第35話 雨女、母国を想う

 真の聖女であるティアナがシエナ王国に戻ったことで悪天候は回復に向かっている。しかし、国民の怒りは収まらなかった。


「俺たちを騙したのか!」

「子供たちの未来を奪っておいて!」

「本物の乾宝石かんほうせきを出しなさいよ!」


 あまりの惨状に言葉も出ない。

 このままギルフォードを国民の前に差し出せば、殴り殺されるのは目に見えている。

 

そんな光景をティアナに見せるつもりのないドラウトは転移魔法を発動させようとした。


「ま、待て! 待ってください! 俺には聖女が必要なんです。こいつが偽物なら、本物の聖女をくれ!」


 地を這い、ドラウトの足にすがりついて懇願するギルフォードの情けない姿にティアナは目を逸らした。


「僕はティアナを心から愛しているんだ。決して、聖女を愛しているわけではない。本を読むのが好きで、人のために一生懸命になれて、自分に自信がないくせに大胆な行動を起こす、そんなティアナが好きなんだ。どうして貴様のような愚鈍な男に渡さなければいけないんだ」


 さも当然のように言い放ったドラウトにギルフォードは放心して言葉を失った。


「ティアナ、先にレインハート王国に戻ってくれ。僕にはやることがある」

「わたしにしかできないこともあるはずです。許されるのなら、わたしもご一緒させてください」


 ティアナの力強い瞳を向けられ、渋々了承したドラウトは噂通りの冷酷非情な王となってギルフォードを睨みつけた。


「我が国であれば、貴様のような愚か者は即刻死刑だ。だが、ここはシエナ王国。あとのことは任せるとしよう」


 シエナ国王が急死し、現在のシエナ王国の実権を握っているのはギルフォードだが、彼はドラウトの足元につくばっている。

 誰が処遇を決めるというのか。


「ギルフォード、もうシエナ王国は終わりだ。私とお前が終わらせた」


 静かに立ち上がり、目深に被った帽子を脱ぐ男。

 ひっそりと民衆の中に身を潜めていたのは、ギルフォードの義兄ヘンメルだった。


「兄上⁉︎」


 唯一、ティアナの肩を持ってくれた男。ティアナとマシュリのどちらが真の聖女なのか判断するには早計すぎると言い、ティアナが16歳になるまではどちらとも特別扱いしないと宣言していた。


「ど、どうして兄上がそんな場所にいる! あんたはこちら側だろ! 責任逃れできると思うなよ‼︎」

「逃げるつもりがないからこそ、恥を忍んでレインハート王室にシエナ王国を統治して欲しいと打診して、国民のクーデターを率いたんだ」


 衝撃的な真実に驚いたのは、ティアナやギルフォードだけではなく、王都に集結した国民も同じだった。

 まさか、自分たちを統率していたのが王族だとは誰も思いもしなかった。


「一人の少女を簡単に国外に追い出すような国に未来はない。私たちはここで死ぬべきだと考え、シエナ王族に代わって国の統治をドラウト陛下に願い出た」

「どうして、こんな奴に⁉︎ 雨のために生贄を出すような王家だぞ! 俺たちよりも残酷だろうが!」

「それは私たちが歴代の聖女を独占したからで、仕方のないことだったんだ。全てはシエナ王族が招いた結果なんだよ」

「嘘だ! そんな妄言は信じない!」


 悔しさを押し殺したような声で静かに語っているヘンメルだが、初めてドラウトから真相を聞かされた時は狼狽え、信じたくなかった。


 しかし、徹底的に打ちのめされたからこそ、素直にドラウトに頭を下げることができたのも事実だ。


「お前も私も王の器ではなかった。それだけだよ」

「俺は認めない! 諦めないからな!」


 そう叫びながらティアナに詰め寄ろうとしても、ギルフォードの手はドラウトに阻まれて届かない。


 困惑する民衆へ向けてティアナは再び、声を張り上げた。


「レインハート王国は追放された、わたしを受け入れてくれました。そのお陰でこうして皆様を、シエナ王国を導くことができるのです。レインハート王国は聖女の恩恵を惜しむことなく国民に与えてくれます!」


 絶望するギルフォードとは対照的に熱狂する国民。

 こうして国民立会いの元、シエナ王国の王権はドラウト・レインハートに譲渡された。


「聖女偽装の幇助ほうじょとしてマシュリ・シエナに関わった全ての者を拘束する」

「そ、そんな⁉︎ 悪いのはこの女です! 私は騙されたのです! どうか、伯爵家だけは!!」

「どうして私だけの責任にするの! あなただって喜んで『娘は聖女だ』って言い回ったじゃない。手を組んだのを忘れたの!?」


 ギロリとドラウトがひと睨みすれば、ヒートロッド伯爵と夫人は卒倒した。


「見る者が見れば、その娘が水魔法を使っているのは明白だ。魔法適性のないシエナ王国民を騙す行為は断じて許されるものではない」


 続いて、ドラウトはギルフォード、マシュリ、ヘンメルを見下ろした。

 ギルフォードとマシュリは力なく腰を抜かしているが、ヘンメルは自分の意思で平伏していた。


「貴様たちの身分は剥奪しない」


 その発言にギルフォードの瞳が輝きを取り戻す。


「ギルフォード・シエナは悪逆非道の君主として極刑とする」


 ドラウトは「ここは僕の国だからね」と邪悪な笑みで、ギルフォードにだけ聞こえる闇に染まった声で語った。


「マシュリ・シエナは聖女を偽った罪で極刑とする」


 両親の隣で絶望の淵に立たされたマシュリの瞳に光はなかった。


「ヘンメル・シエナには、この国の統治を一任する。決して小さくない国だ。僕がレインハート王国で手一杯になって、こちらに手が回らないのは困る。ただし、条件はいくつかのんで貰うつもりだ」

「……寛大なご慈悲、痛み入ります。謹んでお受けいたします」


 焦燥するギルフォードの隣でヘンメルは震えながら答えるしかなかった。


「聖女様はシエナ王国に戻ってくださるのですか⁉︎」


 熱狂する国民の中からの声に、ドラウトの不安そうな瞳がティアナに向けられた。


「いいえ」


 しかし、ティアナの一言がドラウトの不安を消し飛ばした。


「わたしはティアナ・レインハート。ドラウト陛下の妻です。シエナ王国に戻ることはありません」


 ティアナの一言一句で人々が一喜一憂する。


「ですが、シエナ王国を見捨てるような真似はしませんので、ご安心ください。天候も元通りにしますからヘンメル殿下指導の元、わたしの生まれた国の復興を心から願います」


 いつになく厳かな雰囲気で語るティアナの姿を見れば、国民たちも納得せざるを得ない。


 こうして、シエナ王国始まって以来の大暴動は聖女ティアナの帰還によって収束に向かうことになった。

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