第40話 雨女、幸せを噛み締める
目覚めると隣には誰もいなかった。
しかし、まだベッドの窪みは新しく、温もりを持っている。
それに頭を撫でられた感覚が残っていた。
「……ドラウト様……?」
名前を呼んでも返事はない。
もう起床して、政務に向かう準備を整えているのだろう。
そんなことを考えていると徐々に頭が覚醒し、昨夜の事を思い出した。
「〜〜〜〜〜〜っ」
一気に熱くなった頬をおさえ、悶える。
昨日は怒りと悲しみに身を任せ、言いたいことを全部言ってしまった。
しかも、リーヴィラがいなかったから止める人ならぬ神がいなくて……。
歯止めがきなくて……。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
枕に顔をうずくめて、足をバタバタさせるティアナ。
やがてティアナの興奮が冷めた頃に静かな叩扉があった。
「ティアナ様、よろしいですか?」
「ミ、ミラジーン⁉︎ なんで、どうして⁉︎」
ほんの少しだけ扉を開けて隙間から顔を覗かせたミラジーンに、ティアナはシーツを持ち上げて体を隠した。
何度も湯浴みを共にし、着替えを手伝ってもらっているから裸は見られ慣れているはずなのに今日はやけに恥ずかしかった。
「そのご様子ならドラウト様とお話できたようですね。お着替えの支度をしても?」
「え、えぇ。お願い」
「お食事は召し上がりますか?」
「えぇ。……ちょっと気まずいけど」
できるだけ食事は一緒に、というのはティアナとドラウトの約束事の一つだ。
つまり、これからの朝食の席では必ず顔を合わせる。
ミラジーンが無言だったからティアナも無駄口を叩かずに着替えと簡単なメイクを終えた。こんなにも静かな身支度はレインハート王国に来た翌日以来だ。
「ミラジーン、いつもありがとう。これからも一緒にいてね」
「勿体無いお言葉です。もちろん、この命が続く限りお供させていただきます」
クールな瞳をうっとりと細めるミラジーンはいつ見ても綺麗だな、と思う。
一緒にいて欲しいと願ったけれど、きっといつかはどこかに嫁ぐのだろうと頭の片隅で考えてしまっていた。
一度退室したミラジーンを見送り、窓に近づいたティアナはバルコニーの手すりの上に小さな蛇の姿を見つけた。
「……よぉ」
「おはようございます、リーヴィラ様。ここから先は譲らねぇぞ、ではなかったのですか?」
「はっ! 乙女が一丁前に偉そうな口を叩くようになったな」
「感謝しているのです。昨夜はありがとうございました」
深く腰を折るティアナに、リーヴィラは尻尾の先で白い体躯をかいた。
「まぁ、いいかな〜って。どうせ、嬢ちゃんはこれから他の三国にも行くって言い出すだろうしな。オレの連れにも文句は言わせねぇよ」
「それはもちろん」
リーヴィラはティアナの肩に飛び乗り、やっと一息ついた。
やはり、ティアナの側が落ち着くらしい。
「シエナ王国の天災は豪雨で合っていますか?」
「正解。16歳に至るまでの聖女が外に出ると雨を降らせてしまうのは必要だからだ。そうしないと国が沈む」
リーヴィラはいつもの飄々とした声ではなく、真剣な声色で語った。
「聖女は元気に外を走り回って、シエナ王国に雨を降らす。それを意図的に禁止すると天上に溜まって行き場を失った雨が一気に降ってくるんだ」
その説明はティアナを失ったシエナ王国の末路と合致している。
「昔のシエナ王国は水浸しだった。水の都といっても過言じゃねぇ。聖女は国が水没しないようにこまめに、適度に雨を降らすのが役目なんだ。それを雨女だなんて反吐が出るぜ」
ぺっぺっ、と唾を吐く仕草をするリーヴィラへと手を伸ばす。
ティアナは小さな蛇の神様を抱き寄せ、視線を合わせて微笑んだ。
「わたしのために怒ってくれてありがとう、リーヴィラ様」
雨女と言われ続けた人生は幕を下ろし、幸せな日々が続いている。それはティアナにとって夢のようなものだ。
しかし、幸福とは裏腹に心の中では雨を降らしたことで他人に迷惑をかけてきた過去をずっと引きずっていた。だから、リーヴィラの話はティアナの心を救うには十分すぎる内容だった。
「……これだから聖女ってやつは」
「なに?」
「いいや、なんでもねぇ」
何か含むような言い方が気になったが、それよりも大きな気がかりがあった。
「聖女だったとしても、ドラウト様のお身体を癒すことはできないのよね……」
「あ、それな、もう解決したっぽいぞ」
「ふぇっ⁉︎⁉︎」
あまりにも驚き、変な声が出た。
「昨日のほら、あれ。……あれだよ、アレ。言わなくても分かるだろ?」
ぼんっと顔が火を吹きそうになる。
「あれで坊ちゃんが嬢ちゃんに溺れちまったんだ。命の泉はアホみたいに湧き出てる」
リーヴィラは体をほんのりピンク色に染めながら、呆れ声で言った。
「……それってつまり、泉が枯れないから、しばらくは命が尽きないということですか?」
「うん。こんな解決方法があるなんて知らなかったぜ。まったく。嬢ちゃんには驚かされ続けるな〜」
最後にいつもの調子に戻ったリーヴィラがアンクレットになって足首に巻きついた。
「…………やった……やったぁぁあぁぁぁぁ!」
愛する人に早く会いたい。
さっきまでは会うのが気まずいと思っていたが、今は真逆の気持ちだ。
部屋を飛び出したティアナはドレスを持ち上げて廊下を走り、食堂の扉を大きく開いた。
朝食の準備をしている使用人たちに目もくれず、一直線にドラウトの元へ。
そして目を見開くドラウトの胸に飛び込んだ。
ドラウトはティアナを受け止め、くすぐったそうに顔を逸らした。
「ど、どうしたんだ、ティアナ。こんな人がいる場所で」
「だって、嬉しくて」
昨日のことか⁉︎ とドラウトが勘違いして頬を赤く染める。
「これでずっと一緒ですよ!」
「そ、そうだな。身も心も深く結びついたに違いない」
はて、とティアナ。
これは初対面の時と同じようにお互いに勘違いしていると察したが、そんなことはどうでも良かった。
わたしたちには時間があるのだから後でいくらでも訂正すればいい。
今はこの喜びを伝えたい。
ドラウトは何度も自分の名前を呼ぶティアナから離れ、いつかのように懐から小箱を取り出した。
そして、ティアナの前に
ドラウトの手の中で小箱が開かれ、オレンジ色の光が解き放たれた。
「ティアナのイメージ通りだといいんだが」
そこにはシルバーの支柱に固定された
「………………綺麗」
絶句していてはいけないと思ったが気の利いた言葉は出てこなかった。
だが、それだけで十分だ。
その素直な感想だけでドラウトは満足し、そっとリングを取リ出した。
これは! と察したティアナが左手を差し出す。ドラウトは迷わず、ティアナの薬指にリングを進めた。
「このリングは誰でも装飾できるように法を改正しよう。ただ、この国で一番最初に身につけたのはティアナだよ。ティアナの口から国民に説明して欲しい。頼めるかな?」
「はい! もちろん!」
光に照らされ、煌めく
「あの日、ドラウト様が助けてくれなかったら、わたしはグリンロッド王国に渡っていたのでしょう?」
「あぁ、間に合ってよかった。今も昔も心からそう思うよ」
「ありがとうございます、ドラウト様。大好きです」
あまりの破壊力に気を失いそうになりながらも、ドラウトは「僕も好きだよ」とティアナの耳元で囁いた。
◇◆◇◆◇◆
こうして、王妃となった異国の娘の名はレインハート王国の在り方を大きく変えた尊い女性として歴史に刻まれるのだった。
了
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