第62話 聖女、攻める

 お腹いっぱいになったティアナは応接室へと案内される途中で足を止めた。


「開けてもいい?」

「どうぞ」


 興味本位から廊下の小窓を開けてしまったティアナの鼻先が瞬く間に赤くなった。


「さむっ!」


 後悔してすぐに窓を閉める。せっかく暖まった体が冷えてしまった。


「今日は暖かい方ですよ」

「ザクス様の機嫌が良いのかも」

「こら! 冗談でもザクス様のことを言うんじゃありません」


 先導する若い侍女が年配の侍女に叱責された。


 ティアナの知識が正しければ、グリンロッド王国民は信仰心が高い方だ。


 鳥神ザクスの声を聞いた王族が正しい方向へと国を導いたからこそ、五大国の中で一番広大な国土を誇り、食糧にも住む場所にも困らないと信じている。

 だからこそ、極寒の地であったとしても移住せずに力を合わせて住み続けているのだ。


「怒らないであげて。実際にザクス様は興奮されていたよ」

「そんなことが分かるの?」

「はい。なんとなくですけど。何度も神降ろしをしていますから」


 フェニーチェの興味深い話を聞きつつも、キョロキョロと辺りを見回すティアナ。

 クラフテッド王国の王宮を探索している時と同じだ。


「そんなに重厚そうな壁じゃないのに中は全然寒くないのね」

「後宮の中は火の防寒魔法が常に発動しています。魔法がなければ、凍えてしまうんです。ティアナ様が召喚された部屋だけは魔法が発動していないので凄く寒くて僕は苦手です」


 雪国出身でも寒さが苦手なのね、と笑いながら聞いてみる。


「魔法具を使っているの?」


 ティアナの質問にフェニーチェが目を丸くする。

 何かおかしな事を言ったかしら、と不安になっているとフェニーチェは大真面目な顔で告げた。


「魔法具に頼るのは弱者だけですよ」


 その瞳に嘲笑の念はない。


 シエナ王国が魔法使いを忌み嫌うように、グリンロッド王国では非魔法使いを軽視している。

 そんな偏った教育を受けているフェニーチェがグリンロッド王国の常識をティアナに語ることは何も不思議なことではなかった。


「わたしは一度だけ魔法具を使ったことがあるの。初めてレインハート王国で夜を過ごす時に冷却魔法が宿った物を借りたんだけど、すごく画期的で不思議で頼もしくて。今でも良い思い出なんだ」

「……あ、も、申し訳ありません。ティアナ様は魔法使いではないのですね」


 今更ながらにティアナから魔力の匂いを感じないことに気づいたフェニーチェが顔を青ざめながら謝罪する。

 しかし、ティアナは彼を咎めることはなく、諭すように優しく伝えた。


「わたしみたいに魔法が使えない人にとって魔法具はありがたいものなのかもしれないよ?」

「本当ですか? 魔法具なんて物があるから争いがなくならないって。魔法具がなければ、非魔法使いはボクたちに逆らわないって。いつも家庭教師が言うんです」

「そうなんだ。じゃあ、今度わたしと一緒にレインハート王国に行きましょう。まだ魔法具のストックがあるはずだから使ってみましょうね」


 魔法具の入手経路を知らないティアナができる提案はこれが精一杯だった。

 だが、フェニーチェは純粋すぎるがゆえに簡単にティアナの提案を聞き入れた。


「ティアナ様は怖くないのですか?」


 仲睦まじくフェニーチェと話すティアナは、侍女の一人からの問いかけに小首を傾げた。


「というと?」

「異国に一人きりで周りは魔法使いばかり、価値観の違いでいつ襲われるかも分からないのに、どうしてそんなに楽しそうなのですか?」


 至極真っ当な質問にティアナは少しだけ考えた。


「んー。だって、わたしに危害を加えようとすれば、ドラウト様が飛んでくるし。それ以前に外交問題に発展するのはそちらとしても不都合でしょう? だったら、せっかくの異国訪問を楽しんだ方がお得かなって」


 ティアナは異国でひとりぼっちでも何とか生きていけることを誰よりも知っている。

 もちろん、周囲にいてくれた人たちが良心的で助力があったからというのは十分理解しているつもりだ。

 そんな特殊な境遇だからこそ、自分の直感を信じて告げた。


「ここの人たちはわたしに乱暴しないわ。断言できる」


 真っ直ぐに質問してきた侍女の瞳を捉えていると、彼女はそれ以上のことは言わずに下がった。


 案内された応接室のソファに座り、フェニーチェたちが退室したタイミングを見計らって小声で囁く。


「リーヴィラ様、アグニル様、聞こえますか?」

『やり直せ。俺を先に呼べ。もっと心を込めろ』


 面倒くさい神様ね、という愚痴はさておき。やり直すと獣神アグニルは「扉にはぴったりと貼り付いている女がいるからもっと声を抑えろ」と教えてくれた。


「ドラウト様は?」

『今はクラフテッド王国側で待機中だ。グリムベルデ家が邪魔して入国できないってよ』


 今度は龍神リーヴィラが状況を端的に伝えてくれた。


「グリムベルデ家ってグリンロッド王家と対立しているっていう、あの?」

『あぁ。坊ちゃんが転移魔法を発動しようにも高度魔法抵抗結界が張られていてどうにもできねぇんだ』

「わたしはどうすればいい?」

『そのまま待機――』

『今すぐにそこから逃げ出せ。ザクスの手先どもから距離を取った方が良いに決まってるだろ!』

『バカじゃねーの! そこが一番の安全地帯なんだから大人しく飯を食ってる方が良いって』

『なんだと蛇野郎、燃やすぞ!』

『兎もどきが。締め上げるぞ』


 脳内に響く二人(神)の喧嘩が始まり、ティアナは意図的に神たちとの交信を断った。


(一人でどうにかするしかないか。ドラウト様ならこういう時どうするかな……)


 目を瞑って愛する旦那の行動を強くイメージする。


「うん。わたしと一緒なら逃げる一択だよね。だけど、お一人なら絶対に乗り込んで文句を言うに違いないわ」


 冷酷非情と呼ばれていた頃のドラウトの顔を思い出しながら立ち上がる。

 すると同時に扉が開き、グリンロッド国王との謁見が可能であると告げられた。


 無言で廊下を歩き、後宮から王宮へ。


 外廊下は透明のガラスに囲まれ、大雪が積もっている。

 しかし、寒さは一切感じない。


(魔法具を使っていないのなら、人間が常に火の魔法を発動し続けているということかしら)


 そんなことを考えながら歩みを進め、辿り着いた謁見えっけんの間の前で深呼吸して気を引き締める。


「レインハート王国、ティアナ妃殿下!」


 衛兵のとむらいの声に続き、玉座を目指した。


「お初にお目にかかります。、ティアナ・レインハートと申します。この度は突然の来訪にもかかわらず、このような場を設けていただき、恐悦至極にございます」


 大丈夫。いつも通りにやればいいだけよ。

 何度も心で呟きながら、グリンロッド国王の返答を待つ。


「大義である。まさか、連絡もなしにそちらからご足労いただけるとは思いもしなかった。ザクス様のお導きか、それとも不法入国か」


 そこを突かれると痛い。

 ティアナは何も悪くないのだが、それを証明してくれる神がこの場に居ない。


 唯一、証明できそうな子は発言力がないことを悔いているのか、壁際で小さくなって拳を握っていた。


 沈黙の謁見えっけんの間に、突如、乾いた失笑が聞こえた。


 他の王子たちが口元を隠すことなく笑ったのだ。


(なんなの!? 陰気臭い人たちね。クラフテッドの破天荒王太子ザラザール殿下の方がよっぽどましだわ)


 あまりにも無礼なグリンロッド王国側の態度に、ティアナはドラウトが憑依したのではないかと疑われるほどの冷ややかな瞳と声でもって応えた。


「単刀直入にお聞きします。わたしをさらおうとしたのは誰ですか?」


 その一言で場が凍りついたのは言うまでもない。

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