グリンロッド王国編

第58話 聖女、恋バナをする

 ドラウトのしなやかな指先が耳を撫でる。

 そのなまめかしい動きに肩が震えた。


「……くすぐったいです」

「これは耳に穴を空けているのか?」

「いえ。被せているだけなので貫通はしていませんよ」

「なんだ、よかった」


 ティアナが身につけている獣神アグニルのイヤーカフをピアスと勘違いしていたドラウトはそっと右耳から手を離した。


「たとえ一部だけでもティアナの体を傷つけるなら僕は神殺しもいとわない」


 今のドラウトは本気だと感づいたティアナはより安心させるために手を握り、甘く囁いた。


「わたしを自由にできるのはドラウト様だけです。たとえ神様でも、わたしの心を縛ることはできません」


 あまりの破壊力を誇る可愛さに、にやけた顔を隠す意図もあって強くティアナを抱き締めるドラウト。どうしようもないくらいティアナの全てが愛おしかった。


「おいおい、それくらいで勘弁してやってくれよ」


 そんな冷ややかな声に顔だけを向ける。


「おはようございます、リーヴィラ様」

「おう。お前ら、神の前でも抱擁をやめないのな」

「まだ夫婦の時間だ」

「まだ夫婦の時間です」


 その反応には龍神リーヴィラも苦笑するしかなかった。


「オレはもう慣れたけどよぉ。アグニルは初めてなんだから、お手柔らかに頼むぜ。見ろよ、今にも耳飾りが溶けそうだ」


 そう言われてもティアナには見えない。

 ドラウトに見てもらうようにお願いしても、ドラウトの目には変化がないように見えたらしい。


「変わりないそうですよ?」

「もういいや。許せ、アグニル。このお嬢ちゃんは最初からこんな感じなんだ」


 わずかにイヤーカフが震えたような気がしたけれど、ティアナは気にせずに午前中分のドラウト成分をチャージした。


「よし! では、リラーゾさんの所へ向かいましょうか。なんだか急ぎの用でしたよ」

「グランロッドからの飛竜便だったか。また面倒なことになった」


 目尻を押さえるドラウトに簡単な祈りを捧げる。

 それだけで疲労感が抜け落ちるのだから、聖女の力と絶大なものだ。


「僕は先に行く。そんなに急がなくていいからね」

「はい。ありがとうございます」


 退室したドラウトと入れ替わるように侍女のミラジーンとナタリアが入室してシンクロした動きで腰を折った。


 今のミラジーンの服装は上等なメイド服で、左胸に王妃ティアナを表わすしずくの形のブローチをつけている。


 当然、腰に剣はない。入室してすぐに腰から外した。

 王妃の特務騎士件専属侍女となったミラジーンだが、実直だからこそ今は帯剣していない。代わりにナタリアはメイド服の下に大量のナイフを隠し持っている。


「おはようございます、ティアナ様」

「おはようございます」


 今日もいつも通りの朝だ。

 二人に手伝ってもらって身支度が始まると、ティアナはくつろいでいるリーヴィラを見つめた。


「リーヴィラ様もヘカテリーゼ様のことが好きなのですか?」

「ぶぅぅうぅぅうぅ⁉︎⁉︎」


 勢いよく口から放水するリーヴィラ。


 ミラジーンにはその光景が見えているから急いで布巾を持って駆けつけたが、何も見えないナタリアには、突然、絨毯がびちゃびちゃになったようなものだ。


「な、なんだよ、いきなり! 相変わらず、突拍子もない娘だな!」

「だって、ずっと聞くタイミングがなかったんだもん。それでどうなんですか?」

「べ、別になんでもねーよ、あんな奴。オレたちに無理難題を押しつけて、居なくなった女だぞ。そんな奴のことなんて――」

「でも、好きなんですよね?」

「だから違うって!」

「でも、体は真っ赤ですよ?」


 こういった色恋の話になるとリーヴィラの体はほんのりピンク色に染まる。

 しかし、今日はピンクを通り越して赤だ。


 クラフテッド王国のペロル・パタパリカ火山のマグマに負けない赤さになったリーヴィラはぷいっとそっぽを向き、そそくさとバルコニーの方へ行ってしまった。


「逃げられましたよ」

「むぅ。教えて欲しかっただけなのに」

「普段のティアナ様は前置きが無さすぎるのです」


 聖女様の時とは全然違います、とミラジーン。


「そんなことないよね? ナタリアだって恋愛の話は好きでしょ?」


 黙々と手を動かし続けるナタリアもミラジーンに同感だった。

 そんなことを考えていた矢先に名指しされてしまっては狼狽えるのは当然だ。


「え、あ、は、はい。そういう話は好きです」

「だよねー。じゃあ、ナタリアの好きな人は誰なの?」


 そこに嫌味や皮肉はない。

 ただ純粋な疑問をぶつけただけなのに、ナタリアは大きく後ろに飛び退いた。


 まさに脱兎の如く。

 人間離れした跳躍力にはミラジーンも関心顔だ。


「わ、わわ、私のような者に恋慕を募らせる方はいらっしゃいません!」

「そうなの、ミラジーン?」

「心当たりがないわけではありませんが本人がそう言うのならそうなのでしょう」

「なにそれ⁉︎ わたし、知らないよ!」

「目上の者が使用人の部屋に入ることを禁じたのはティアナ様ですよ。そこでの話が漏れない限り、知るすべはありません」

「そっか、うん。プライベートは大事だもんね。わたしはナタリアを応援してるよ」

「い、痛み入ります、ティアナ様」


 もうティアナに仕えて長いというのにまだかしこまっているナタリアだが、与えられた仕事は完璧にこなしてくれる優秀な子だ。

 聖女暗殺を目的とした刺客を幾度となく討ち滅ぼし、影でティアナを守ってくれている。


 ミラジーンと同じくらい頼れる侍女、そして友人の一人としてティアナも嫌われたくないのが本心だった。


「二人ともありがとう。それじゃ、お仕事を始めますか」


 着替えもヘアセットも終えたティアナが伸びをして扉へと向かう。

 メイド服の上から帯剣したミラジーンとナタリアを連れて、ドラウトの執務室へ。


 いつもなら直接食堂に向かうのだが、今日はグリンロッド王国からの飛竜便の内容を確認するため食事は後回しだ。


 扉叩こうひして入室すると、ちょうどドラウトがグリンロッド王国から届いた封筒を用心深く扱っていた。

 表面は無記名、裏面にはグリンロッド王家の封蝋ふうろうがなされている。


「魔法による細工が施されているな。それもかなり強力だ」

「訓練場など人気のない所で開封しますか?」

「あぁ」


 リラーゾの提案に賛成したドラウトに代わり、ティアナが廊下に待機させているミラジーンとナタリアに声をかけようとした。


「では、兵たちに通達を――」


 その時だ。

 まるでティアナの声がスイッチだとでもいうようにドラウトの手の中にあった封筒が光を放ち、勝手に開封されて中に収められていた手紙が開いた。



『お初にお目にかかる、シエナ王国の聖女よ。我が名はフェニーチェ・グリンロッドである』



 そして、したためられている文が自動的に読み上げられた。

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