第19話 シエナ王国、狂い始める
※シエナ王国視点
ティアナが去ったシエナ王国では一つの問題が起きていた。
「暑い。暑すぎる」
それは酷暑だ。ティアナが王国を出てからというもの雨はわずかに降るだけになった。日中は惜しみなく陽光が降り注ぎ、夜は熱帯夜でとてもではないが熟睡できなくなってしまった。
「マシュリを呼べ! 俺の部屋だけでも快適な温度にするんだ。これでは仕事が滞るばかりだぞ」
シエナ王国の第二王子であるギルフォードの命を受け、私室を訪れた第一聖女のマシュリの額には汗が滲んでいた。
「いかがなさいましたか?」
形式的に聞いただけで自分が呼ばれた理由は分かっている。いつものように聖女の力で室温を下げろと命じられるのだろう。
マシュリは右手に力を込め、すぐに力を使えるように準備を始めた。
「なぜ、この国はこんなにも暑くなった? お前の力が弱まっているのか?」
「まさか! わたくしの力に変化はありません! 現にこうして気温を下げることができます」
マシュリの手から水球が浮かび上がり冷気を放つと、一気に室内の温度は下がり、額の汗が引いた。
「ふぅ。少しはましか。あと、氷も作れ。ストックがなくなってしまう」
「……はい」
あの誕生日パーティーの予行練習の日より真の聖女として、そしてギルフォード第二王子の婚約者となったマシュリはケラ大聖堂を出て、王宮に住むようになった。
同時に始まった妃教育は想像を絶する厳しさで、へとへとになって帰ってきても国民からの要請があれば馬車で各領地へ向かわざるをえず、王子のわがままにも付き合わされているという悲惨な状態だった。
「お前のおかげで領主たちからの俺の評価はうなぎ上りだ。大聖堂に任せていては聖女を出し惜しみするから、こちらに連れてきて正解だった。お前もあんな閉鎖的な空間では息が詰まるだろう?」
「……はい。ありがとうございます」
国王も王太子も不在のタイミングを狙って既成事実を作ったギルフォードは、ケラ大聖堂にも圧力をかけて守られるべき尊い存在である聖女を我が物としてしまった。
まとまった睡眠時間を確保できない上に、体型維持のために食事制限をされたマシュリは髪の艶がなくなり、肌は荒れに荒れた。それを隠すための厚化粧はマシュリの顔の良さを殺し、かつての美貌は損なわれている。
「お前が真の聖女で良かった。貴族令嬢でもここまで教育に時間がかかっているのだ。あの平民上がりなら適齢期を越えていただろう」
「……はい」
「早く式を挙げるぞ。今以上にやつれられても厄介だ」
「はい、ギルフォード様」
「下がれ。また用があれば呼ぶ。褒美の
レインハート王国からの返礼品である
マシュリは聖女だからという理由で多少は食べさせてもらっているが、一度食べれば虜になる甘さと旨みに驚愕して以来、すっかり魅了されてしまった。
「あの……ギルフォード殿下。例の件についての進捗はいかがでしょう」
「分かっている。
レインハート王国でしか採掘できない
今も過去もシエナ王国に
マシュリはシエナ王国で初めて
◇◆◇◆◇◆
マシュリが退室してから、いくらか涼しくなった部屋の机に置かれた書類に目を落とす。
「チッ。忌々しい。小僧のくせに国王だと? 親が死ねば簡単に王を名乗れるとはな」
その書状の送り主はドラウト・レインハートだった。
レインハート王国は水に困らなくなったので、シエナ王国からの施しは不要になったこと。
婚約おめでとう、第二王子と第一聖女の幸せを願っているという社交辞令。
以上の三つの内容が書かれているものだ。
「果物と石ころだろ。文句を言わずに出していればよいものを」
何度も舌打ちをしつつ、目を通した書類を床に投げ捨てていく。
他にも急激な気候変化に戸惑う地方貴族たちからの意見書とケラ大聖堂からの嘆願書など大量の書類が山積みになっているのだ。
その中の一枚を手に取る。
「第二聖女が襲われた? グリンロッド王国の仕業だと? ふん、くだらん。あんな痩せっぽちのグズはどこへでも行けばいい」
ティアナが乗った馬車の御者からの報告書を破り捨てたギルフォードは注がれた紅茶をひとすすりして、窓の外を眺めた。
城下ではシエナ王国が日照りの国になってしまったのではないか、と噂されているがギルフォードにとっては好都合だった。
それに言い伝えでは聖女は次期シエナ国王の伴侶となる。
つまり、聖女を妻にした者が国王になれるのだ。
王位継承第一位の王太子はティアナが16歳になるのを待って、どちらが真の聖女なのか見極めるべきだと主張していた。
だが、ギルフォードはマシュリこそが真の聖女だと決めつけ、シエナ国王と王太子が不在である二人の誕生日の前日にマシュリとの婚約を宣言した。
「俺が国王になるためには聖女が必要だから、あの偽物は死んでくれた方が都合がいい」
秘めた思いを口にしてしまい、誰に言い訳するわけでもなく咳払いしているとノック音が室内に響いた。
「ギルフォード、入るぞ」
入室したのはギルフォードの兄であるヘンメル王太子だった。
野心家のギルフォードとは似ても似つかぬ、母親似の顔と性格の持ち主だ。
「なぜティアナ殿を国外に出した。彼女が真の聖女だったらどうするつもりなんだ!?」
「どう考えてもマシュリが聖女だ。この部屋に涼をもたらしたのは彼女ですよ」
扉を開けた瞬間から室内の温度が著しく低いことには気づいていた。こんなことができるのは聖女であるマシュリだけだということも分かっている。
だが、前代未聞の異常気象にマシュリが関わっているとは考えられない。
そうなるとここに居ないティアナの力が気候に大きく影響していたのではないかと勘ぐるのは当然のことだった。
「兄上は俺が国王の座に就くことを恐れて、そんなことを言っているのだな」
「私はこの国の未来の行く末を案じているのだ。このまま雨が降らなければ、作物が育たず、国民が飢えてしまう。いずれ水の供給も止まるぞ」
「そんなわけがないでしょう。いざとなれば、マシュリを頼ればいい。彼女はこの国を豊かにする存在ですよ」
「その認識は間違っている。聖女はこの世界を豊かにする尊い女性だ。決して、シエナ王国が独占していいお方ではない」
「何を馬鹿なことを。王族であれば、自国を優先するのは当たり前のこと。そんな考えで国民が付いてくるとでも? 俺なら明るい未来を導ける。それにマシュリは俺の婚約者だ」
言いたい事は分かるな、と目配せすれば、ヘンメルは黙ってため息をついた。
「一つ忠告をしておく。マシュリ・ヒートロッドに力を使わせない方がいい。私の想像を絶する出来事が起こるかもしれない」
「人の心配ばかりではなく、ご自分の
ヘンメルは弟への怒りを爆発させるような真似はしなかったが、いつもより雑に退室し、目頭を押えた。
「ティアナ殿、もしや貴方が降らせる雨には意味があったのではありませんか?」
レインハート王国の方角に向かって呟いてみても質問への返答はない。
「今更ですが、戻ってきてくれないでしょうか」
ヘンメルは自分が不在中に国外追放されてしまったティアナの捜索を急がせるように家臣に指示を出している。
しかし、 愛する
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