第56話 聖女、誘われる
レインハート王国に戻って数日。
しばらくは王宮で過ごし、十分休養したティアナはルクシエラ公爵邸にお邪魔していた。
手入れの行き届いた庭園に置かれたアンティークなテーブルを囲み、近況報告を終えたところだ。
「ルクシエラ様からお借りした書物にあったクラフテッド王国の風習が復活することになりました」
「それはまぁ、さぞ大変だったでしょうね」
今日も優雅にティーカップを傾けるルクシエラの横顔は満足そうで、これ以上ない報告だと言いたげだった。
一通り話を終えたティアナもカップへと手を伸ばす。
「美味しいです!」
「そうでしょう。
ザート領の領主バクサは自分たちが育てた
クラフテッド王国の紅茶よりもフルーティーで飲みやすいのが特徴的だ。
感心しながら再びカップを傾けるルクシエラ。
そんな彼女の右手の薬指には突出する
「そちらはモンド卿に仕立てていただいたのですか?」
「まさか。あの者の作品は妃殿下しか身に付けられませんでしょう」
そうだった、と自分の左手に視線を落とす。
サマク領の領主モンドはドラウトの依頼で至高の
国内随一の宝石職人だ。彼の技術は若い職人に継承され、
「さて、公務の話はこの辺りでいいでしょう。ねぇ、ティア殿下?」
「そうですね。失礼しました、ルクシィ様」
ドラウトとの結婚式で初めて出会い、交流を深めた二人は今では愛称で互いを呼び合う仲になっている。
ティアナがお忍びで公爵邸を訪れる頻度も日に日に増していた。
「もしかして、この指輪も今回のわたし一人での外交も全てルクシィ様の思惑通りですか?」
「そんな人聞きの悪い。私は秘蔵の書物を貸しただけよ」
以前、拝借したクラフテッド王国の歴史が記された書物はティアナ自身が選んだものではなく、「こういう本もあるのよ。知ってる?」とルクシエラが渡してくれたものだ。
「あなたが何を成すのかは誰にも分からないわ。この指輪も、クラフテッド王国との同盟も、誰も想像していなかった。それに向こうの神様まで出てくるとなれば神話級よ」
「そう言われるとそうかもしれません」
「カバリアム侯爵の件もね。あの娘を二度も救ったのだから、一生面倒を見てあげないとね」
「一生ですか!? ミラジーンに見限られないか心配になっちゃいますよ」
「またまた、冗談を」
ティアナにとってミラジーンはかけがえのない姉のような存在だ。
そんな彼女が泣いているのを放っておけるはずがない。その気持ちだけで行動した結果が両国の同盟という形を作った。
これもまた、ジンボのメガネ
「こういうのは妃教育では教えてくれないから実際に経験を積み重ねるしかないの。"あれ"は妻を大切にしすぎて過保護になっているから貴重な機会を奪いかねない」
実際にティアナが離れたレインハート王国ではドラウトが右往左往して、まともに公務をこなせていなかった。
そういう意味ではティアナは本国にいた方が良いのだが、そうするといざという時にティアナの経験不足が露見する。
そんな悩みを打ち明けたリラーゾと、相談役であるルクシエラが結託した結果がこれだ。
リラーゾとルクシエラからすれば上々どころの話ではない。十分すぎる結果に大満足だった。
「"あれ"の防御魔法に簡易転移魔法、加えて龍神の庇護下にあるとなれば、それなりの危険が降りかかってもどうにかなるでしょう。それにティア殿下も以前のように弱々しくはないのだから、ね?」
「はい。ルクシィ様のおかげで強くなれた気がします」
ルクシエラは隠していたパンフレットをティアナの手元に置いた。
「これは?」
手に取ってみる。
「最近、王都で流行っている演劇よ。クラフテッド王国の劇作家が書いた
「へ〜。クラフテッドって製造業だけが盛んなものだとばかり思っていました」
「物作りが好きな民族だから、どんな作品でも妥協せずに作れるのが彼らの美徳よ」
話を聞きながらパンフレットを眺めていたティアナはあらすじを読んで吹き出しそうになった。
「ルクシィ様、これって⁉︎」
「なかなか尖っているでしょ?」
演劇の内容というのは血の繋がった王族の兄妹が障害を乗り越えて結ばれるというものだったのだ。
「でも、クラフテッドでの近親婚は重罪では?」
「ティア殿下の話に出てきた王太子が国王になればすぐに法改正を申し出るでしょうね。それを見越しての
どこまでも愉快そうなルクシエラにティアナは呆れてしまった。
「ザラザール殿下ならやってしまいそうなのが恐ろしいです。そういえば、レインハート王国では近親婚は禁止されていませんね」
「一人でも多く王家の血を継ぐ子が欲しいもの。だから、私が"あれ"の子を産んでも何ら問題はない――」
「大っ問題ですッッ!」
からかうルクシエラに対して、ティアナは珍しく憤慨した。
「それは、わたしの役目です。昨日だって騎士団の小隊くらい子が欲しいと話していたんですよ!」
ルクシエラは指を折りながら苦笑して、「体が持たないわよ」と冷静に指摘した。
「それくらいの気概を持っているという話です。ドラウト様に側室は不要ですからね!」
ふんすっと鼻息を荒くするティアナにルクシエラは笑うしかなかった。
初めて会った時はドラウトと手を握るだけで赤面していた小娘がよくも、まぁ……と呆れ半分、嬉しさ半分といった様子だ。
「さて、そろそろ行きましょう。時間がなくなるわ」
「え? どちらへ?」
「その演劇を観に行くのよ。開場の時間が迫っているわ」
そう言って指に挟んだ二枚のチケットを見せつけて、席を立つルクシエラ。
突然のお誘いは慣れっこだ。
ティアナは元気に二つ返事して、ルクシエラの後を追うのだった。
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