第14話 雨女、神様に気に入られる

 大前提としてシエナ王国に魔法使いはいない。


 もとより魔法適性を持たない民族で魔法を忌み嫌っている人も多い。

 自分たちが魔力を持たないから嫉妬しているだけだ、と周辺諸国から言われたりもしているが、なんでも魔法に頼るのは未来のためにならないというのがシエナ王国側の主張である。


 そんな国で生まれたからといってティアナは偏った考えを持つ少女ではない。

 血統の問題で魔法適正は皆無だが、ドラウトの魔法を身近で体感し、感動を覚えたのは紛れもない事実だ。



* * *



 空っぽの滝壷を見下ろす位置で魔法について初歩的な指導を受けたティアナだったが、そう簡単にはいかなかった。


 むしろ悲惨な状況だ。


 周辺一帯にゲリラ豪雨をもたらしたり、雷まで呼び寄せたりと大荒れの天気に、ティアナ自身も呆れてしまうほどだった。


 悲壮感漂うティアナと目線を合わせたドラウトが手をとる。

 そして、優しく甲に口づけした。


「前にも言ったが、これは信頼の証だ。僕は心からティアナ嬢を信頼している」


 突飛な行動に呼吸を忘れ、口をパクパクさせるティアナは頬を上気させて立ち尽くす。


「ティアナ嬢は間違いなく聖女だ。僕が保証するよ。きみは類を見ない尊い存在になる」

「…………はい。あ、ありがとうございます」


 なんとか捻り出した言葉だったが、鼓動がうるさくて自分の声は聞こえなかった。


「とにかく落ち着こう。見る限り、ティアナ嬢の感情の起伏が天候を左右している」


 初めて聖女の力が宿った日から今日まで気づかなかったことをドラウトは短時間で見抜いてしまった。


 思い当たる節が多すぎて嫌になる。

 第一聖女のマシュリはどれだけ感情をあらわにしても完璧にコントロールしていたことを思い出して、更に自分が情けなくなった。


「まずは深呼吸だ。余計なことは考えなくていい」


 ドラウトの指示通りに深い呼吸を繰り返し、頭の中を真っ白にする。

 聞こえるのはドラウトの心地良い声だけになった。


 大雨でも頭の中だけは二人きりで森林浴を楽しんでいるような気分でたたずむ。

 すると、不思議と悪天候が収まってきた。


「通常の水魔法はたゆたう水面を崩さないように扱うのがコツだ。もう一度やってみて」

「はい」


 目を閉じて水面に映る自分の顔を強くイメージする。

 映る顔が揺れないように心を研ぎ澄ました、次の瞬間――



 聞こえてきたのは耳を疑うほどの大きな激流の音。



 肩を震わせたティアナが目を開けると、桶に入れた水をひっくり返したように滝壺に向かって大量の水が降り注いでいた。


「魔法適正がないのが惜しい。ティアナ嬢なら魔法使いの道も明るかっただろう」


 注がれる大量の水は濁流となり、滝壺から各領地へと繋がる川を進む。


「こ、これをわたしが⁉︎ ほ、本当ですか⁉︎」


 いつも細めている目をこれでもかと見開き、口元を手で隠すティアナがドラウトを見上げる。

 ドラウトは当然だ、とでも言いたそうな自慢げな表情だった。


「これで水源である滝の復活だな」

「ドラウト様、ご教示ありがとうございました!」


 しとしと降る雨の中、二人はレインハート王国の魔法について語りながら屋敷へと戻った。


 しかし翌日、滝壺を訪れると水は綺麗さっぱり無くなっていた。


「むぅ。もっと上流で何かが水路を塞いでいるのでしょうか」


 ティアナの力で滝を復活させられるのは一時凌ぎでしかなく、根本的な解決には至っていない。


 仕方なく二人は更に山頂へと転移して、滝の出発点を目指した。


 周囲一帯を木々に囲まれた神聖さを感じさせる山の奥へと辿り着いた頃、ティアナは後ろ髪を風に撫でられた気がした。


「ここだな」

「はい。あっ! あそこに大きな黒いものがありますね。きっとあれが原因ですよ」

「そんなものはどこにもないが?」


 落ち着きなく髪を触るティアナには、はっきりと大岩が見えてる。

 しかし、ドラウトの反応は全く異なるものだった。


「え? ほらここにおっきな蛇が丸まって寝ていますよ」

「蛇だって⁉︎」


 声を裏返すドラウトの手を引き、岩のような蛇の前まで移動したティアナがそっと触れる。

 あまりにも硬い。しかし、岩のようにゴツゴツしてはいない。それはまるで乾燥しきった鱗のようだった。


「うわぁ」


 そのとき、ティアナの頭の中に声が聞こえた。


 飄々ひょうひょうとした子供のような話し声だから絶対に違うと分かっていたが、念の為にドラウトに聞いてみる。


「ドラウト様、何かおっしゃいましたか?」

「いや、僕はなにも」

「そうですか」


 怪訝顔のティアナ。

 今でも頭の中では「オレが見えるのか?」という声が聞こえていた。


「はい。見えていますし、触っています」


 突然、話し出したティアナを不安げに見下ろすドラウトも何もない空間に恐る恐る手を伸ばしてみた。


「こ、これは⁉︎」


 今までドラウトには見えなかったものが確かにそこにあった。


「ドラウト様、蛇さんが『レインハートの王族に触られたのは久々だぜ』と言っています」

「僕のことが分かるのか」

「そうみたいです」


 触れた瞬間からドラウトもティアナと同じものが見えるようになっていた。

 巨大な岩のように体を丸めた黒い蛇だ。


「ごきげんよう。わたしはティアナと申します。あなたはどうして水路を塞ぐのでしょうか」


 臆することなく挨拶をして問いかけるティアナの度胸に驚きつつ、ドラウトはいつでも転移魔法を発動できるように構えた。


『それが定めだからだな』

「定め、ですか。いったいどなたが決めたことなのでしょう。王国のみんなが困っているので、ぜひ退いていただきたいのですが」


 目の前で真っ赤な舌を出し入れされても怯まないティアナの姿には蛇も気圧されているようだった。


『オレがここを退くには聖女が必要なんだな』

「わたし、聖女です」


 一応……と小声で付け足す。


『そいつは失礼したな、嬢ちゃん』

「あなたを解放する方法があるのなら教えてください」

『いや~、でもな~』

 

 縦長の瞳孔がティアナに向けられる。

 いつまで経っても訝しむだけで解決策を提示してくれないことにティアナは愚痴を漏らしてしまった。


「やっぱり偽物の聖女ではダメなのね」

『聖女に本物も偽物もないだろ~。でも、もしも嬢ちゃんが本当に聖女ならここにいちゃマズくね? 聖女はシエナに必要なのに』


 なぜ、シエナ王国の名前が出てくるのか分からない。

 ティアナは傘を持ってくれているドラウトと顔を合わせた。


「わたし、偽物の聖女だと言われてシエナ王国を追われたの。だから戻らないわ」

「ぶっ!? クハ……グハハハハハハッ!!』


 顎を外しながら笑う蛇の姿に戸惑いを隠せない。

 思わず、ドラウトが拳を握ってしまうほどの重圧感を放っていた。


『愚かな人間がいたもんだな〜。今頃、シエナは大変なことになっているだろうぜ』


 その言葉にティアナは小首を傾げた。


『物は試しだ。嬢ちゃん、オレに水をかけてくれよ』


 ドラウトに背中を押され、練習通りに蛇の開いた口に向かって大量の水を降らせるように強くイメージする。

 第一聖女であるマシュリのように水球を浮かび上がらせることはできず、一カ所だけに豪雨をもたらした。


『うおぉぉ! これは間違いねぇ! 全身が潤う!』


 先程までガチガチに固まっていた皮膚が湿り始め、蛇がもぞもぞ動き出す。

 ティアナとドラウトの足元には堰き止められていた水がちょろちょろと流れ始めていた。


 やがて長い時間をかけて脱皮を終えると、苔の生えた黒緑色の皮膚の下からは一点の曇りもない真っ白な皮が出てきた。赤い蛇の目がティアナとドラウトを交互に見つめ、体を起こす。


『礼を言うぜ、嬢ちゃん』


 蛇行してどこかへ消えるのかと思っていたが、巨大な蛇は姿を小さくしてティアナの足首に巻き付いた。

 一見すると装飾品アンクレットにも見えるが、紛れもなく蛇だ。


「あら……」

「ティアナ嬢、平気なのか?」

「はい。噛んだりはしないようです。ひんやりしていて気持ちいいですよ」


 ドラウトの頬が引きつっていることなどつゆ知らず、ティアナは滝の水を堰き止めていた蛇の頭を撫でた。


「蛇さんのお名前は?」

「オレ? オレはリーヴィラっていうんだ」

「リーヴィラ!?」


 脱皮後はドラウトにも蛇の声が聞こえるようになったらしい。珍しく驚愕するドラウトに、リーヴィラを知っているのか質問を投げかけた。


「レインハート王国の守り神、竜神リーヴィラ。おとぎ話の存在だ」

「ところがどっこい。オレはずっとこの国にいるぞ。まぁ、こうして人間と会話をするのは何百年かぶりだけどな」


 小さな体になったリーヴィラが足元からティアナの肩まで這い上がってきて、ニシシと目を細めて笑う。

 愛嬌のある笑顔からは神々しさは感じられなかった。


「シエナ王国の聖女は16歳になったらオレを起こしに来る約束なんだけど、だいぶすっぽかされてたみたいだな~」


 気の抜けるような間延びした声。

 ティアナの頭の中は疑問符でいっぱいだった。


「おめでとう。嬢ちゃんは16歳になってないのにオレを起しに来た初めての聖女だ。気に入ったから庇護下においてやるよ」


 他国の守り神を肩に乗せるなんて畏れ多い。

 しかし、歴代の聖女を知るリーヴィラが近くに居てくれるなら心強い。


 ティアナたちの足元では堰き止められていた水が少しずつ水量を増やし、下流へと続く水路が出来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る