第57話 聖女、叙任する

 レインハート王国の王都にある王宮には大勢の人が訪れていた。


 人々の視線の先にいるのは豪奢な衣装に身を包み込んだ、ティアナ・レインハート王妃。


 彼女の右耳には外交以前にはなかった、黄金に輝くイヤーカフがある。

 必要以上の装飾品を付けたがらないティアナ妃殿下にしては珍しい、と誰もが凝視していた。


 そんなティアナの前にかしずくのは、クラフテッド王国王太子妃候補としてレインハート王国を離れていたミラジーン・カバリアムである。

 彼女もまた正装に身を包んでいる。

 その服装は侍女のものではなく、騎士のものだ。


 しかも、王国魔導騎士団副団長時代のものよりも上等な生地で作られている。

 純白の生地にワンポイントで金とオレンジ、そして水色の装飾を施された長袖、長ズボンの衣装だった。


 今日はミラジーン・カバリアムの叙任式。

 王宮に集まっているのは、その立会人ということになる。


 ティアナの前に剣が運ばれる。


 武器に詳しくないティアナから見ても他の剣とは違うと感じた。

 混じり気のない白銀の剣先。柄は黄金に輝き、小さな朱色の宝玉――紅蓮玉ぐれんぎょくが装飾されている。


 紛れもなく聖剣と呼ぶに相応しい一品だ。

 それを両手で持ち上げたティアナは、想像以上の重さに「ふんっ」と小さな声を上げた。


 その様子が可愛くて鼻先を押さえたドラウトが顔を背けていることなど知るよしもなく、片膝をつくミラジーンへと向き直る。


「ミラジーン、絶対に動かないでね。この剣、とっても重いから扱いきれないかも」


 目を閉じたままのミラジーンには焦りや恐怖感はなかった。


「ティアナ様を信じています」

「……もうっ」


 正式な式にもかかわらず、いつもの調子で会話するティアナとミラジーンはどちらともなく微笑んでいた。


「いくよ」


 叙任に際しての口上を述べ、ミラジーンの両肩に剣を押しつけていくわけだが、ティアナの手は目に見えて震えていた。


 緊張からではない。単純に剣が重いのだ。


 ティアナが勢いよく振り下ろして肩にぶつかる直前に止めて、を繰り返すものだから参列者からは「ひぃっ」と悲鳴が聞こえ、目を瞑ってしまった者までいる。

 中でもリラーゾは「ミラジーン、じっとしていろ。絶対に動くな」と珍しく声を荒げていた。


 対してドラウトは、ティアナの晴れ舞台に目尻を熱くし、その必死で可愛らしい姿に胸のときめきを抑えられずにいた。


「お集まりいただき、感謝申し上げます。皆様立ち会いの下、ミラジーン・カバリアムは正式にわたしの騎士となりました」


 最後にティアナが持っていた剣を鞘に収めてミラジーンへ渡すと彼女はひょい、と持ち上げて腰にたずさえた。


「ザラザール王太子殿下からの献上品よ。謝罪と友好の証だそうでつかはミラジーンの手形に合わせたんだって」

「……どうりで手に馴染むと思いました。変態め」


 苦笑するティアナの隣に控え、堂々と背筋を伸ばしたミラジーンの表情は晴れ晴れとしていた。



◇◆◇◆◇◆



 夜。

 夫婦の寝室で、ティアナは細長い筒に顔を押しつけている。

 片目を閉じ、開いた方の目で筒の中を覗くと摩訶不思議な世界が視界いっぱいに広がっていた。


 不思議な紋様の中でオレンジと赤の粒子が複雑に混ざり合い、ゆっくりと回すとその紋様が姿を変える。


 ティアナは一瞬にして光の芸術品に心奪われた。


「おや、それは?」

「ドラウト様もご覧ください!」


 ティアナの持っている筒を受け取って、同様に片目で覗いてみる。


「カレイドスコープというそうです。ギギも不思議なものを作りますね」


 クラフテッド王国の王女ギギナフィスからの贈り物で、中には細かく砕かれた乾宝石かんほうせき紅蓮玉ぐれんぎょくが入っている。


 これは友好の証というよりも、ギギナフィスからティアナへの個人的なプレゼントだ。


 中に入っている乾宝石かんほうせきの粒子はティアナがモンド卿に頼んで用意してもらったものだが、まさかこのような使い方をされているとは想像もしていなかった。 


 万華鏡をくるくる回しているドラウトの隣で、ティアナはギギナフィスからの手紙を読み終えた。


「どうですか? 世界が煌めいて見えますよね」


 聞きながら顔を上げると万華鏡を覗いていたはずのドラウトを目が合った。


「僕の世界はティアナと出会った時から煌めいているんだ。ティアナを見ているだけで心が癒える」


 新婚と呼べる時期は終わりに近づいているが、まだまだドラウトの言動にいちいち赤面してしまう。


「この筒の中身は確かに綺麗だけど、ティアナの方がもっと綺麗だ。ずっと見えていたくなる」


 テーブルの上に万華鏡を置いたドラウトとの距離が近づく。

 そして、吸い込まれるように口づけを交わした。


「ドラウト様……」


 久々に甘い空気が室内に漂う。

 龍神リーヴィラはそそくさとどこかへ行ってしまったから寝室には二人きりだ。


「ティアナ、寂しかった」

「わたしもです。心は離れていないと信じていても、ドラウト様に触れられないことがこんなにも辛いなんて」


 レインハート王国に来て以来、長い時間ドラウトと離れたのはこれが初めてだ。

 いくら外交の経験が得られたとしてもドラウトと過ごす時間が短くなったのは紛れもない事実である。


 ティアナはシエナ王国では独りぼっちだったから、一度手に入れたものを失う怖さを知らなかった。


 ドラウト様もジンボ陛下のように、年老いて病床に伏せたわたしを愛してくださるだろうか。

 跡継ぎのため、と理由をつけた他の女性に言い寄られてもなびかないだろうか。


 そんな不安が胸の中で脈動していることを自覚していた。でも怖くて聞けなかった。

 今日こそは尋ねようと思っていたがドラウトを目の前にするとやっぱり無理で、言葉が喉につっかえて出てこない。


「僕はティアナだけを愛している。この愛は未来永劫、消えることはない。他の娘に目移りすることもない。だから僕だけの太陽ティアナでいて欲しい」

「……はい………」


 ジンボ王のクラフテッド王妃に対する深い愛情を見せられた後だからこそ、ティアナもドラウトの愛をより一層強く求めてしまった。


 女性としていかがなものか、という考えはすぐに吹き飛んだ。


 いつもよりも積極的なティアナの姿勢にドラウトはしっかりと応えてくれる。

 だから、安心して身も心も委ねられる。


 ドラウトがティアナに溺れているように、ティアナはドラウトに身を焦がしている。


 成就している恋にも関わらず、激しく募る恋慕の情にもだえ苦しむティアナをドラウトは優しく包み込み、夜を明かすのだった。


「ドラウト様、昨夜は失礼しました」

「ティアナの情熱的な姿も僕は好きだよ。恥じることも、謝ることもない」

「……あの、そうじゃなくて」


 もう一つ、ドラウトに伝えるべきことを昨日は失念していた。

 それを言おうとしても昨夜のことが脳裏に浮かんで頭の中が真っ白になってしまう。


「話はちゃんと聞くよ。まずは身支度を済ませよう」

「はい」 


 ティアナとしてもミラジーンたちが来る前に乱れたシーツは直しておきたい。


 しかし、ティアナとドラウトのことなどお構いなしに扉が叩かれ、向こう側から慌てた様子のリラーゾの声が聞こえた。



「陛下、妃殿下! グリンロッド王国から小飛竜便が届きました!!」

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