第36話 雨女、清める

 「ドラウト様、わたしはリーヴィラ様と精霊殿に向かいます。シエナ王国の精霊たちも国民と同じで心がすさんでしまっていますので、すぐに対処したいのですが、よろしいですか?」


 ティアナとの時間を必要以上に割きたくないからシエナ王国の統治をヘンメルに任せたと言っても過言ではない。ドラウトは一秒でも早くレインハート王国に戻りたい気持ちを押し殺して頷いた。


 シエナ王国にあるケラ大聖堂の裏には巨大な神殿が建てられている。

 その扉は固く閉ざされ、ティアナもマシュリも入ったことはなかった。


「手をかざせば開くぞ」


 リーヴィラの指示に従うと、ガガガガッと音を立てながら扉が開いた。

 薄暗く、冷んやりとしている神殿内に足を踏み入る。


 リーヴィラが青白く光ってくれるおかげで足元がおぼつかないなんてことはない。神殿内は百年ぶりに聖女が訪れたというのに壊れている様子もなかった。


 景色が変わらないから今どこにいるのか、どれだけ歩いたのか分からない。

 しかし、リーヴィラが何も言わないのなら間違っていないのだろう、と信じて進み続けた。


 やがて、精霊殿の中にある質素な造りの小さな祭壇に辿り着いた。


 祭壇の周りには活気を無くした精霊たちが座り込んだり、寝そべったりしている。

 中には怒りに任せて祭壇を蹴りつける精霊までいた。


「だいぶ、荒れてるな〜」


 ティアナについて行ったシエナ王国の精霊たちが慰めても、王国を守り続けた精霊たちは心を閉ざし、聞く耳を持とうとしなかった。


「偽物の聖女をつかまされたら嫌にもなるわな〜。数百年間、放置されたオレよりも酷い仕打ちだぜ」


 竜神リーヴィラはマシュリのせいだと主張したが、ティアナの考えは異なる。


「わたしがシエナ王国を去ったから……」

「それは違うだろ。嬢ちゃんは追い出されたんだぜ」

「この子たちにとっては関係のない話です。国を支えてくれていた精霊たちを蔑ろにする行為を行った人間が誰かなんて些細なことです」

「ネガティブ嬢ちゃんモード全開だ〜」


 場を和ませるようにケラケラ笑うリーヴィラを放置して、ティアナは祭壇を蹴る精霊に近づいた。


「おいおい、不用意に近づいたら――」

「痛っ⁉︎」

「ほら言わんこっちゃない」


 伸ばした指先にバチッと小さな電撃が走り、反射的に手を引っ込めた。


「今はそっとしておけって。天候が安定すれば、こいつらの気持ちも安定するからさ」

「具体的に何日後ですか?」

「一週間くらい?」

「ダメです」


 リーヴィラの返答に間髪を入れずに言ったティアナが祭壇の前にひざまずく。


「これ以上、精霊たちを苦しめたくありません。それに、ドラウト様は早くレインハート王国に戻りたいと目で訴えていました。自国民が心配なのでしょうね。わたし一人をシエナ王国に置いて帰ることはなされないでしょうから、今すぐに精霊たちには再起していただかないと」


 ドラウトの心を理解しているのか、していないのか曖昧なことを言いつつも、ティアナは祈りを捧げる体勢をとった。


 かつて、ケラ大聖堂で学んだ精霊への祝詞のりとを奏上する。


 真の聖女の清らかな声はすぐに精霊たちの心に浸透し、やっとこちらを向いてくれた。


「怒りを鎮めて。悲しみを払拭して。わたしはシエナ王国を見捨てたりしないわ。距離は離れていたとしても、心はあなたたちと共に」


 精霊殿内に水が循環すると、ティアナの足元には水路が生まれ、花が咲き始めた。


 さながらフラワーガーデンだ。

 精霊たちのすさんだ心は浄化され、真っ暗だった精霊殿の中に暖かい光が灯った。


「いや~、ギリギリだったな〜」


 リーヴィラの独り言に小首を傾げる。


「嬢ちゃんの到着が遅ければシエナ王国は沈んでるところだったぜ」

「えぇ⁉︎」


 周辺に海のない国なのにどうして沈むのか分からなかった。


「この国って山と森に囲まれてて、短い川が多いだろ? あまりにも降雨量が多いと大洪水が起こって簡単に水に沈んじまうんだよ。しかも、四方を各国に囲まれているから逃げようにも厄介なんだ」

「そうなの⁉︎ でも、わたしがいなくなってから雨は止んだって聞いたけど……」

「あのなぁ、嬢ちゃん。なんで、聖女が外出すると雨が降るのか考えたことがあるか?」


 考えたことなんてない。

 また雨か、と落胆したことしかなかった。


「適度に降らせないとまとまって降っちまうんだよ。今回みたいにさ。晴れの日ばかりだと作物も育たないし、地面にもヒビが入っちまう。だから、聖女は雨をもたらすんだ」


 それなのに聖堂に閉じ込めるなんて馬鹿な奴がいたもんだぜ、と呆れ顔のリーヴィラ。


「わたしが存在している理由があったのね」

「当然だろ。シエナ王国なんてほっといたら簡単に滅びるんだから」


 確かに聖女に依存しているシエナ王国と違って他の国はそれぞれで問題を解決している。


 シエナ王国にしか聖女が生まれないのではなく、聖女が生まれるからシエナ王国として存続しているのではないか。そんな風に考えさせられた。


 ふと、祭壇の上に人の気配を感じた。

 他の精霊たちとは違って女性のシルエットにも見える。


「誰でしょう。他の子とは雰囲気が違うような……」

「嬢ちゃんについてきてよかったぜ。なぁ、精霊王。久しぶりじゃねぇか」


 いつになくワイルドな物言いにティアナはドキッとした。


「精霊の王様?」

「正しくは女王だな。他の国と違って神を持たないシエナを守護する精霊たちの王だ」

「そ、そんな方が存在しているなんて……」


 頭を下げるティアナに対して、リーヴィラの態度は変わらなかった。

 まるで同格、あるいは自分の方が格上だというように蛇の体躯を伸ばす。しかし、ティアナから見れば、その行動は少しでも彼女に近づこうとしているようだった。


「結局、あの子の存在も消されたってわけかよ」


 悲しみ、悔しさを噛み締める声にティアナは思わず、リーヴィラを抱き締めた。


「ごめんなさい、リーヴィラ様。わたしが正しい歴史を残すから、そんなに苦しそうなお顔をしないで」

「……そうやって、全部背負おうとすんなよ。いつもの脳天気な嬢ちゃんで居てくれよ」

「リーヴィラ様がそう望むのであれば」


 にこっと微笑んだティアナは祭壇に深くお辞儀をして、リーヴィラと共に精霊殿をあとにした。



◇◆◇◆◇◆



 ティアナが精霊殿で祈りを捧げてから十数日後、シエナ王国王都には大勢の国民が集まっていた。


 広場に置かれた断頭台の前に立つのはやつれた顔のギルフォードとマシュリ。そしてドラウトたちによって見つけ出され、拘束されたマルグリット王妃だ。


 当たり前だったシャワーは浴びられず、粗末な食事しか与えられていないのだからギルフォード自慢の容姿は見る影もない。最後まで悪あがきを止めず、生に執着する姿を民衆は嘲笑った。


 妻であるマシュリは精神的にまいってしまい、発言すらできない状態になっている。こちらは何を言われても無反応だ。


 マシュリの背後に立たされたヒートロッド伯爵と夫人はガタガタと奥歯を鳴らし、訪れる死に怯えていた。マシュリの刑が執行された後にヒートロッド伯爵家は廃爵はいしゃくとなり、一家断絶となる。


 唯一、マルグリットだけは二人と違って堂々としていた。誰に何と言われようとも微動だにしない姿は恐怖すら感じる。


 ギルフォードとマシュリの罪はすでに周知の事実だが、マルグリットがシエナ王の暗殺を企て、実行し、ほとぼりが冷めるまで逃げ延びようとしていたことに国民は驚きを隠せなかった。


 彼らはこれからギロチンで処刑される。


 この方法はドラウトの私怨によるものではなく、彼らの罪を広く国民に知らしめ、記憶に留めることで同様の犯罪を未然に防ぐための措置とするものだ。


 ティアナとしてはやりすぎではないかと疑問を抱かないわけではない。できるなら助命したい気持ちだった。


 しかし、ギルフォードとマルグリットは王族でマシュリたちは貴族だ。

 私利私欲のために国を乗っ取り、民をあざむき、大衆の命を危険に晒そうとして良い身分ではない。


 同じ過ちを犯す者を二度と出さないためにも今回の措置は必要悪であると説明されて、ティアナは無理矢理に自分を納得させた。


 拘束されているギルフォード、マシュリ、マルグリットが連行されてギロチンの断頭台へ。

 その首が木枠へと嵌め込まれた。


 無様にも泣き叫ぶギルフォードと違い、マシュリは一言も発しない。

 虚な瞳で一点を見つめたままだ。


 彼女の視点の先にはティアナがいる。


「……お前のせいだ。お前がいるから……お前が偽物なんだ。私じゃない……私は聖女だ! 魔女じゃない‼︎ 返せ‼︎ 私の王妃の座を! 返せ‼︎ 私の宝石を!」


 ティアナを睨みつけ、ぶつぶつと呟き始めたマシュリがやがて激昂する。


「こいつがまともに力を使えないから、私が代わってやったんだろ! お笑いぐさだわ。お前ら全員まんまと騙されやがって! 何が聖女よ! 他国に追放されなければ、自分の力も使いこなせないグズのくせに‼︎ こんなブスに欲情できる男がいたなんて傑作だわ!」


 貴族の最期に相応しくない汚らしい言葉で国民やティアナ、ドラウトを罵るマシュリ。


 ヘンメル国王代理が早々に執行人に合図を送ろうとしたが、ティアナはそれを制した。


「その通りです、マシュリ様」


 罵られた腹いせに、マシュリに罵詈雑言を浴びせていた国民が一斉に黙った。


「わたしを追放してくれてありがとうございました。あなたが居てくれたからこそ、わたしは心から愛する男性ヒトと出会えて、聖女としてシエナ王国を正しく導くことができます」


 嘘偽りない、嫌味のない純粋すぎるティアナの言葉は、残酷なまでに鋭いナイフとなってマシュリの心を突き刺し、抉った。


「ティアナぁぁぁあぁぁぁァァァ‼︎‼︎」


 今際いまわきわに泣き叫ぶギルフォードと違って、マシュリはティアナへの憎悪を吐き出しながらも抵抗はしなかった。


「見続けて平気か?」

「はい」

「斬首でショックを受けないか心配なんだ」


 ドラウトは処刑される二人よりも、ティアナの方が心配だという。

 ティアナはドラウトの手をより一層強く握ることで返答とした。


 マシュリの絶叫が断ち切られる。

 ギロチンがつながれていたロープを執行人が切断したのだ。


 三日月型の刃は一瞬にして罪人を苦痛なく斬首する。

 ドン! という鈍い音に続き、処刑を見届けた大衆からは拍手と喜びの声が上がった。



 悪逆君主、ギルフォード・シエナ。

 傾国の魔女、マシュリ・ヒートロッド。

 暗殺王妃、マルグリット・シエナ。


 三名の名は王族、貴族の行った悪しき例として長いシエナ王国の歴史に刻まれることになった。


 そして、次代の聖女認定にはレインハート王国の立ち会いが必須条件となった。

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