第52話 聖女、他国の危機を救う

 初めて見る火山の噴火にティアナだけでなく、ミラジーンもナタリアもぽかんと口を開けていた。


「は、早く逃げないと!」

「何も知らない余所者はそうした方がいい。ギギ、お前も早く王宮に戻れ」

「やだ。さっきの話はまだ決着してない」

「俺が愛してるのはお前だけだっていつも言ってるだろ。信じろ」

「そうじゃない。他国の女性の人生を奪おうとしたことへの謝罪がない」

「お前以外の女のことなんてどうでもいい」


 ザラザールとギギナフィスが口論を続ける間も火口から吹き出した火山灰は舞い上がり続けている。

 山肌からは真っ赤なマグマが流れてきているが、ザラザールたちもクラフテッド王国民も誰も慌てふためく様子はなかった。


「話は後だ。この機会を逃すわけにはいかないのはお前も分かるだろ?」


 ザラザールが肩を掴んで諭すとギギナフィスは渋々と言った様子でティアナたちの元にとぼとぼ歩いてきた。


「いつもより大きな噴火だけど心配ない。おにぃが王宮に来るまで待ってよ」

「心配ない? これが? だって、空は真っ暗よ」

「流れるから平気」


 ギギナフィスの言う通り、不思議と火山灰は王都の町には降り掛からない。まるで国全土に傘をさしているようだ。

 ただ、一部にだけ風に流された火山灰が降る地方があった。


「あそこは平気なの?」

「うん。火山灰はワインを育ててくれる。獣神アグニルの恩恵」


 どういうカラクリで火山灰の流れをコントロールしているのかは分からないが、とにかく火山と共存できているということだけは分かった。


 ザラザールはと言えば、トレードマークの赤いバンダナを締め上げ、工房の奥で何かを待っていた。


「来たッ!」


 工房内が灼熱地獄と化す。

 ペロル・パタパリカ火山から流れ出たマグマを直接工房の鍛造炉たんぞうろに流し、溜めているのだ。ザラザールは大量の鉄を取り出して製鉄を始めた。


「いつもこんな危険な仕事を⁉︎」

「火山の噴火は周期的だからタイミングが重要。今を逃す手はない」


 だからと言って火事寸前の工房に一人で何十日もこもるなんて正気の沙汰ではない。


「体は平気なの⁉︎ こんなことを続けていたらいつか大怪我をするんじゃ」

「おにぃの視力は限界寸前。体中火傷だらけで、毎回脱水で死にそうになってる」

「それなら――」

「でも、おにぃは王になる男だから」


 呆れるほど信頼した瞳でザラザールの背中を眺めるギギナフィスの姿は兄妹だけでは説明できない絆があった。


「ティアナ様、ここは危険です。早く離れましょう」

「危険だからこそ居た方が良いわ。何かあっても、わたしなら消火できる」

「ここにリーヴィラ様は居ないのですよ⁉︎」

「わたし一人でも雨を降らせることは出来るわ。いざとなれば、あの溶炉を水没させる」


 外では不規則な間隔で爆発音が続いている。


「今日は大盤振る舞いじゃねぇかよ」


 工房内にはザラザールが鉄を打つ音だけが響き、立っているだけでも汗が噴き出るほどの室温になってしまった。


 ティアナがふらふらになり立っていられなくなった頃、鍛造炉たんぞうろに向かうザラザールが声を荒げた。


「お前ら早く逃げろ! 炉がもたねぇ!」


 ティアナに肩を貸すミラジーンとナタリアが顔を上げる。

 鍛造炉たんぞうろから溢れたマグマが工房内に侵入し、机や壁を焼いていた。


 黒煙が工房内に充満し、視界は奪われ、呼吸するだけで喉が焼けているようだ。


「ティアナ様を外に!」

「は、はい!」


 ミラジーンの指示に従ったナタリアに手を引かれ工房の外へ出ると、さすがに異常事態に気づいたのか国民たちも家屋から顔を出していた。


「は、早く避難を……ごほっ、ごほっ」

「ティアナ様、歩けますか?」

「大丈夫。聖女の力で浄化するからちょっと待って」


 深呼吸を繰り返すとさっきまでの苦しさはなくなり、ナタリアにも同様に聖女の加護を施した。


「ナタリアは民の避難誘導を。ジンボ陛下に伝えて応援を要請して」

「いけません! 私はティアナ様の侍女です。主人を置いて行くことなんてできません!」

「行って。これは命令よ」

「しかしッ‼︎」

「誰もあなたを責めないから。ミラジーンを連れて一緒に本国に帰りましょうね」

「…………っ!」


 同じ人間とは思えない速さで走り去るナタリアの背中を見送り、大きく息を吸って吐き出した。


「ミラジーン‼︎ 何をしているの⁉︎ 早く出てきなさい!」


 ティアナの叫びに答えるように工房の壁が破壊されて、ザラザールとギギナフィスが転がってきた。


「殿下! ギギ!」


 ギギナフィスは黒煙を吸って何度も咳き込んではいるが、目立った外傷はない。

 しかし、ザラザールの手はただれ、握ることすらも出来なくなっていた。


 そうしている間にもペロル・パタパリカ火山から流れるマグマは工房を飲み込み、王都の町へ侵攻してくる。

 ティアナは二人の治療よりも先にマグマの対処を優先した。


「責任はわたしが取るからマグマを止めるよ」

「はっ!」


 ミラジーンが片手で大剣を振りかざす。

 その姿にザラザールは言葉を失って、目を見開いた。


 ミラジーンが構えているのは、あの謝罪式の時にザラザールが謁見えっけんの間に持参した大剣だ。


「まさか! 女の細腕で持てるはずがない!」

「ふんっ‼︎」


 一気に大剣を振り下ろす。


 凄まじい剣撃けんげきは横に広がりながら進むマグマを一刀両断し、山のふもとに大穴を空けた。


「ミラジーン、あれを!」


 ティアナが工房の方を指さす。

 そこには重厚な剣が放置されていた。


 ミラジーンは両手で一本ずつの剣を待ち、力の限り、地面に突き刺した。


 地面がひび割れる。

 ナタリアへの施しのために地層から水分を抜き取ったティアナによって、瞬間的な干ばつ状態だった地面はミラジーンによる衝撃を受けて地割れが起こったのだ。


「精霊たち、リーヴィラ様、力を貸して!」


 両手を合わせて、祈りを捧げる。

 ティアナの周囲を飛び回る精霊たちはペロル・パタパリカ火山の火口へ飛んでいき、同時にアンクレットが光を放った。


 すると、どこからともなく現れた黒雲がクラフテッド王国を覆い、大雨が降り始めた。

 特に火山には豪雨が降り注ぎ、熱したマグマを完全に消火している。


 ミラジーンが空けた穴に溜まったマグマもティアナの雨に触れて、硬化していた。


「ザラザール殿下、ギギ! すぐに治療します」


 まずは苦しそうにしているギギナフィスの喉元に手を添えて、祝詞のりとを奏上する。


 続いてザラザール。

 彼の手は、放置すれば二度と鍛治どころか食事すらままならなくなってしまう。


「俺の手が――っ!」

「黙って」


 火山での消火活動から戻ってくれた精霊たちの力を借りて、火傷を治していく。

 時間はかかったが、青白い光が離散するとザラザールの手は元通りになっていた。


 何度も両手の表裏を確認するザラザールから離れて、ミラジーンの元へ。


「ミラジーン、あなたも」

「はい。お願いします」


 クラフテッド王国製の洋服の一部は焼けてしまい、普段から長袖とロングスカートで体のシルエットを隠しているミラジーンの四肢が露わになっていた。


 普段から腕まくりして背中を流してくれるからティアナはミラジーンの手足を毎日のように見ているが、ザラザールは初めて見たのだろう。


 彼は絶句して、呆然としていた。


「はい。おしまい」

「ありがとうございます、ティアナ様」


 侍女のものではなく、騎士の礼をしたミラジーンの背中を押してあげると、彼女は一歩前に出てザラザールを見下ろした。


「自己紹介が遅れました。我が名はミラジーン・カバリアム。ドラウト・レインハート国王陛下より騎士ナイトの爵位を賜り、父からカバリアム侯爵の爵位を世襲した、ティアナ妃殿下の専属侍女にございます」


 洋服から覗く筋肉質な四肢には古傷が残り、いかに過酷な状況を生き抜いてきたかを物語っている。


 ザラザールはミラジーンを深く知ろうとしていなかったから、服の下に隠された体がどうなっているかなんて想像したこともなかった。


「こ、侯爵……!? 貴族が平民に臣従しているのか!?」

「ティアナ様に忠誠を誓っているのです」


 自分が打った過去最高の出来映えの剣を片手で一本ずつ扱う女。

 しかも、貴族。


 誰に「嫁になれ」なんて偉そうなことを口走っていたのか理解したザラザールは固まったままで動けなくなってしまった。


「ザラザール王太子殿下」


 雨脚はどんどん穏やかになっていく。

 しとしと降る雨の中を歩むティアナの声はやけにはっきりとザラザールの耳に届いた。


「両手の具合はいかがですか?」

「……え、あっ――」

「ザラザール王太子殿下の手およびギギナフィス殿下の焼かれた喉と、ミラジーンの身柄を交換しましょう。あなたの妻では役不足です」


 雲の切れ間から差し込む陽の光に照らされた聖女ティアナおごそかな姿にザラザールは何の迷いも無く平伏するのだった。


 この日、数百年ぶりにクラフテッド王国内で空に架かる七色のアーチが観測された。

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