雨女だからと国外追放された私が聖女だったみたいです

桜枕

第1章

第1話 雨女、国外追放される

「これのどこを掃除したっていうの? 本当にグズでのろまな女ね。こんな雨女と一緒にされる私の身にもなって欲しいわ」


 小さな窓しかない聖堂の一室。

 高圧的な声と一緒に頭上から水を浴びせられた。


 眉間にしわを寄せ、床とにらめっこしながら日課の拭き掃除をしている手を止めたティアナが諦めたように顔を上げる。

 限りなく黒に近いディープブルーの髪をなびかせた、もう一人の聖女であるマシュリが高笑いしていた。


 マシュリの手にバケツはない。

 ではどのようにしてティアナに水を浴びせたのか。その答えはすぐに分かった。


「あら、ごめんなさいね! わざとじゃないのよ。水拭きの方が汚れが落ちると思って。感謝していいわよ」


 マシュリは手の上に水球を生み出し、それをティアナの頭上まで移動させて一気に破裂させたのだ。

 

「あんたには出来ない芸当でしょ。悔しかったら聖女の力をコントロールしてみなさい。何年経っても力を制御できないあんたはお払い箱になるのよ」


 自然界に存在する精霊の加護を受けたマシュリは聖女として、このケラ大聖堂で悠々自適な生活を送っている。

 同じように精霊の加護を受けたティアナも等しく聖女だ。しかし、年齢が一つ年下であることと、聖女としての力をコントロールできないことを理由に虐げられてきた。


 ――マシュリ様が正しい。いつだってわたしがいけないんだ。


 言い聞かせるように心の中でつぶやき、床に広がった大量の水をモップで拭き取り始める。


 これまで外出を禁じられ、聖女とは名ばかりの小間使いのような扱いを受けてきた。いつしか大聖堂ここから出て行けと言われるのなら、その運命を受け入れよう。

 そんな風に思いながら手を動かす。


「日照りの国にでも追放してあげましょうか? あの国なら雨女でも大歓迎してくれるでしょう。あ、でもダメね。あんたが到着した瞬間に大洪水で水没してしまうわ」


 マシュリの高笑いが室内に反響する。


 ここシエナ王国には伝説がある。精霊に愛された女子は聖女としてあらゆる現象を引き起こすことができるという伝説だ。

 例えば、天候を自在に操れるようになる。雨を降らし、草木や花に潤いを与え、母なる大地に豊作をもたらす。そして、次期シエナ国王の伴侶として国を支える宿命を背負う。


 百年に一度、聖女が現れるという言い伝え通り、マシュリは覚醒し、ケラ大聖堂に迎え入れられた。

 貴族の娘でもあった彼女は自分だけが特別だと信じてやまず、シエナ王国の王子と結婚する運命をすんなりと受け入れた。

 

 だが、一年後、奇しくも同じ誕生日のティアナが聖女の力を発現させた。

 地方出身の平民だったティアナのことを知ったシエナ国王は莫大な金額でティアナを買い取り、強制的に王都にあるケラ大聖堂へと預けた。


 身分も境遇も異なる二人が仲良くできるはずがなく、ティアナの一方的に虐げられる生活が幕を開けたのだった。


「ギルフォード殿下と結ばれるのはあんたじゃなくて私よ」


 毛先から滴り落ちる雫を見下ろすティアナの手に力が入る。

 マシュリの怒りと憎しみにまみれた視線を真っ向から受け止める勇気なんてなかった。


 王子様との結婚なんて乙女なら夢に見るほど嬉しいだろう。だが、最初からティアナの心にギルフォード第二王子は居ない。


(好きでもない人と結婚するなんて嫌。わたしは好きな人と一緒になりたい。マシュリ様、わたしは王子様を横取りなんてしません)


 平民出身のティアナに政略結婚という概念がないからこそ、聖女としての運命を受け入れるマシュリのことを尊敬していた。

 自分よりも立派な聖女であるマシュリからの当たりがキツいのは未熟な自分が悪いのだと思っていた。それなのに誕生日が近づくにつれて恋敵に向けるような目で睨まれ、八つ当たりされるようになってしまった。


(こんなことなら聖女じゃなくていい。わたしは普通の女の子になりたい)


 明日はマシュリの16歳の誕生日、そしてティアナの15歳の誕生日である。

 聖女は16歳になったら次期国王となる王子と婚約するのが習わしだ。


 しかし、当代の聖女は史上初の2人。

 王太子や国の重臣の中には1歳年下のティアナが16歳になるのを待って、どちらが真の聖女なのか見極めるべきだと進言する者もいたが、ギルフォードはそれを受け入れなかった。


 今日もマシュリからの嫌がらせに耐え、憂鬱な気持ちで夜を迎えたティアナの元に突然やってきた修道女。彼女の手には昨年マシュリが着ていたお下がりのドレスがあった。

 訳もわからず、着替えを命じられたティアナはサイズの合わないドレスを着て、鏡の前に立った。


(マシュリ様は綺麗に着こなしていたのに、わたしが着るとこんなにも似合わないなんて)


 ドレスのサイズが小さくて苦しいのではなく、大きくて不格好なのだ。特に胸の辺りはぶかぶかでティアナの体型に合っていないのは明白だ。

 

 着替えを終え、指示された通りに屋根の下で待ち、夜空を見上げる。

 真ん丸の美しい月が浮かぶ夜空には雲一つなかった。


「明日の誕生日パーティーも晴れだといいな」


 そんなことをつぶやいていると、目の前に馬車が停車した。

 

「明日の予行練習です。さっさと馬車に乗ってください」


 背後に控える修道女の素っ気ない言葉に戸惑う。ティアナの記憶では、これまで一度も誕生日パーティーの予行練習なんてしたことがなかった。

 しかし、逆らうことはできず、屋根の下から出て馬車へと足を向けたティアナは日頃から手放さないボロ傘を開いて頭上に掲げた。


「明日、15歳だけどやっぱりダメなのね」


 一瞬のうちに黒雲が満月を隠し、シエナ王国に雨をもたらした。

 雨の勢いが増す前に急ぎ足で馬車に乗り込む。すると雨はぴたりと止み、ティアナはほっと胸を撫で下ろした。


 ティアナを乗せた馬車は静まり返った王都の町を進み、王宮の門を越え、エントランスの前で停車した。


「力をコントロールできないって便利ね。貴族でもないくせにこんな所まで馬車で来られるんだもの。毎回わざとやってるの?」


 一足先に到着していたマシュリに嫌味を言われ、悔しさから唇を噛んでしまった。

 

(好きで雨を降らせているわけじゃないのに)


 やるせない気持ちのまま騎士にエスコートされるティアナの中では疑問が膨らむばかりだった。

 そして、ついにティアナの疑問が口から出そうになった。


(な、なんで⁉︎ 練習じゃないの⁉︎)

 

 本番さながらの人数に目をしばたたかせる。毎年のように参列する貴族たちが勢揃いしていたのだ。


 誰も混乱するティアナを気遣う様子もなく、到着を待っていたようにパーティー会場の扉が一度閉ざされる。

 次に扉が開かれた時、豪奢な衣装を着たギルフォード第二王子が入場した。


 割れんばかりの拍手で迎えられる。

 例年通りなら約半数は乾いた拍手だ。王太子派と第二王子派の貴族が一堂に会するのだから仕方のないことだが今日は違った。


 シエナ国王と王太子が王国を離れていることを思い出したティアナは、目立たない位置で大勢から祝福の言葉をかけられるマシュリを見ていた。


 やがて、ギルフォードが前に出る。本来であれば簡単な祝いの言葉を述べて退席するはずなのだが――



「俺は真の聖女はマシュリだと確信している。理由は皆も察しがつくだろう。聖女の力をコントロールできているからだ。母国にもよく貢献してくれている。よって、俺はこの場でマシュリ・ヒートロッド伯爵令嬢との婚約を宣言する!」



 あまりにも突飛な発言だった。それなのに参列者は立ち上がり、歓声と拍手が広がった。

 マシュリを横目で覗き見る。目を見張り、涙を浮かべたのは一瞬だけで勝ち誇ったような顔で薄ら笑みを向けられた。


 大きな拍手の中、やりきった顔のギルフォードが扉へと向かう。マシュリは思い出したように駆け寄り、耳打ちした。


「ギルフォード殿下。偽物の処罰はいかほどにいたしましょう」

「まだ15歳だったか。聖女は一人でいい。好きにしろ」

「では、渇水被害で困り果てているレインハート王国へ向かわせるのはいかがでしょうか」

「……悪くない手だ。厄介払いもできて恩も売れる。いいだろう」


 秘密のやり取りを終え、ギルフォードはティアナへと振り向いた。


「準備ができ次第、レインハート王国へ出立せよ。これはシエナ国王の言葉だと思え」


 ギルフォードはマシュリと腕を組むような真似はせずに会場をあとにした。

 こんな暴挙が許されるはずがない。だけども、この場にギルフォードを止める者は居ない。


 マシュリが盛大に祝われる中、実質の国外追放を命じられたティアナは人知れず王宮を抜け出してケラ大聖堂へと戻った。

 会場の外が土砂降りになっていることなど、マシュリをはじめとする第二王子派の貴族たちは誰も気づかなかった。

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