第61話 聖女、愛でる

 雪がしんしんと降り続ける豪雪地帯。

 そこに建てられた王宮の離れに、後宮と呼ばれる幼い王子が生活する場所がある。


 レインハート王国やクラフテッド王国の王宮とは造りが全然違う。それもそのはず、グリンロッド王国は極寒の地。寒さ対策は万全でなければならない。


 では、この寒さをもたらす雪はいつから降っていて、いつ止むのか。

 答えは国民全員が知っている。


 ――雪は止まない。


 グリンロッド王国が建国されてから今日こんにちまで一日たりとも止んだことはないのだから、これからも止むことはないと誰もが諦めている。


 ルクシエラ公爵から拝借した書物の内容を思い出していたティアナの前では、フェニーチェ少年が廊下から顔を覗かせて人がいないか確認していた。


「どうして隠れるの?」

「だって、シエナ王国の聖女様がここにいると分かれば大問題ですよ」

「でも、わたしを連れてきたのはあなたではなくてザクス様でしょ? 堂々としていればいいのに」


 他国の王子とはいえ10歳ほどの年齢差があって、ボクに敬語は使わないで下さい、とお願いされれば従わない理由がない。


 幼い頃にシエナ王国のケラ大聖堂に迎え入れられ、家族を覚えていないティアナは弟がいればこんな感じかな、と勝手に想像していた。

 こうして一緒に廊下の影から顔を覗かせて、叱られないように逃げるのも初めての出来事で楽しい。


「ボクが特別になれるのはザクス様が降りてきてくださっている時だけです。それ以外の時間はここから出ることを禁じられています。出来損ないの末弟が女の人を連れてきたとなれば、兄上たちに生意気だと言われるに決まっています」


 フェニーチェの言う通り、まだ成人もしていない少年が他国の王妃を後宮に連れ込んだとなれば大問題だ。


「次の曲がり角を右に行けば、ボクの私室です。お願いだから誰も来ないで」


 鳥神ザクスに祈るフェニーチェの姿にティアナは愛玩動物を愛でるような優しい気持ちになった。


 ティアナが暖かい目で見守る中、一歩踏み出したフェニーチェ。

 後に続こうとしたがフェニーチェが廊下の途中で足を止めてしまったからティアナも急ブレーキをかけざるを得なかった。


「ティアナ様、もう終わりです。一番見つかっちゃいけない人に見つかってしまいました」


 二人の視線の先には恰幅かっぷくの良い女性が深いえくぼを作りながら待ち構えていた。


「あら、坊ちゃま。随分と綺麗な方を連れ歩いておいでですね」


 女性がすぅーと大きく息を吸い、一気に吐き出した。


「坊ちゃま、発見!!」

「ひぃぃいぃぃぃ」


 またしても後宮の廊下にはフェニーチェの絶叫が木霊したのだった。



◇◆◇◆◇◆



「この度は大変申し訳ありませんでした」

「まさか他国の王妃様で聖女様だったとは露知らず」

「いえいえ。そもそも無断で立ち入ったわたしが悪いのですからお気になさらないでください」


 壁一面ずらりと並んだフェニーチェのお世話係たちが一斉に頭を下げる。

 その光景はまさに圧巻。両手両足の指を使っても足りない人数の使用人が統率の取れた動きを披露してくれた。


 日照り国であるレインハート王国のメイド服は通気性に優れた素材を使用しているが、グリンロッド王国のものは真逆で防寒性に富んでいる。

 それでも寒いのか上着を羽織っている女性も多い。


「もちろん、フェニーチェ様の仕業ではないのですよね?」

「う、うん。神降ろし中だったんだ。ザクス様が天空にお戻りになって、気づいたらティアナ様が目の前に」


 侍女たちがフェニーチェを疑う様子はない。

 問答無用で彼を叱ることもなければ、ティアナを王宮へ連れて行こうとする素振りも見せない。


 王宮から他の王族が飛んでくる気配も感じない。つまりティアナが来ていることを報告していないということだ。


 フェニーチェは悲観的なことを言っていたが、後宮で働く使用人たちが彼をないがしろにしている印象はなかった。


「あの、折角なのでグリンロッド国王陛下とお会いできるように取り次いでいただくことは可能でしょうか」

「問題はないかと。ただ、事情が事情ですのでお時間をいただくことをご了承ください」

「もちろんです」


 こちらの都合も考えず、強制的に連れてこられたのに手ぶらで帰るのは勿体ない。   

 そう考えたティアナは危険を承知で王宮に乗り込むつもりでいた。


(それに朝食も食べてないし)


 食べ物の恨みは恐ろしい。

 ティアナがお腹をさすると同時に無遠慮に腹の虫が鳴いた。


 今更、恥ずかしいとは思わない。

 これは朝食を食べ損ねた怒りの声だ。悪いのはわたしじゃないわ、と強気でいるティアナに救いの手が差し伸べられた。


「よろしければ、グリンロッド王国の郷土料理を召し上がって下さい」

「はい!」


 二つ返事したティアナはすぐに食堂へと案内されて、目の前はお皿だらけになった。


 全ての皿で湯気が立っている。

 食事でも暖を取れるように煮込み料理が主だった。


 こういった非公式の食事の際は毒に注意するように、と妃教育では口をすっぱくして言われたものだ。

 だが、ティアナは関係ないと言うようにスプーンを持って、シチューをすくい上げた。


「……うわ! 美味しい! お肉が口の中で溶けたわ」

「お気に召されたようなら何よりです」


 緊張の面持ちだった料理長の笑顔が綻ぶ。


「ここまで煮込むのは大変ではないのですか?」


 肉は噛む必要がなく、野菜は原型を留めておらずスープの一部と化している。

 舌触りも良く、いくらでも飲めてしまう。


「坊ちゃまは野菜嫌いなので、これくらいしないと食べてくれないのです」

「まぁ」


 ティアナと視線を合わせないように、顔を真っ赤にして「なんで言うんだよ!」と怒り出すフェニーチェの子供らしさに思わず声を出して笑ってしまった。


 ティアナとフェニーチェの境遇が似ていたとしても、フェニーチェには気を許せる使用人たちがいて、彼らと気兼ねなく会話している。


 ティアナはそんな光景を羨望の眼差しで見ていた。


「わたしも幼い頃は大聖堂から出ることを禁じられていたの。食事は1日1食の時もあったなぁ。友達と呼べる同年代の子もいなかったし、身の回りのお世話をしてくれる人もいなかった。だから、そんな風に言い合える人が周りにいるフェニーチェ殿下が羨ましい」


 説教するつもりはなく、同情して欲しいわけでもない。

 ただ思ったことを言っただけだが、フェニーチェは瞳を潤ませた。


「そんな過去があったなんて知りませんでした。ティアナ様は綺麗で優しくて、お話しやすくて。ボクの兄上たちとは全然違います。そんなティアナ様を酷い目に合わせていた人がいるなんて信じられません!」


 子供ながらに憤ってくれるフェニーチェに同調するように使用人たちはティアナに食事を勧めた。


「グリンロッド王国は寒いからいっぱい食べて体の内側から暖を取るのです。妃殿下もたんと召し上がりください」

「この寒い中、お越しいただいたのですから心ゆくまで堪能ください」

「……はい!」


 まだ僅かな時間しかフェニーチェたちと関わっていないが、相手を思いやる気持ちがとても大きいことは十分に理解できた。


 だからこそ、相手をいたわれる暖かい心を持つ人が住むグリンロッド王国が、何故、聖女じぶんさらおうとしたのか不思議で仕方がなかった。


「……お姉ちゃんがいるってこんな感じなのかな」

「実はわたしも同じことを考えていたの」

「神の依代よりしろなんて役目、どうしてボクが選ばれたんだろ。ボクだって普通がよかったのに」


 はっとさせられた。

 フェニーチェはシエナ王国を追放されたばかりの頃のティアナと同じ気持ちを抱いていたのだ。


 ティアナはいてもたってもいられず、幼いフェニーチェの頭を撫でていた。

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