第15話 雨女、ワクワクする

 ある日の昼食時、ティアナの何気ない質問に食堂内は凍りついた。


「ドラウト様は転移魔法以外にどのような魔法が得意なのですか?」


 これまでにない空気感にティアナは困惑した。


「……あれ? わたし、変なことを聞きました?」


 レインハート王国に来てもう半年は経つが、これまでにティアナが見たドラウトの魔法は一種類だけだ。


 ドラウトがあまりにも手軽に転移魔法を使うものだから、レインハート王国民には馴染みのある魔法なのだと思っていた。しかし、実際には最上級魔法で使い手はそうそう現れないと聞かされ、腰を抜かしそうになったのはつい数日前のことだった。


 そんな高難易度の魔法をいとも簡単に扱うのなら他にも数々の魔法を会得しているのだろうと思ったからこその質問だった。


「僕が使えるのは転移魔法だけなんだ」


 わずかに声が震えている。

 二人は隣り合って食事をするわけではないから、ティアナがどれだけ目を細めてもドラウトの表情は読み取れない。

 だが、声色の変化だけは誰よりも鋭敏に感じ取っていた。


「一つの魔法を極めたからこそ、わたしを連れて各地へ移動できるということですね」

「あの魔法は効率が悪いんだ。それに時間と空間に歪みを生じさせるから酔わない人の方が珍しい。ティアナ嬢は特別なんだよ」

「わたしも最初は気を失ってしまいましたね」

「あの時は疲労によるもので転移魔法に耐えられなかったわけではないよ。でなければ、一緒に転移魔法は使わないさ」


 はて、と小首をかしげる。


「ちなみにミラジーンやリラーゾは僕の転移魔法に何度も耐えられないから、主な移動手段に砂竜や飛龍を使うんだ」


 言われてみるとそうだ。

 ティアナはどこに行く時もドラウトと一緒に転移魔法で移動する。一瞬のうちに目的地に到着してしまうから、二人でお茶をして待っていることは日常茶飯事だ。

 毎度、しばらくしてからやって来るミラジーンたちは滝汗をかいているから、聖女の力で冷ましてあげるのが最近の当たり前になっていた。


「ティアナ嬢、今日の予定は?」


 背後に控える護衛騎士件専属侍女であるミラジーンに目配せすれば、彼女は静かに首を振った。それを確認してから答える。


「特にはありません」

「では、町へ行こう。準備ができ次第、玄関へ来て欲しい」

「分かりました」


 そう言って席を立ったドラウトの背中を見送ったティアナはミラジーンと共に私室に戻り、着替えを始めた。


 着替えにも慣れたものだ。裸を見られることへの気恥ずかしさは最初だけで、今では何とも思わない。

 ただ、胸にある小指の先ほどの大きさの精霊紋だけはあまり見られたくなかった。


「わたし、太ったよね?」

「……正直に申し上げてよろしいのですか?」

「それはもう言っているようなものだよ」


 苦笑するティアナが鏡に映る自分の体をまじまじと見つめる。

 レインハート王国に来たばかりの頃は痩せっぽちで、なんとも魅力のない貧相な体だったが、今では程良く肉付きがよくなっていた。


「すらりと伸びる四肢に、すべすべのお肌。艶のある髪。何もつけなくても良い香りもします。ここに来られた時よりも随分と女性らしくなられましたよ」


 同性とはいえ、そこまではっきりと褒めてられて照れるなとは酷な話だ。

 ティアナはミラジーンから服を奪い取り、体を隠すように抱き締めた。


「あと半年で16歳ですね。ドラウト様との婚礼の儀までもう少しです」

「そう……だね。わたし、結婚するのにドラウト様のことを何も知らない。さっきの魔法の話、嘘でしょ?」


 ミラジーンの動揺は明白だった。


「教えてよ。ドラウト様が他の魔法を使わない理由を」

「……使わないのではありません。使えないのです。先ほど、ドラウト様が仰っていた通りです」


 訝しむティアナから逃げるように手をはやく動かすミラジーン。

 ティアナは渋々頷いて小さくお礼を言った。


「あとは自分で聞くわ。わがまま言ってごめんなさい」

「いえ。それがよろしいかと。これから夫婦になるのであれば尚のことです」


 夫婦と言われてもピンとこない。

 シエナ王国にいる時は好きでもない王子の伴侶になることを受け入れられなかったが、レインハート王国に来て初対面のドラウトに求婚された時は断らなかった。


 意表を突かれたという面もあるが、最初からドラウトを強く拒んでいなかった上に、もっと知りたいと思っていることに最近になって気づいた。


「お待たせしました」


 着替えやヘアセットを終えて玄関に向かうと既にドラウトは準備を整えていた。


「歩いて行こう」


 転移魔法を使わないのは食堂での一件があったからだろうか。

 そんな風に勘ぐりながら玄関脇に置かせてもらっている傘を持つ。


 ドラウトは護衛を付けない。この屋敷にいる誰よりも強いからという理由もあるが、危険が迫っても転移魔法で離脱できるからだ。

 というのは建前で一番の理由は他者に干渉されたくないというものである。


 そんな口出しや監視を嫌うドラウトだが、ティアナの護衛だけは誰にも譲らない。余程の急用があるときに限り、仕方なくミラジーンに任せているという状況だった。


「傘をこちらに」

「ありがとうございます」


 いつものようにドラウトが傘をさしてくれる。


 ドラウトによる指南とアンクレットに擬態している竜神リーヴィラのおかげで聖女の力をコントロールしつつあるが、まだティアナが空の下に出ると雨は降ってしまう。だから、雨傘は必需品だ。


 いつものように一本の傘に二人で入って町を目指す。

 いつもならドラウトは丁寧に相づちを打って、話の聞き手に回ってくれるのだが今日は違った。


「ティアナ嬢のおかげで滝も川もできた。以前のような濁流ではなく清流だ。流れも速くはないから氾濫することもない」

「これでお洗濯やお野菜を冷やすことにも困りませんね」

「あぁ。そこで数百年振りにランタンフェスティバルを開催してみることにした」


 聞き慣れない言葉に眉間にしわが寄る。


「レインハート王国に伝わる、年に一度のお祭りだそうだ。王宮の奥に保管してあった古書に書かれていた」


 ドラウトも経験したことがないというイベント事にティアナは瞳を輝かせた。


「具体的には何をするお祭りなのですか!?」

「国内を縦断する川にランタンを流すことで新年の祝いと豊作を祈るらしい」


 開催を決定したものの、何百年も前に廃れた祭事で誰もが手探り状態のため伝統通りにできるか分からないとドラウトは語った。


「いいなぁ」

「え?」

「誰も知らないお祭りを皆で作り上げるなんて、皆さんきっとわくわくしていますよ。わたしも何かお手伝いできませんか?」

「いや、ティアナ嬢、話を聞いていたか? 無事に始められるかも分からないし、終えられるかも分からないんだ」

「でも、何が正解なのかドラウト様もご存知ではないのですよね?」

「そ、それは……」


 口ごもるドラウトを見上げ、ティアナは無邪気に笑う。


「それなら、どんな始まり方でどんな終わり方だったとしても大成功ですよ。最初から怖がっていては何も始まりません。わたしだって、こうして異国の地で何とか生きていられるんです。絶対に大丈夫ですよ」


 力強い言葉と優しい微笑みはドラウトの心を乱すのに十分だった。


「ティアナ嬢には敵わないな。無事にフェスティバルを開催させて、思う存分一緒に楽しみたい」

「はい。わたしも同じ気持ちです」

「だから――」


 ドラウトが震えた手でティアナの手を強く握る。

 そして、覚悟を決めたような真剣な表情で告げた。




「ティアナ嬢の目を見えるようにする役目を僕に与えてくれないだろうか」




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