第60話 聖女、神様に文句を言う

 大陸の北西部から最北端までを占める大国――グリンロッド王国。


 レインハート王国と同様に魔法適性を持つ民族だけの国である。

 以前、ティアナが訪問したクラフテッド王国が王家を持たないのに対して、グリンロッド王国には二つの王家がある。


 一つは現在の王国を治めているグリンロッド王家。

 一つはかねてより王権の奪取を目論むグリムベルデ家。


 かつてグリンロッド家とグリムベルデ家の間では王権をかけた熾烈しれつな争いが度々勃発し、多くの血が流れた。


 穏やかで争いを好まないグリンロッド家とは対照的に、血気盛んで交戦的なグリムベルデ家の女傑たちは何度も戦を挑んでは敗北を喫した。


 そんな歴史から、グリンロッド家が絶対に勝利することができるのは守護神ザクスの加護があるからだと信じられている。



◇◆◇◆◇◆



 レインハート王国とは気候も気温も違い過ぎて、体が環境の変化についていけていないのはすぐに分かった。


 今のティアナは短いスリーブのドレス姿で、とてもではないが雪国へ向かう服装ではない。


 ティアナが召喚されたのは極寒の地であるグリンロッド王国の後宮。

 生半可な気持ちで立ち入れば凍死を免れない地である。


「…………っ……」


 目の前の美少年に文句の一つでも言ってやりたい気分だが、奥歯が震えて口が動かない。動いたとしても凍えた空気によって喉が張り付き、声の出し方が分からなくなった。

 むしろ、呼吸が辛い。

 体の奥から底冷えする感覚に命の危機を感じていた。


「まだ生きていられるか」


 唇を真っ青にしているティアナが生命活動を続けられていることが信じられない様子のフェニーチェは、ティアナの右足首と右耳を見て納得の表情を見せた。


「リーヴィラとアグニルの加護があるということは本物の聖女で間違いないようだな」


 変温動物の姿を持つ龍神リーヴィラの宝具と、炎をまとう獣神アグニルの宝具を与えられているから凍死していないだけで、グリンロッド王国に来るのがもっと早かったならティアナの人生は幕を下ろしていたかもしれない。


「非礼を詫びよう。死ぬな、当代の聖女よ」


 羽織っていた毛皮のコートをかけてくれたフェニーチェがしゃがみ込み、どこを見ているのか分かりにくい白雪のような瞳が近づく。


 ティアナの瞳の中に彼が映っているように、フェニーチェの瞳の中にもティアナがいた。


「似てない」

「……そ、それは……ヘカテリーゼ様と似ていないという……ことですか?」

「もう話せるのか」


 無表情なのに、声は驚きを隠せていない。

 そのアンバランスさに違和感を抱かずにはいられなかった。


 フェニーチェのコートを借りてからは驚くほど体が温まり、全身の震えが治まった。


「ヘカテリーゼは我との約束は反故ほごにしたのだ。貴様の顔が似ていなくてよかった。似ていれば心臓を引きずり出しているところだ」

「幸運でした。一歩間違えれば、わたしは実に心臓を引きずり出しやすい格好でフェニーチェ様の目の前に転移させられたことでしょう。事前に言ってくれれば、相応な格好をしていたというのに」


 体が快方に向かうのであれば文句も言えるというものだ。


 立ち上がったティアナは、しかめっ面のままでフェニーチェ・グリンロッドを見下ろした。


 さっきまではティアナが座り込んでいた上に、フェニーチェの態度が大きかったから長身かと思っていたが実際にはそんなことはなかった。

 彼の身長はティアナの胸くらいだ。まだまだ少年の域を出ないフェニーチェを叱るようにティアナは慣れない腕組みをした。


「……ヘカテリーゼ……っ? くっ、もう時間か。相変わらず、魔法制御に難儀な身体だな。おい、グリムベルデの女どもには用心しろ。勝手に我の元から――」


 ぷつりと糸が切れたようにフェニーチェが脱力する

 ティアナはとっさに組んでいた腕を解いて、彼の肩を支えた。


「ねぇ、大丈夫⁉︎ おーい!」

「……神降ろし、終わったんだ」


 聞き慣れない言葉に戸惑いつつも、フェニーチェの肩を揺さぶって声をかけ続けるとやがて彼の瞳に光が宿った。


「ふぇ⁉︎ だ、だだ、誰ですか⁉︎ ここはどこ⁉︎ ボクは何をしていたの⁉︎」


 飛び退き、混乱して辺りを見回すフェニーチェはついさっきまで傲岸不遜な態度をとっていた同一人物とは思えない。

 年齢相応の幼い声と動きに少しだけ安堵した。


「後宮だ。そうだ、朝食の後にお告げがあって、それから……」


 必死に記憶をたどるフェニーチェは肌寒さを感じて、コートを探した。


「ど、どうして、ボクのコートを?」

「どうしてって。あなたがかけてくれたのよ。死ぬなって」

「そうなんだ。……分かりました」


 納得したような、覚悟を決めたような力強い瞳に悪印象は抱かなかった。


「ザクス様がお連れして救ったとなれば、あなたは国賓です。グリンロッド王国第七王子、フェニーチェ・グリンロッドが責任を持っておもてなしさせていただきます」


 レインハート王国のものとは異なる紳士の礼をしてくれたフェニーチェに、ティアナも相応の挨拶を述べた。


「お初にお目にかかります。レインハート王国王妃、ティアナ・レインハートです。あ、あと聖女です」

「…………へ?」


 あどけない、つぶらな瞳をまん丸にしたフェニーチェが絶叫したのはそれから数秒後のことだった。

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