第20話 雨女、気持ちを静める

「ティアナ様!! ティアナ殿下!?」


 自分を呼ぶ声が狭い地下水道に反響する。

 バチャバチャと水音を立てながら薄暗い通路を歩くティアナは声のする方を見上げ、ハシゴに足をかけた。


「わたしを殿下と呼ばないでって何度も言っているでしょう」

「また用水路の中に! ドラウト様に知られれば一大事ですよ! あなた様は王妃になられるお方なのですから!」


 塞がれていた水源の滝を復活させたティアナによって、レインハート王国は生活水に困らなくなった。


 最初は濁流で使えたものではなかったが、優秀な魔法使いたちの浄水魔法によって、そちらの問題は解決。今では感染症の心配もなく、天然ミネラル水が無料で供給されている。

 更にレインハート王国を縦断する川を使用してのランタンフェスティバルも無事に開催することができた。


 ティアナが次に着目したのは水の通り道と行き着く先だ。

 レインハート王国の歴史を辿ると感染症が流行るのは稀ではなく、子供から大人まで大勢が命を落としたという。

 ティアナはシエナ王国のものを真似て水路を分ける提案をした。


 現在、一人で用水路の視察を終えたティアナが専属侍女のミラジーンに見つかったという状況だ。


「こんなにお洋服を汚してしまって」

「平気よ。お願い、リーヴィラ様」


 ティアナの足首にある黄金のアンクレットの一部が赤く染まる。

 よく見ると、赤いのは出し入れされた舌だと気づき、ミラジーンは声を押し殺した。


「あいよっ」


 そんな呑気な返事もミラジーンには「シャァ」という威嚇にも似た声にしか聞こえない。

 屈指の優秀な魔導騎士であるミラジーンだからこそ竜神の姿と声をぼんやりと認識できているが、それがかえって恐怖感を煽る結果になってしまっていた。


 目を瞬いている間にティアナの汚れた服も頬も綺麗さっぱり清められ、ミラジーンは更に驚くことになった。


「ありがとうございます」


 自分の足首にお礼を言うティアナの姿はまだ見慣れない。


 以前、水源を塞いでいたカチカチの蛇はティアナを聖女と認め、こうして片時も離れなくなった。まだ聖女としての力を制御できないティアナの手助けをしてくれるかけがえのないパートナーである。


「わたしに何か用事?」

「あ、はい」


 こほん、と咳払いして続ける。


「ザート領の領主、バクサ様がお越しです。なんでもオアシスの件で急ぎの用件だとか」

「それはドラウト様がお帰りになってからのはずなのに。……もうっ! ミラジーンに言っても仕方ないわね。行こっ」


 一本に縛っていた薄いブルーの髪を振り解いたティアナは迎えの馬車に乗り込み、屋敷へと戻った。


 ドラウトは転移魔法で王都とキュウサ領の屋敷を行ったり来たりする生活を続けているが、ティアナはまだこちらに留まってた。


 渇水被害が甚大である領地を良くしてこその聖女だ、と言い張るティアナと、早く彼女を王宮に住まわせたいドラウトが腹を割って話し合った結果である。


「お待たせいたしました」


 ティアナが応接間の席に着くと髭もじゃの領主バクサは怒声にも近い声を荒げた。


「無礼は承知です、聖女様。ですが、うちの領にあんな大雨を降らせないでくださいよ! こっちは乾果実かんかじつを育てて、献上しているんだ」

「乾果実……乾燥した土地で育てることで、極上の甘さと柔らかさを持つ特産品ですね。わたしも大好きです」

「そうでしょうとも! この世界で唯一無二の果実です。他国では絶対に作れない果実だからこそ貴重なんですよ!」


 乾果実かんかじつの存在はシエナ王国にいる時から知っていた。一度しか食べたことはなかったが、記憶に刻まれるほど美味しかった。


 そんな貴重な果実をレインハート王国に保護されてから毎日のように食べさせてもらっている。すっかりその甘さに魅了されたティアナの大好物と言っても過言ではない。


 バクサの主張は特産品作りに不可欠な気候がティアナのせいで崩れたというものだった。


「その問題はドラウト様がお戻りになってからというお話でしたよ。今のわたしがそちらの領地に向かっても無意味に雨を降らせてしまうだけです」

「どうしてですか⁉︎」


 困り顔のティアナを見かねたミラジーンが一歩踏み出す。

 若き国王であるドラウトも、彼の側近であるリラーゾも不在の今、ティアナを守れるのは専属侍女のミラジーンだけなのだ。


「ティアナ様は万全の状態であればこそ聖女としての真の力を発揮できるのです。ゆえに今日、明日では問題解決のために行動を起こせません。お引き取りを願います」

「なんだと!? それでも聖女か!」

「そこまでだ」


 ミラジーンの髪が逆巻き始め、静かな応接間の室温がどんどん上昇していく。

 ぽかんとしているティアナと違って、魔力を感じ取れるバクサは脂汗を流しながら視線を泳がせた。


「この世の誰よりも尊いお方への侮辱行為だぞ。子爵風情が粋がるなよ。今すぐに立ち去るか、首をはねられるか選びなさい」


 腰の剣に手を伸ばしたミラジーンの鋭い視線に射竦められたバクサは小さな悲鳴を上げながら、そそくさと扉の方へ向かった。


「お待ち下さい、バクサ卿。わたしは嘘はつきません。ドラウト様が戻られたならすぐにそちらの領地へ向かいます。それまでは外出を控えますのでどうか許してください」


 ティアナの純真無垢な瞳と真心のこもった謝罪の言葉にバクサは強く言い返せなかった。しかも、ティアナの背後には鬼の形相の騎士が威圧している。

 とてもではないが簡単に口を開けなかった。


「……ご無礼をお許しください、聖女様」

「もちろんです。領民の声を伝えてくれて、ありがとうございます」


 相手は小娘でもシエナ王国の聖女で、レインハート国王の寵愛を受ける唯一の存在だ。あの冷酷非道な男の手綱を握っているという噂も聞いている。

 実際に会ってみて、ティアナの底知れない懐を感じたバクサは素直に頭を下げた。


 今回、バクサがティアナの元を訪れたのはザート領民が反乱を起こしかねないと判断したからに他ならない。

 乾果実かんかじつの生産量が随一で、それを生業としている領地だからこそ雨が多いと困ると訴えるつもりだった。


 あまりにもティアナがおっとりとしているものだから頭に血が昇ってしまったが、決してティアナを貶すつもりはなかった。



◇◆◇◆◇◆



 それから数日して屋敷に戻ったドラウトのあまりの剣幕にぎょっとした使用人たちは固まってしまった。


「どうしてティアナ嬢は外出をしていないんだ。僕は彼女を屋敷に閉じ込めたつもりはないぞ」


 あわわわ、と慌てふためく使用人たちの後から出迎えに来たティアナは毅然とした態度で彼らの前に出た。


「ドラウト様が不在でしたので外出を控えていました。以前、ドラウト様が『明日も明後日もこうして僕と一緒に外出するんだ』と仰ってくださったのが本当に嬉しかったんです」


 ティアナは可愛らしい上目遣いで告げた。


「うぐっ」


 どうも納得のいかないドラウトがティアナの背後へと視線を向ける。使用人たちはドラウトに嘘をつけないからだ。

 しかし、ずいっとティアナが前に出てくるものだから罰が悪そうに眉をひそめた。


「そういうことなら……」

「おかえりなさいませ、ドラウト様」


 不機嫌極まりないドラウトは荷物も任せずにさっさと私室へ行ってしまった。

 小走りに追いかけようとする使用人たちに向かって人差し指を立てたティアナは「しーっ」とジェスチャーして、時間をおいてからドラウトの元に向かった。


「ドラウト様、ティアナです」

「入ってくれ」

「長旅、お疲れ様でした。湯浴みの準備が整っていますよ」

「それよりもどういうことなのか説明してくれ」


 真っ直ぐにドラウトのオレンジ色の瞳を見つめ返すティアナはこれまでの経緯を全て話した。


「――ということで、すぐにでもザート領へ向かい、オアシスを作りたいのです。わたし一人では雨を降らせてしまうので、ドラウト様もご一緒していただけますか?」

「それはもちろんだ。だが、ティアナ嬢に外出をしない約束を取り付けたバクサをどう処罰するか。問題はそこだな」


 あごに手を当て、思案するドラウトの頬をむぎゅっとしたティアナがにっこりと微笑む。


「ドラウト様、湯浴みの準備ができていますよ」

「いや、だから――」

「さぁ、行きましょう」


 少し強引すぎたかも、と思いながら部屋を出て廊下を進む。


 不機嫌極まりなかったドラウトをたったの数分でなだめてしまったのだから使用人たちは驚きだった。

 レインハート王国に来たばかりの頃からは想像もつかない姿だ。


 ランタンフェスティバルでお互いのトラウマを乗り越えた二人の間には目に見えない強い絆が生まれているのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る