でてくれていた。
「またティアナに負担をかけてしまった。すま――」
ドラウトの謝罪の言葉を遮るべく、ティアナが唇を塞ぐ。
「わたしが嫌々、肌を重ねているとお思いですか?」
「そうだね。すまない。おっと」
ドラウトにそう言ってからティアナは真っ赤に染めた顔を背けた。
「……これが治療だなんて口が裂けても言えないわ」
「なんだって?」
「な、なんでもありません」
照れ隠しで枕を投げつけてくる姿も愛おしい。
ドラウトはティアナに溺れに溺れ、枯渇していた命の泉は湧き出した。
体力も魔力も全回復。ドラウトにとってレインハート王国が病室で、ティアナが特効薬なのだ。
(ドラウト様はレインハート王国にいるのが一番なのね。他国では魔法を使わせないようにしないと。わたしもナビラ王国を訪問した後はどこにも行かないようにしよう。それならずっと一緒にいられるわ)
(父上から受け継いだ古文書には、聖女の家はシエナ王国の精霊殿だけだと書かれていた。僕はティアナを縛り付けているのか。ティアナ……きみをシエナに帰すべきなのか)
お互いの本心を隠したまま、二人は静かに抱き合うのだった。
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