第39話 ドラウト、溺れる
夜、大きく深呼吸をしたティアナが扉に手をかけると、同時に叩扉されて心臓が飛び出るかと思った。
思わず飛び上がり、上擦った声で返事する。
「入っていいかな?」
声の主は今から部屋を訪れようとしていたドラウトだ。
まさか向こうから来られるとは思ってもみなかった。
狼狽えるティアナは何度も髪を撫でながら入室するドラウトを覗き込んだ。
「誰かにお聞きになったのですか?」
「何の話だい?」
「今夜、わたしがドラウト様のお部屋へ向かうという話です」
目をぱちくりさせたドラウトは安堵したような、愛しむような、柔らかな微笑みを
◇◆◇◆◇◆
※ドラウト視点
寝衣姿のティアナに出迎えられ、ドギマギしている心を落ち着かせるのに必死だった。
過去には寝込んだティアナの寝顔を見たことはあるが、その時はごっぽりと布団を被っていたから服装までは気にかけたことがなかった。
あまりの
そんなドラウトの胸中など知らず、ティアナは甘い香りを放つ髪を撫でながら顔を下から覗き込んできた。
しかも、これから自分の寝室を訪れるつもりだったという。
考えが同じだったことに驚きよりも嬉しさが勝り、勝手に体が動いた。
「ド、ドラウト様⁉︎」
いつもよりもティアナの動揺した声色が高い。
ドラウトは自分の方が年上だからと変に意地を張り、ティアナの耳元で囁いた。
「今日はお目付け役は留守なのか?」
「……はい。リーヴィラ様は所用とのことです」
それはつまり、なんて邪推はしない。
あくまでも今日は大切な話があって来たのだ。
興奮に任せて自分本位にティアナを傷つけるような真似は絶対にしない、と硬く誓っている。
「ランタンフェスティバルの時に話した、僕の呪いについてだが――」
「どうして黙っていたんですか!」
甘い雰囲気を吹き飛ばすティアナの剣幕に気圧されたドラウトはそっと体を離した。
「先に誰かに聞いたのか。やっと伝える勇気が出たっていうのに」
「いつ命の泉が枯れるかも分からない、とリーヴィラ様に聞きました」
「命の泉……か。神様はメルヘンな表現を好むのだな。次から使ってみよう」
「軽口は不要です。時間が限られているというのに、どうしてご自分のために時間を使わないのですか? もっとやりたいこととか、行きたい場所とか、食べたい物とかないんですか? わたしはもっとドラウト様と一緒にいたいのに」
そんな目で僕を見つめないでくれ。
こっちまで胸が苦しくなる。
愛する人を悲しませたくなくて黙っていたのに、かえってティアナを苦しめてしまっていたことに気付かされた。
「別に今すぐに死ぬわけじゃないさ。では、きみのやりたいことをやって、行きたい場所に行って、食べたい物を食べよう。僕の望みはきみの笑顔だけだよ」
「シエナ王国を手に入れたのも、わたしのためですか?」
ドラウトの目がこれでもかと見開かれる。
ティアナの空色の瞳は絶対に逃がさないとドラウトを捉え、追求するように、ずいっと体を前に出した。
「…………もしも僕が死ねば、きみを異国に一人取り残すことになってしまう。きみは聖女だから、悪者が取り入ってくるかもしれない。ルクシエラ公のような明哲な人が言いくるめるかもしれない。他国から求婚する者が後を断たないかもしれない」
言葉を紡ぐ度にドラウトの表情が歪む。
「そうなった時、シエナ王国のケラ大聖堂なら聖女であるきみを快く迎え入れてくれる」
本当はそんなことを言いたくない。
だけど、ここまで徹底しないとティアナが心配でどうにかなってしまいそうだった。
「もうきみを苦しめていた魔女はいないから大聖堂側がきみを蔑ろにはしない。そう契約を取り付けてある。もしも、
ティアナは唇を震わせ、ドラウトの胸を何度も強く叩いた。
「どうしてそんなに先のことばかりを見るのですか! わたしは今、ここに居るのに‼︎」
ドラウトの手首を掴んだティアナは自分の左胸へと手を持っていき、キッと睨んだ。
「今のわたしを見てくれないのなら、この激しく高鳴る鼓動を今すぐにでも止めます」
初めて男性に胸を触らせているというのにティアナに恥じらう様子はない。怒りに身を任せた突飛な行動だということは簡単に察しがつく。
そんなお怒りのティアナとは裏腹に、ドラウトは彼女の渾身の脅し文句を聞き漏らしそうになっていた。
「え、なんだって⁉︎ そんなことはダメだ! 僕よりも先に死ぬなんてことは許さない。絶対に後を追う自信がある!」
「わたしだって同じです!」
さっきからうるさいほどに打ち付ける心臓の音をかき消すように二人が言い合う。
しかし、それは喧嘩ではなく、お互いの想いを確かめるための大切な夫婦のコミュニケーションだった。
「今、ドラウト様がしたいことを、欲しいものを教えてください」
「……僕は…………きみが欲しい」
「わたしを"きみ"なんて呼ばないで。わたしには親から与えられ、ドラウト様から賜った大切な名前があります」
戸惑いではなく、焦燥感からティアナの眉間にしわが寄る。
ドラウトは自然な動きでティアナの眉間に指先を押し付け、グリグリと
「ティアナ・レインハートの全てが欲しい」
そこから先、言葉は不要だった。
ティアナの肩を掴み、ベッドに押し倒す。
まんまるに見開かれた空色の瞳に月明かりが差し込み、幻想的な色合いだった。
ドラウトは鼻先がくっつくほどの距離でティアナの瞳を眺めていた。
恥ずかしさからティアナが顔を少しだけ背ける。ドラウトは逃がさないというように唇を重ねた。
背中に手が回され、ティアナから小さな吐息を漏れ出る。
柔らかで温かい肌。
襟をはだけると左胸に精霊紋が見えた。
月明かりに照らされ、七色に光を放つ、雫のような形の紋様だ。
とてもではないが、『
尊くて、だけど愛らしくて、気づけば口づけしていた。
「ドラウト様……っ」
自分の名を呼ぶ、か細い声に血液が沸騰しそうだった。
一瞬にして熱い血が全身を巡って、魔力とは違う制御できない"何か"に支配されそうになる。
酒に酔った時のような高揚感とも違う、初めての感覚。
ティアナと唇を交わすたびに悦びに脳が揺れる。
まるで夢のようだ。
柔らかくて、しなやかで、繊細な痩躯を壊してしまわないように。
身を任せてくれているティアナの淡い吐息と濡れた声だけを頼りに動いた。
途中からは記憶がない。
それほどまでにドラウトはティアナに溺れた。
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