第2話 雨女、助けられる
翌日の朝食後、マシュリは大聖堂の中庭で貴族令嬢を招いた優雅なお茶会を開いていた。
「あの偽物……あら失礼。第二聖女は同盟国であるレインハート王国へ向かわせることにしましたの。シエナ王国は私が、あちらはアレが豊かにするとギルフォード殿下にお約束しましたのよ」
「まぁ! マシュリ様はなんて慈悲深いのでしょう」
「せっかく聖女が二人いるんですもの。我が国だけで独占するなんて、真の聖女である私にはできませんわ」
「さすがマシュリ様! 真の聖女様は御心が深いのですね」
廊下を通りかかったティアナが遠巻きに見ていることを知った上で、あえて聞こえるような声の大きさで語っていた。
「レインハート王国といえば、あの非道な王族の国ですわよね? 雨乞いのために少女を生贄にするとか」
「そうらしいですわね。でも、アレが行けば問題は解決するでしょう。真の聖女でなくても、聖女には変わりないのですから」
中庭から離れたティアナの背後ではマシュリの高笑いが聞こえていた。
それから数時間後、誕生日パーティーを待たず、一つの鞄に荷物をまとめたティアナは誰にも見送られることなくケラ大聖堂を出発した。
用意された馬車は古びたもので、とてもではないが百年に一度の聖女を乗せるものとは思えない。
見た目通りの粗末な出来で揺れも酷く、酔いそうになったり、お尻が痛くなったりと踏んだり蹴ったりだった。
(これでいいの。わたしがいなくなればシエナ王国の気候はもっと安定するはず。レインハート王国が聖女の力を必要とするのなら、少しでもお力添えをしてそっと居なくなろう)
屋根のある馬車での移動中は一滴の雨も降らず、御者には太陽が強く照りつけている。
こういう時は、自分がもっと聖女の力をコントロールできれば、気温も湿度も調整して快適に仕事ができる環境を整えられるのに――と心底申し訳なく思ってしまう。
出発してから数時間、夕方になると最も気候が安定している王都から随分と離れてしまった。舗装されていた道から外れると空気の微細な変化に気づき、ティアナはハンカチで口元を覆った。
「けほっ、けほっ。こんなに喉が変なのは初めて。王都ってすごく過ごしやすかったんだ」
田舎出身のティアナは物心をついた頃から王都にある大聖堂での軟禁生活を余儀なくされている。
これまで整えられた気候の地でしか生きてこなかったティアナにとって初めての不快感だった。
車輪が固い地面を踏みしめている。ガタンと馬車が揺れる度に体が浮いて柔らかくない座席にお尻をぶつけてしまう。
一度、馬車を降りて背伸びをしたい気分だった。
ティアナが向かうレインハート王国とは、別名『日照りの国』と呼ばれる不毛不作の地だ。
国土の一部が砂漠化していて、熱帯夜はとてもではないが安眠できないと聞く。
砂漠化の進行速度があまりにも速く、それに伴って渇水被害も甚大とされている。
外で汗をかきながら走り回った経験すらないティアナが異国で、しかも気候が大きく異なる地で生活できるとはマシュリも思っていなかった。
これは実質「干物になって来い」と言われているようなものだ。
(王都から離れただけでこんなに息が苦しいなら、レインハート王国はもっと辛いに決まっているわ)
ティアナは小さくため息をついた。
「頑張らないと。シエナ王国ではお荷物でも、聖女として役に立てるかもしれないし」
ふんす、とやる気を出すティアナが興奮すればするほどに額からは汗が滲み、気怠さが増した。
やがて、馬車が速度を落として今にも停車しそうになった。
まだ到着には早いはずなのに、と不思議がるティアナが小窓から顔を覗かせ、目を凝らす。
「え!? なに、これ!?」
ティアナを乗せた馬車を囲む多数の男たち。
それぞれが武装していて、虚な目がティアナを捉えて離さない。
「シエナの聖女だな。悪いが拘束させてもらう。大人しく降りてこい」
御者は怖じ気づき、完全に停車した馬車から飛び降りて命乞いを始めてしまった。
ティアナを護衛する騎士なんていない。御者が逃げ出してしまえば、ティアナは一人になってしまう。
馬車の扉を開けて、眉間にしわを寄せながら男たちを見回す。
一人だけ甲冑のようなしっかりとした武装をしている男が向かってくることに気づいたティアナは馬車から降りて傘をさした。
案の定、雨が降り始め、周囲を囲む男たちが声をあげる。
「本当に雨が降ったぞ!」
「こいつは本物だ!」
昨日、偽物の烙印を押されたばかりなのに、と自虐しながら小さく拳を握る。
(大丈夫、落ち着いて。これから大雨が降るから逃げられるわ)
自分を鼓舞して歩き出す。
「あなたたちはどこの誰ですか?」
「俺たちと来い。お前がいれば、俺たちは救われるんだ!」
「な、何を言っているの……? やめてください」
「いいから来い‼︎」
「きゃあ⁉︎」
問答無用で傘を持つ腕に男の手が伸びる。
初めて男の人に迫られたティアナは足がすくんで動けなくなってしまった。
ティアナの感情に呼応して雨足は強くなる。
男を拒むように。嫌なことを全て飲み込んで流してしまうように――
「
視界を奪われるほどの豪雨の中、重くのしかかる重低音が耳に届いた。
続いて、武器を落とすガシャンという音が聞こえた。
体を縮こめていたティアナがきつく閉じていた目を開ける。
すると、男たちは地面に倒れていた。
滝のように降る雨が重いわけではない。
まるで見えない天井に押さえつけられているようだった。
必死に抵抗しても立ち上がれない男たちを見回したティアナが安心して脱力しそうになった時、ふわりとお日様の香りが風に流されてきた。
「美しい。まるで女神、いいや天女のようだ」
「っ!?」
突然の褒め言葉に困惑するティアナが後ずさる。
ついさっきまで誰も居なかったはずなのに、
「……ど、どなた……ですか?」
見知らぬ男に乱暴されそうになったばかりで、警戒するティアナに一度伸ばしそうになった手が引き戻される。
さっきの賊とは違うしなやかな指先を見つめたまま動けずにいるティアナに向けられたのは恐ろしいほどに色っぽい声だった。
「きみを迎えに来た。シエナ王国の聖女様」
次の瞬間、ティアナが外に出ているにもかかわらず、雨足が弱まった。
これまでの人生で初めての出来事だった。
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