第59話 聖女、さらわれる

『お初にお目にかかる、シエナ王国の聖女よ。我が名はフェニーチェ・グリンロッドである』


 突然、話し始めた書状はドラウトの手から飛び降り、折り紙のように人型の形になってお辞儀した。


『レインハート王国、シエナ王国、クラフテッド王国と三国を回ったと聞きつけ、こうして筆を走らせた。是非、我が国にもお越し願えないだろうか』


 折り紙とは思えないしなやかな動きと共にフェニーチェ・グリンロッド直筆の文が読み上げられる。


 魔法具ではなく、書状そのものに二つの魔法がかけられているのだ。


 一つは造形魔法。無機質な物に別の形を与える魔法である。


 もう一つは朗唱ろうしょう魔法。特定の文章を読み上げる魔法である。

 主に解読不可能な文字を読めるようにするための魔法なので、こんな風に使っているグリンロッド王族の応用力を認めざるを得なかった。


 だが、それとこれとは話が違う。


「世迷言ですね」

「シエナ王国を出たばかりのティアナをさらおうとした連中の言うことを聞く必要はない」


 いくらフェニーチェ・グリンロッドが魔法使いとして優れていたとしてもこの内容は許せない。

 リラーゾとドラウトは同時に憤り、動く人型の書状を睨みつけながら吐き捨てた。


『真実を伝えよう。貴殿がシエナ王国を出立した日、グリンロッド王国の馬鹿者が粗相をしたのは紛れもない事実だ。聖女を迎えることで救われると盲信しているからこそ悪手を打ってしまったらしい』


 ティアナはドラウトからその事実を聞かされている。

 あのままドラウトが現れなければ、ティアナはレインハート王国ではなく、グリンロッド王国に迎え入れられることになり、全然違った未来になっていただろう。


『誰も乱暴をするつもりはなかった。これだけは信じて欲しい。もしも、貴殿を迎え入れることができたなら最大級のもてなしをする準備が整っている』


 呆れて言葉が出ないと苛立つドラウトの手が書状に伸びたが、ティアナに止められてすぐに引っ込めた。


「お待ちください。せっかくのお手紙です。最後まで聞かせてください」


『今は亡き、ギルフォード・シエナが我が国へ協力要請を願い出た際は問答無用で断った。なぜなら、我にとって貴殿は何者にも代え難い、尊いお方の可能性が高いからだ。ギルフォード・シエナには何かしらの制裁を加えるように指示していたが、見事に鉄槌を下した貴殿の姿に感服した』


 饒舌に語り、身振り手振りで感情を表現する造形魔法の出来栄えにリラーゾの苛立ちも募り続けた。

 音声は無機質なのに、本人フェニーチェがこの場にいて心中を語っているように錯覚してしまう。


 魔法適正のないティアナなら尚更だ。

 ドラウトとリラーゾが今すぐにでも書状を破きたい気持ちでいるにもかかわらず、ティアナは好奇心を刺激され続けている。


 文章を読み上げ終わったら、この人型の上等な紙はどうなってしまうのだろう。


 フェニーチェ・グリンロッドのしたためた書状の内容よりも魔法の最後が見たい。


 まるでサーカスのフィナーレを心待ちにする子供のように瞳を輝かせるティアナを隣で見ているドラウトがむしゃくしゃするのも無理はなかった。


『とにかく、我は貴殿に危害を加えない。是非、前向きに検討していただけないだろうか』


 前向きも何もティアナの中でグリンロッド王国へ行くことは決定している。


 まだドラウトには伝えられていないが、今日の朝食時には必ず言おうと決めていた。


『最後まで聞いてくれてありがとう。心が決まれば、この書状の下記にあるYESかNOに丸をつけてくれ。我がお迎えにあがろう』


 結語まで読み上げると朗唱ろうしょう魔法が解除されて、同時に造形魔法も解けた。


 折り目のついた紙が開かれ、YESとNOがはっきりと見えるようなっている。


「ドラウト様、わたしはグリンロッド王国に向かいたいと思います」

「そう言うと思っていたよ。今回は一人では行かせられないから僕の準備も整えてある。場合によっては蛇神も連れて行く」

「連れて行くってなんだよ! ご同行願うとか、言い方ってもんがあるだろ!」


 ティアナの頭の上で文句を言うリーヴィラの動きが止まった。


「……嫌な感じだ。鳥肌が立つ」


 あなた蛇でしょ? とツッコミを唱えるティアナ。

 その顔は不満げだ。


 最後は部屋中に花火を撒き散らして書状が爆散するようなド派手な演出を期待していたのに、ただの招待状になってしまった。


「グリンロッドの王族に迎えに来ていただく必要はないかと存じます。クラフテッド王国の隣ですから話を通しやすいですし、空路で向かいましょうか」

「クラフテッドまでは転移してもいい。万全の状態で向かった方がいいな」


 同盟国となったクラフテッド王国なら万が一のときも快く滞在を許してくれるだろう。

 何にしてもティアナたちのグリンロッド王国行きは揺るがない。


 そうこうしている間、誰もテーブルの上に開かれた書状には目を向けていなかった。

 だから、どこからか湧き出た水滴が広がり、『YES』を囲い込もうとしていることに気付けなかった。


「っ! やべぇ! 嬢ちゃん、逃げろ‼︎」


 リーヴィラの叫び声からわずかに遅れてドラウトがティアナに手を伸ばす。


「ティアナ!」

「ドラウトさ――」


 しかし、凍りついた書状から浮かび上がった魔方陣に囚われたティアナには届かない。


 ティアナはドラウトの手ではなく、いつも周囲を飛び回ってくれている精霊の一人を鷲掴みにしたところで光に包まれた。


「くそっ!」

「三重魔法!? 今のは転移魔法ですか!?」

「ちげぇよ。召喚魔法だ。嬢ちゃんは指定された場所に召喚されちまった」


 ティアナの頭上にいたはずのリーヴィラは取り残され、ティアナだけが居なくなった。


「ティアナのアンクレットは無事か!?」

「あぁ。居場所は分かるぜ。グリンロッド王国だ。地上にいる」

「まだ?」


 意味深な物言いにドラウトが問い詰める。


「召喚魔法なんてただの人間に使えるわけがねぇだろ。氷をまとう鳥の神――ザクスの仕業さ。天空の城に連れ去れる前に嬢ちゃんを奪還しねぇと一生手が届かなくなっちまう」


 初めて見るリーヴィラの焦った表情に事態がどれほど深刻なのか受け止めたドラウトとリラーゾはすぐに執務室を飛び出した。



◇◆◇◆◇◆



 一方その頃、召喚魔法によって設定された座標に召喚されたティアナはあまりの寒さに震えていた。


「ようこそ、当代の聖女よ。我こそがフェニーチェ・グリンロッドだ」


 ティアナの前には毛皮のコートをなびかせる銀髪の美少年が立っていた。

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