第18話 雨女、心を通わせる

「僕は呪われているんだ」


 突然の独白に小さく聞き返す。


「先日の食事の席では使えないと言ったが、正確には他の魔法も使える。ただ、それは一般的な魔法ではないんだ」


 こんなにも弱々しいドラウトの声は聞いたことがなかった。

 今すぐにでも「無理に話さなくていいですよ」と言ってあげたくなる。しかし、ドラウトは自嘲するように笑いながら憂う瞳でティアナを見下ろした。


 ティアナも心して頷く。


「どれだけ時間をかけても構いませんから教えてください。ドラウト様のことをもっと知りたいんです」


 目を閉じ、深く息を吸ったドラウトが細く長く息を吐く。

 そして、決心したようにティアナの空色の瞳を見つめ返した。


「僕は転移魔法と回復魔法を扱える。でもね、僕は回復魔法で失敗しているんだ」

「回復、ということは怪我や病気を治す魔法でしょうか?」

「それは治癒魔法だ。僕の魔法は時間を巻き戻して体を治す。つまり、最初からなかったことにできるんだ」


 魔法が一般的ではないシエナ王国出身のティアナにとっては想像の斜め上をいく話で思考が追いつかなかった。

 今の話を聞かなければ、ドラウトは奇跡を起こして自分の目を治してくれたのだと信じ続けるところだ。


「わたしの目は回復魔法で治していただけた、ということですね」

「その通りだ」


 歯切れが悪く、瞳は恐怖に揺れている。

 その理由を探るティアナが一つの答えを導き出し、それを口に出してしまった。


「……心理的に使用できなかったのですね」


 はっとしたドラウトはまたしても大きく深呼吸した。


乾鉱石かんこうせきの採掘作業中に起きた落石事故で腕を無くした者がいてね。僕は迷わずに回復魔法を使った。父の許しも得ずに――」


 あまりの緊張感に固唾を呑む。


「結果的にその者の腕は戻った。だけど、怖がられてしまってね。その時の化け物でも見るような目が忘れられないんだ」


 だから、と続けるドラウトの悲痛な表情に胸が痛くなる。


「ティアナ嬢にも嫌われたら、と思うと体が動かなくて。だけど、ティアナ嬢が過ごすレインハート王国を見て欲しくて。もっと世界を見て欲しくて。もっと、僕を見て欲しくて――」


 ふわりと背伸びしたティアナの小さな両手がドラウトの肩に置かれる。

 察したドラウトが膝を折るとティアナは彼の頭を包み込み、癖のない黒髪を撫でた。


「怖がるわけがありません。ドラウト様はわたしの恩人ですよ。わたしの中にあるのは感謝と尊敬と慕情ぼじょうだけです」

「ティアナ嬢っ」


 ドラウトが抱きしめ返してくれる。

 優しく壊れてしまわないように、だけども力強く。


「きみを必ず幸せにする。絶対に他の誰にも渡さない。この命が枯れるまで、ずっときみだけを愛し続ける」

「わたしも……お慕いしています」


 ドラウトの頭はティアナの腹部に押しつけられて顔は見えない。だから、こんなにも大胆なことが言えたに違いない。


 やがて、落ち着いたドラウトは持っていたランタンを取り出し、ティアナの手をとって緩やかに波打つ湖に近づいた。


「僕たちが一番乗りだ」

「はい!」


 そして、二人で持ったランタンを湖に浮かべた。


「華やかな未来の訪れを祈って」

「レインハート王国の発展を祈って」


 水面に煌めくランタンの灯りと月と星が二人を照らす。


「ランタンフェスティバルは大成功ですね」


 これまで転移魔法で見てきた各領地の人々の笑顔を思い出すと自然に頬が緩んだ。


「視界がぼやけていたとしてもドラウト様と一緒なら楽しめたと思います。ですが、お顔も景色もはっきり見えていたからこそ100パーセント楽しめました。ありがとうございます、ドラウト様」

「それは何よりだ」


 隣にしゃがんで微笑んでいたドラウトがおもむろに懐から小箱を取り出した。


「ずっとタイミングを窺っていたのだが、今しかないな」


 そう言って開かれた箱の中にはキラキラ光るチェーンが一つ。その先端にあるペンダントトップではオレンジ色の宝石が輝いていた。


「後ろを向いて貰えるか?」

「は、はい」


 立ち上がり、背を向けて硬直するティアナにドラウトは耳元で「髪を上げて」と小さく囁いた。


 男性からのプレゼントは初めてだ。ましてネックレスなんて一つも持っていないし、付け方も分からない。


 それに髪を上げるってことは……。


 恥ずかしさと照れくささが混じり合った感情のまま、震える手で流している髪をかき上げると白いうなじが露わになった。


「そのまま動かないで」


 背後からドラウトの手が伸びる。チェーンがティアナの首をすべり、胸の前にそっとオレンジ色の宝石が置かれた。


「……綺麗」


 呆れてしまうほどに美しい宝石は触れることも恐ろしく、あごを引いて見下ろすのがやっとだった。


乾鉱石かんこうせきを加工した乾宝石かんほうせきだ。レインハート王国でも加工できる職人はごく一部で、身につけられるのは王妃のみ。もちろん宝石として他国に渡ることは絶対にない」

「それって!?」

「ティアナ嬢、僕のお嫁さんになってくれますか?」


 あまりの感動に声が出ない。

 ティアナはくりくりの瞳に涙を浮かべながら何度も頷くのが精一杯だった。


「これは僕だけの太陽である証だ。もし、ティアナ嬢が嫌になったらいつでも外してくれて構わない」

「そんな日が来ることはありません」


 頬を染めるティアナのうっとりとした表情はランタンに照らされ、それを見たドラウトもまた頬を紅潮させた。


 幻想的な世界の中でひざまずいたドラウトが顔を伏せて優しくティアナの手の甲にキスする。

 ティアナはこれまでにないくらいスムーズに受け入れた。


「心の内を吐露したのは初めてだったが、想像よりも気恥ずかしいものだな」

「わたしはドラウト様のことが知れて嬉しかったです」

「ありがとう。これからもっともっと知ってもらうつもりだ」


 このセリフの方がよっぽど恥ずかしいと思うけど、とティアナが手を差し出したままで微笑んだ時、視界の端で何かが動いた。


「ドラウト様、精霊は湖に来ているようですよ」


 姿ははっきりと見えないけれど、ティアナの周りを飛んだり、水面を跳ねさせたり、と思い思いの遊び方をしているらしい。


「それなら良かった。全てはティアナ嬢のおかげだ」

 

 甘い雰囲気の中、おーい! という鬼気迫る声に振り向く。


「そろそろ限界なんだけど〜。お腹いっぱい。胸いっぱいだぜ」


 気づけば、竜神リーヴィラの体は膨張して今にも破裂してしまいそうだった。


「帰ろうか、ティアナ嬢」

「はい、ドラウト様」



◇◆◇◆◇◆



 ちょうど一時間だ。

 先にティアナだけを屋敷に送り届け、ドラウトは最後までランタンフェスティバルの行く末を見届けに戻った。


 ティアナが屋敷に戻るとリーヴィラの膨張も止まり、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。


「リーヴィラ様、ありがとうございました。平気ですか?」

「ギリだな〜。やっぱり聖女の力はすげぇや。たった一時間で竜神の腹を満たしちまうんだからよ」


 けふっ、と苦しそうにお腹を向ける蛇の姿は竜神だと主張されても、にかわには信じられない。


「一つ聞いてもいいですか?」

「オレに答えられる範囲ならな〜」

「今日のランタンフェスティバルの在り方は正しかったのですか?」


 その質問にリーヴィラは沈黙で答えた。


「……そうですか」

「最後にやったのが3、400年前だろ。仕方ねぇって。誰も気にしてねぇんだから嬢ちゃんも気にすんな〜」


 複雑そうなティアナにリーヴィラが重い体で這い寄る。


「嬢ちゃんやあの坊ちゃんにとっては正解なんだからさ。どうせ、100年後にはまた変わってるって」


 ケラ大聖堂で聞いた聖女の役目とリーヴィラから聞く話は大きく異なっていて、まだ自分には知らないことが沢山あるのだと気づかされた。


「リーヴィラ様、わたしに歴代の聖女について教えて下さい。シエナ王国にいるもう一人の聖女にも伝えて、ちゃんと役目を果たしたいのです」


 ティアナは第二聖女としてレインハート王国で出来る限りのことをしてマシュリに情報を共有しようと考えた。


「教えるのはいいけどよぉ。もう一人の聖女ねぇ~。そんなの聞いたことないけどな~」


 眉間にしわを寄せるティアナにリーヴィラは不敵に笑うのだった。

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