第53話 聖女、神様に怒鳴られる

 噴火に慣れているクラフテッド王国民が慌てふためくほどのマグマを噴出したペロル・パタパリカ火山を見上げる。


「火山の視察を行うけどついてきてくれる?」

「どこまででもお供します」


 クラフテッド国王の命を受けて集まった者たちにザラザールとギギナフィスを任せたティアナはミラジーンをつれて行ってしまった。


「手を」

「は、はい?」

「ドラウト様から簡易転移魔法を預かっているの。お互いに今から山登りは大変でしょ?」


 魔法具ではなく、魔法そのものを直接手渡しするなど前代未聞。

 更に、血統魔法であれば尚更だ。

 更に更に、与えられているのが魔法適性を持たないティアナとなれば、常人には理解が及ばない。


 しかし、いつもの微笑みを向けられれば、躊躇う理由はない。ミラジーンはティアナの手を取り、しっかりと握った。

 そして、瞬きを終えると視界は真っ赤で、熱された空気に包まれていることに気づき動転した。


 ただ、慣れるとどうということはない。

 この世で一番最初にティアナから祈りを捧げられているミラジーンだからこそ順応できていた。


「ごきげんよう。わたしは聖女ティアナと申します」


 ペロル・パタパリカ火山の火口を見下ろすティアナが挨拶すると、静まり返っていたマグマがボコボコと弾け始めた。


「アグニル様、いらっしゃるのなら姿をお見せください。わたしは謝罪に来たのです」

『謝罪?』


 ミラジーンにその声は聞こえない。

 ティアナは頭の中にだけ聞こえる雑音混じりの声に応えた。


『魔法使いは臭くてダメだ。貴様が聖女だと言うのならそこから飛び込め』


 ごくりと喉が鳴る。


 煮えたぎるマグマに身を投げ出すなど相当の覚悟が必要だ。

 しかし、ティアナはいつもの調子でミラジーンを振り返った。


「ちょっと行ってくるね。先に戻ってくれてもいいからね」

「ティア――」


 ミラジーンの声を聞くよりも早くに火口に向けて足を踏み出したティアナ。

 重力に従って火口へ落ちるティアナは、ドラウトの転移魔法とは違った浮遊感を感じながら目を閉じた。


「目を開けろ小娘。お前、本当に聖女か?」


 必要以上にダンディな声の主は見当たらない。


 落ちた先にあった突出した山肌に立っているティアナが辺りを見渡し、「もっと下だ」という声に従うと足元には小さな獣が後ろ足で立っていた。


「……アグニル様、ですか?」

「なんだその目は! 燃やすぞ!」

「ご、ごめんなさい。絵画に描かれているお姿と違いすぎてつい」


 ぴんっと張った耳は威嚇しているようだが、尻尾はこれでもかと振られている。

 犬というよりも猫に近い。もっと言うなら虎や豹の子供のような姿をしていた。


「手を出せ」

「こう?」


 しゃがみ込み、手を差し出すと鼻先を近づけて匂いを嗅がれた。


「来るのが遅いだろうが!」


 目の前に落雷したような怒声に体を震わせるティアナは壊れたように謝ることしかできなかった。


「実は事情がありまして」


 ここに至るまでの説明をしたティアナに獣神アグニルは鼻息を荒くして、ちょこんと座った。


「イライラするぜ。今すぐにシエナを燃やしてやりたい気分だ!」


 反応としてはリーヴィラと同じだが、ネチネチと嫌味を言うリーヴィラと違って、アグニルは怒りを爆発させていた。


 神様にも性格があるのね、と密かに感心しているとアグニルは「で?」と雑に聞いてきた。


「今更、ここに来てどうする? 俺は許さんぞ」

「許して欲しいとは言いません。ただ事実を伝え、謝罪したかったのです。その上でわたしに出来ることがあれば教えてください」

「マグマを真っ黒に硬化させておいてよく言う」

「だって、あんなに噴火するものだから」


 反論するティアナにアグニルは尻尾を叩きつけながら怒鳴った。


「聖女っぽい奴の雰囲気を感じたんだから仕方ないだろ! この数百年嗅いだことのない匂いだぞ。俺が悪いって言うのか⁉︎ 燃やすぞ!」


 これまで出会ったことのないタイプに困惑しないわけではないが、不思議とティアナに恐怖心はなかった。


「わたしはもう何もしません。ジンボ陛下もザラザール殿下も聖女わたしは不要だと言ってくれましたから」

「何が不要なもんか。余計なことを言いやがって。それで到着が遅れたのか」

「なんですか?」

「なんでもねぇよ!」


 聞き返しただけなのに怒鳴られてしまった。


 当時のケラ大聖堂でもこんな扱いを受けたことはない。


 俯くティアナを見て、「あ、やっちまった」と心ばかり後悔するアグニルに対して、顔を上げたティアナは不思議そうにしていた。


「疲れませんか?」

「あぁ⁉︎」

「そんなに怒って疲れないかなーって。こんなに可愛いお姿なのに勿体ないです。うわぁ! とっても気持ちいい肌触りですね」

「うへぇ……はっ! 勝手に触ってんじゃねぇ!」


 ティアナのペースに乗せられるアグニルの尻尾は最初から今までずっと落ち着かない。

 それほどまでに聖女の来訪を待ちに待っていたのだが、言葉にしなければティアナには伝わらない。


「この反応、本物の聖女……いや、あいつそのものか……」

「あいつ? どなたですか?」

「チッ。独り言にいちいち反応するんじゃねぇ!」


 じゃれつくような爪で引っ掻く攻撃はドラウトの防御魔法によって弾かれた。

 しかも、防御壁から噴出された水によってアグニルはずぶ濡れになっている。


「……リーヴィラか。あの臆病者に関わっているのか?」

「リーヴィラ様はアグニル様と同じで、わたしの為に怒ってくれました」


 ティアナがズボンを捲ると足首には黄金のアンクレットが現れた。


「やめろ、はしたない! それでも乙女か!」


 あら、失礼しました、とティアナ。


「まんまと蛇野郎の作戦に乗せられてるじゃねぇかよ」

「作戦? 何の話ですか?」


 聞いてないのかよ、と悪態つくアグニルは小さくも鋭い牙を剥き出しにして語り始めた。


「あいつはな、聖女を呼び寄せる為に自国の水路を塞いだんだ。聖女の役目とか、定め、とか約束とかそれっぽいことを言ってまでな! そんな奴が神を名乗り続けているんだぞ。あんな奴と同じにするな!」

「リーヴィラ様が?」

「臆病で情けない奴! これまでに多くの聖女が一番初めにリーヴィラの元を訪れるんだ! 俺たちはいつも後回し! 俺たちがどんな気持ちで――」


 アグニルは怒りに任せて吐き出す言葉を続けられなかった。


「もういいんですよ。これまで一人で火山を管理してくれたんですよね。ありがとうございます、アグニル様。あなたが居てくれたからこそ、クラフテッド王国は今日まで繁栄できたのです。ご立派です」

「……小娘がッ!」

「はい。わたしは何もできない小娘なので、せめて少しでも安らげれば、と」


 どれだけアグニルが暴れようとも、ティアナは抱き締めた手を放そうとはしなかった。

 やがて抵抗を止めたアグニルはティアナの腕の中でボソボソと呟き始めた。


「あの時と同じだ。あいつも俺をこうして抱き締めてくれたんだ」


 あの時がいつで、あいつが誰なのかは分からない。

 だけど、ティアナは質問しなかった。


「ヘカテリーゼ……。俺たち四人を狂わせた……いや、俺たちが勝手に狂ったんだ。あいつは何も悪くない」


 その名前には聞き覚えがある。

 シエナ王国の王女であり、始まりの聖女であるとケラ大聖堂で教わった。


「小娘、名前は?」

「ティアナ・レインハートです」

「レインハート⁉︎」

「はい。わたしはシエナ王国を追放されて、レインハート王国のドラウト陛下に助け出されました。そして夫婦の関係となったのです」

「遂に聖女がシエナ王国から嫁に出る時代になったか」

「そんなにも長い時間をひとりぼっちにしてごめんなさい。わたしが聖女である間は何度でも顔を出すと約束します」

「約束なんてものはいらん! 俺は自分の耳で聞いたものしか信じない!」


 だから――とアグニルに舌で舐めると右耳にほんのわずかな重みを感じた。


  そっと触れてみる。

  目では確認できないが、耳に引っかかっているのが装飾品だとすぐに気づいた。


「これだと落ちませんか?」

「落ちるわけがないだろ! 神の耳飾りだぞ!」


 また怒鳴られてしまったがもう慣れたと言わんばかりに平然としているティアナは、イヤーカフを指先でなぞり、「これでいつも一緒ですね」と目を細めた。


「わたしが聞いたことはアグニル様が聞いたことです。わたしは人を信じやすいから騙されないように気をつけろ、と常々ドラウト様に言われているので、お気づきの点があればご教示ください」

「ふん」


 あ、そうだ、と手を打ったティアナがアグニルの背中を撫でながら問いかける。


「どうしてクラフテッド王国とグリンロッド王国は戦をしていたのですか? そんなに魔法適性の有無が重要なのでしょうか」

「……そんな大袈裟なものじゃない。始まりは些細なことだった」

「そこを教えて欲しいのです。両国の争いが再開すれば、レインハート王国にも母国であるシエナ王国にも影響が出ます」

「教えたくない」


 ふん、と鼻息を荒くしてそっぽを向いてしまった。しかし、ティアナの腕の中から逃げ出すわけではないから撫でる手は止めなかった。


「では、グリンロッド王国へ向かいます。そこで聞いた話に嘘が混ざっていれば教えて下さい。真実を知り、同じ過ちが二度と起きないようにすることが聖女として、わたしに与えられた使命です」


 しばらく沈黙していたアグニルが小さく頷く。


「……分かった。手助けしてやる。だが、俺が一番だ。あの臆病者よりも下になることは許さん」

「んー」


 困り果てたと眉をひそめる。

 どうしてそんなに一番に拘るのか分からない。


 そのまま素直に質問するとアグニルはまた怒声を浴びせてきた。


「好きな人の一番になりたいのは当たり前だろうが!」

「わたしのことが好きなの!? ダメですよ! この身も心もドラウト様だけのものです」

「ちげぇーよ!! 俺が好きなのは昔も今もヘカテリーゼだけだ!」


 あらま、と小さく開いた口を隠すティアナ。


「もしかして……もしかするとですよ?」


 十分な前置きをしてから告げる。


「かつて、始まりの聖女ヘカテリーゼ様を巡って争っていたりなんてことは――」


 アグニルは何も答えなかった。


 しかし、その顔も体もマグマに負けないくらい赤く染まり、図星なのだとティアナが悟るまでにそう時間はかからなかった。





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