第34話 雨女、高らかに宣言する

「マシュリ様はただの魔法使いです」


 その衝撃的な発言に王宮の目の前まで押し寄せていた民衆がどよめき出す。

 ティアナたち四人がいる場所はすでにバルコニーではない。


 ティアナはもう慣れたが、初めての経験をしたギルフォードとマシュリはキョロキョロと周囲を見渡して自分たちがどこにいるのか確かめた。

 事前の計画通りに転移魔法で暴動真っ只中の民衆の中に移動したドラウトはティアナだけを守りながら語った。


「これが魔法だ。シエナ王国民にとって奇跡にも近い現象を簡単に引き起こすことができる」

「こんな一瞬で⁉︎」


 マシュリは驚きと焦りの色が濃く出た顔で叫ぶ。

 反対にギルフォードは堪えきれない吐き気に襲われ、何度もえずいていた。


「マシュリといったか。貴様が僕の転移魔法に耐えられるのは魔法適正があるからに他ならない。僕たちの披露宴で、僕の体から漏れ出た魔力に当てられた時は足がすくみ上がっていただろう? ギルフォード王子は気づいてもいなかったのにな」

「そ、その雨女だって平気な顔してるじゃない!」

「ティアナの場合は耐性ではなく、精霊の加護によるものだ。それに、僕とティアナはこの魔法で各地を行き来してる。二人きりで、誰にも邪魔されずに、ね」


 こんな緊迫した状況でもドラウトは恥ずかしげもなくティアナとの幸せな日々を思い出していた。


「こほん! と、とにかくマシュリ様は魔法使いなのです。その証拠に、わたしの近くを飛んでいる精霊は見えないはずです」


 マシュリがいくら目を凝らしても精霊たちの姿は見えない。


「それに、わたしの足を見ても驚かないはずです」


 最高品質のシルクをふんだんに使ったドレスを持ち上げ、右足を出す。


「なによ、ネックレスの次はアンクレット自慢⁉︎ たった一年でどこまでも卑しい女になったわね」

「いいえ。こちらの方はレインハート王国の守神、竜神リーヴィラ様です。やはり、見えないのですね」


 すらりと伸びる足には純白の蛇が巻きつき、「ニッシッシッシッ」と馬鹿にしたように愉快そうに笑っている。

 しかし、マシュリにはただの黄金に輝くアンクレットにしか見えなかった。


「わたしが見えている精霊たちもリーヴィラ様も見えないことが何よりの証拠です」

「はぁ⁉︎ そんなもの証拠にならないわ! 私が魔法使い? 冗談にしてもたちが悪すぎる。ギルフォード様も頭のおかしな女に何とか言ってやってください!」


 自分と同じ考えだと思い、ギルフォードを振り返る。

 まだ吐き気が治らないのに追撃を受けたギルフォードの態度はマシュリが期待したものではなかった。


「シエナ王国に魔法使いは生まれない。その忌むべき血を一族の中に入れることを何よりも嫌うからだ」


 ギルフォードの発言は貴族だろうが、平民だろうが、シエナ王国の民にとっての一般常識を繰り返しているだけだ。何もおかしな事は言っていない。

 しかし、先程まで騒いでいた民衆たちは一斉に黙り、全ての視線がマシュリに向けられた。


「そ、その通りですわ! だから、この女は嘘をついていますの! 私は由緒正しきヒートロッド伯爵家の娘ですわよ!」


 マシュリの必死の反論は受け入れられない。


 元からマシュリを深く理解しようとしていなかったギルフォードは、妻ではなく、ティアナとドラウトが提示する証拠を信じた。そして、ゴミを見るような蔑んだ目でマシュリを見下ろしていた。


「ギルフォード様、あなただけは信じてください! だ、だって、あの日の夜、私の太ももにある精霊紋を見たではありませんか! みんなに証明してください! マシュリ・シエナは正真正銘の聖女だと‼︎」


 まさかの暴露をされてしまい、ギルフォードは周囲を見回した。


 夫婦なのだからねやを共にすることに何ら不審な点はない。

 そして、妻の太ももにある精霊紋を見るのは夫の特権だ。


「確かに見た。痣のようなものだった」

「……痣?」


 ギルフォードの証言に唯一、違和感を抱いたのはティアナだけだ。

 自分にも精霊紋があるからこその違和感だった。


「ほら、みなさい。私が魔法使いだなんて侮辱の極みだわ!」


 ティアナは眉間にしわを寄せながら黙りこくっている。


「何も言えないみたいね! この罪は重いわよ! シエナ王妃を貶したんだからね!」


 あまりにも傲慢なマシュリの態度に限界を迎えたドラウトがティアナに目配せすると、ティアナは仕方ないと言いたげに頷いた。

 許可を得てからドラウトが指を鳴らす。すると、三人の男女が突然現れた。


 一人はティアナの侍女件騎士のミラジーン。

 あとの二人はティアナの知り合いではなく、マシュリがよく知る人だった。


「お父様⁉︎ お母様⁉︎ ど、どうして王都に⁉︎」


 混乱するのはマシュリだけでなく、青い顔でうずくまる彼女の両親も同じだった。特に父親のヒートロッド伯爵は酷い有様だ。

 あらかじめ転移魔法が発動するとミラジーンから説明を受けていても初めてで耐えられるはずがない。


「埒が開かないと思って当人を呼び寄せた。ご両親にも聞いてみよう」


 ドラウトの冷ややかな声に気温が下がったように感じる。


「見るに父親の方には魔法適正がないようだな」


 にやりとドラウトの口角がつりあがる。


 ジリジリとにじりよる獣のように、あるいはギリギリと首を締める麻縄のようにマシュリを追い詰める。


「おい、貴様! うちの娘は聖女だぞ! 聖女の親に向かってこんな仕打ちを――ふぎぁぁ⁉︎」


 すぐさま、ミラジーンが顔面蒼白のまま叫ぶヒートロッド伯爵を踏みつけ、耳元で怒鳴り散らした。


「不敬だぞ! こちらの方はレインハート王国、国王ドラウト・レインハート陛下とティアナ・レインハート妃殿下であるぞ!」


 初めて見る鬼の形相のミラジーンにティアナの顔がこわばる。

 やっぱり騎士なんだ、と普段は見せてくれない姿に感動しつつも少し怖かった。


「ひっ! ひぃぃぃぃ! ど、どうして他国の王族が⁉︎ マシュリ、これは一体どういうことなんだ⁉︎」

「お父様、お母様、私は魔法使いなんかじゃありませんわよね⁉︎ 助けてください!」


 なんとかしてくれ、と必死の形相のマシュリを見て、全てを察した父親は視線を逸らした。もじもじしている母親の顔は引きつっている。


「おや? ご両親の様子がおかしいな。理由を聞いてみてはどうだろう」

「お、お母様……」

「わ、わ、私は何も……し、知りません」

「"嘘を禁ず"」


 ドラウトの言霊の力は絶大だ。

 これもティアナを守るだけのために開発した魔法の一つだ。


 どれだけ屈強な男でも、拷問に耐えられるように訓練された兵士でも、誰もドラウトの命令には逆らえない。


「この娘はお前たちの子供か?」

「マシュリは私とこの人の子で間違いありません」


 ドラウトの魔法によって、母親の口からはスラスラと返答が出てくる。


「お前たちはシエナ王国の出身か?」

「この人はシエナ王国出身ですが、私はグリンロッド王国出身です」


 その一言でマシュリは膝から崩れ落ちた。


「娘は聖女なのか?」

「いいえ。この子は魔法使いです」


 母親のたった一言が確立していたアイデンティティを崩壊させた。

 これまで他者をあざむき、自分にも「私こそが真の聖女だ」と言い聞かせてきたマシュリの心を深く傷つけた。


 涙を流しながら赤裸々に真実を語る母親を前にマシュリは絶叫し、やがて虚ろになって天を仰いだ。


「娘は自分が魔法使いだと知らなかったのか?」

「いいえ。この子は自分が何者なのか理解しています。ヒートロッド伯爵家全員で、この子を聖女だと偽るために働きかけました」

「なぜ? 何が目的だ?」

「言うな! やめろ……やめてくれっ!」


 たまらず、ヒートロッド伯爵が叫ぶ。


「"発言を禁ず"」


 しかし、ドラウトの言霊に縛られてそれ以上は話せなくなった。


「マシュリは王妃の座を。この人は伯爵位からの昇爵しょうしゃくを。私は聖女ティアナを。それぞれが欲していました」

「ほう。ティアナをどうするつもりだった?」

「聖女をグリンロッド王国へお迎えすることが私に与えられた使命です」


 ティアナにとっては衝撃的な告白だ。

 そして、ドラウトにとっては想像していたよりも複雑な事情だった。ドラウトは「そうか……」とだけ短くつぶやき、マシュリを見下ろした。


「魔法使いは16歳までに適切な訓練を受けなければ、身体に魔力が定着せず、魔法が不安定になる。大聖堂に預けられ、その機会は与えられなかったのだろう。聖女ティアナを失い、静かに崩れゆくシエナ王国をただの魔法使いが支えていたのは賞賛に値するが、それもここまでだ」


 ヒートロッド家一同が茫然とへたり込む中、ティアナは民衆の前に出た。


 これは、わたしがやらないといけない。

 そんな強い気持ちを胸に抱き、声を張り上げた。


 

「マシュリ・ヒートロッドは聖女ではありません! わたしこそが真の聖女、ティアナ・レインハートです! シエナ王国のみでなく、この世界はわたしが救います‼︎」



 機転をきかせたリラーゾが風魔法を発動させる。

 ティアナの声明は風に流され、シエナ王国全土を飛び越えて全世界へ発信された。

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