第73話 聖女、雪解けを取り持つ

 地上に戻ったティアナはドラウトと共にグリンロッド王国の王宮へと向かい、フェニアス・グリンロッド王との謁見えっけんを果たした。


 初めてティアナが謁見えっけんの間を訪れた時とは景色が全然違う。


 あの時はずらりと王子たちが並んでいたが今は誰もいない。

 フェニアス王は修道服の男性に囲まれ、扉の前にはレインハート王国とシエナ王国の騎士が配備されていた。


「此度の件、誠に申し訳なかった」


 しわがれた声で謝罪の言葉を述べ、頭を下げたフェニアス王にティアナは驚きを隠せなかった。


 初対面の時とはまるで別人だ。

 緊張から解放されたような、年齢相応の穏やかな表情だった。


「全ては我がグリンロッド王家の怠慢が招いた結果だ」


 彼は静かに王国の事情を語り始めた。


「古くから我らグリンロッド王家はグリルベルデ王家と深く関わらないようにするために、それでいて争いを避けるために彼女たちを辺境へと追いやった。幸いにも彼女たちは強い。辺境伯領の統治を任せ、敵国からの侵攻を防ぐ役目を与えたのだ」


 きっかけはどうあれ、国境警備を任されたことで歴代の聖女と一番に接触することができ、都合の悪い相手の受け入れを拒否することができたというわけだった。


「我らグリンロッド王家の人間は幼い頃からグリムベルデ家とは関わるなと教わって育つ。わしも肝に銘じていた。じゃが一瞬の隙を突かれ、はめられたのだ」


 これまで頑なに口を閉し、誰にも伝えてこなかった秘密を打ち明けようとするフェニアス王だったが、その唇の動きは重い。


「フェニアス王、その話は先ほど個人的に聞かせてもらっている。僕の口からティアナに伝えてよければ、こんなにも大勢の前で不名誉を語る必要はない」

「畏れ多い、若きレインハート王よ。益々、先代に似てきたな」


 まさか父親と比較されると思っていなかったのか、僅かにドラウトの鼻腔が開いた。


「グリンロッド王国のみならず、大陸を救ってくれたのはティアナ様とドラウト陛下だ。如何なる処罰も受け入れる所存である」


 ただ、とフェニアス王。


「フェニーチェだけは見過ごして欲しい。あの子は純粋なグリンロッド王家の血を継ぐ後継者だ。たとえ、国を明け渡してもグリンロッドの血を絶やすなどザクス様に顔向けできない」

「ティアナもそれを望んでいる。僕はティアナの意思を何よりも尊重するつもりだ」

「痛み入る」


 フェニアス王が再び、頭を下げる。


「フェニーチェ殿下は陛下の子ではないのですよね?」

「いかにも。あの子はグリンロッド王国を去った王族が他国で愛を育んだ結果だ」

「ご両親は? どうして国に戻ったのでしょう?」

「両親が誰なのか、わしにも分からぬ。ザクス様が言うには両親共にグリムベルデによって殺されている。あの子はティアナ様の声明の後にひょっこり現れたのだ」


 ティアナの声明とは、シエナ王国においてマシュリではなく、自分が真の聖女であると宣言した時のことだ。


「疑うことはなかった。他でもないザクス様が宿れるからだ。あの子が唯一のグリンロッド王族であるとザクス様が証明してくださっている」


 シュナマリカ・グリムベルデが聖女に心酔するように、フェニアス・グリンロッドは鳥神ザクスを盲信している。


 それは彼の過去の経験からくる絶対的な信頼だった。


「迷惑をかけたな、フェニアス」

「ザクス様!」


 厳重に警備されている謁見えっけんの間の扉が開く。

 重々しい雰囲気の部屋に入室したのはフェニーチェだった。


「あの夜、我を体から追い出してくれなければ、我自身もグリムベルデによって汚されていた。あの日からお前を一人にしてすまなかった」


 年齢不相応な渋い顔で苦々しく語るフェニーチェ。


「何を仰いますか。あなた様と過ごした日々はわしの大切な思い出です。あなた様を迎え入れられたことをグリンロッド王族として誇りに思います」


 フェニアス・グリンロッドは元ザクスの依代であり、フェニーチェの前任者でもある。


 純血種としてザクスの神託しんたくを聞き、王国の繁栄に尽力してきた。

 しかし、成人を祝うパーティーの夜、グリムベルデによって犯された。


 とっさにザクスとの繋がりを断ち切り、彼を守ったフェニアスはそれからも度々犯され、合計六人の望まぬ王子の父となった。


 現在のグリンロッド王妃は不在だが、王子たちの母親である六人の非公認の妻がいることになる。


 グリンロッド王家の力を失いつつも、ジリジリと這い寄るグリムベルデの魔の手を抑圧していたフェニアス王。

 それでも聖女誘拐など数々の事件を未然に防ぐことはできなかった。


 そんな時にティアナの声明を聞き、フェニーチェを見つけ出したザクスがグリンロッド王国に舞い戻った。


 ザクスはフェニアスとグリンロッド王国を守るために天上界から降りてくるのに対して、フェニアスはザクスとフェニーチェを保護するために後宮に軟禁するという不器用な手段を取った。


「では、わたしを王国に召喚したのはお二人で話し合った結果だと?」

「いや、それは違う。わしはシエナ王国の聖女様が来ているとは知らなかった。だから、謁見えっけんの際に我が国の内情を見聞きするように頼んだのだ」

「……我の独断だ。グリムベルデに取られるくらいなら天上界に連れて行ってしまおうと考えた。それに聖女は我の元を訪れる約束だったのに、何百年も反古ほごにされていたから我慢ならなかった」


 要するに神様のわがままに付き合わされたということだ。


 結果的に機転を効かせたティアナのおかげでグリンロッド王国の問題を解決できただけで、危ない賭けに変わりはなかったことになる。


「今後一切、ティアナに関わるな」


 一際不機嫌なドラウトの一言で場が凍りつく。

 フェニアス王は素直に従うと明言したが、ザクスは言い淀んだ。


「聖女は我の――」

「何度も言わせるな。すでに多くの血が流れた。ガキ一人分が増えても誤差にしかならないぞ」

「うぐっ」

「約束するならフェニーチェ・グリンロッドの身柄はレインハート王国預かりとする。王妃たっての願いだ。叶えないわけにはいかない」

「本当か⁉︎」

「ただし、貴様とティアナが対面するのは20秒だけだ」

「ほわぁ⁉︎ 短すぎるだろ!」

「なら、ペロル・パタパリカ火山に突き落として、蛇と兎の餌にしてやろう」

「き、貴様ッ!」


 フェニーチェ(ザクス)がドラウトに殴り掛かろうとしても、身長差がありすぎて喧嘩にすらならない。


「グリンロッド王国もシエナ王国と同じく僕の従属国とする。フェニーチェ王子が成人するまでは、引き続きフェニアス王に王国の統治を命じる。自分で蒔いた種だ。出た芽は自分で刈り取ってもらおう」


 表立って動けないフェニアス王に代わって、グリンロッド王国のゴタゴタを解決したのだから事後処理は当然だろ、とドラウト。


「フェニーチェ・グリンロッドの件に関して異論はないな」

「そうしてもらえると助かる。あれはティアナ様に懐いているようだからの」


 ふん、と鼻を鳴らしたドラウトに続き、ティアナも謁見えっけんの間を後にした。



◇◆◇◆◇◆



 長い廊下の天窓にのしかかっていた雪は溶けて青空を見上げることができた。

 ザクスが太陽を覆うのを止め、泣き止んだ結果、グリンロッド王国の天災――『豪雪』がおさまった。


 かつて、ティアナが子供たちと遊んだスケートリンクも溶けてしまい、今はただの小さな池になっている。


 重い雪によって成長できなかった草花も芽を出し、春の訪れを告げているようだった。


「やっとレインハート王国に戻れますね」

「あぁ。早く……ティアナと……いっしょ……に」


 そこでドラウトの意識が途切れた。

 ティアナが物音に気づいた時には、よろめいたドラウトが壁に背を預け、床にへたり込んでいた。


「ドラウト様――?」


 何が起こったのか分からず、廊下に倒れたドラウトの肩を揺することしかできない。


 悲鳴を聞きつけたミラジーンたちが到着するまでの間、ティアナは狂ったように何度も何度もドラウトの名前を叫び続けた。

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