第82話 聖女、動揺する

 ラナ・カーランベルグとの会話以降の挨拶回りはほとんど覚えていない。

 それはリラーゾも同じでナタリアとの結婚を許された喜びと、愛を取るべきか母国を取るべきかという二つの選択肢の狭間で葛藤を繰り返していた。


 あっという間に夜が明け、豪華な朝食を終えたティアナたちは暇を与えられることなく地神エルシラの元へと案内された。


 王宮から馬車を走らせること数時間。

 到着した場所は海に囲まれた断崖絶壁だった。

 穏やかな波が壁を打ち付け、下を覗くと足がすくむほどの高さを誇っている。


「この更に上でございます」


 巫女装束の女性に案内され、断崖絶壁を削って作られた階段を上る。

 滑りやすい岩の道を歩き進めると縄と木で出来た簡易的な梯子はしごが見えてきた。


 梯子はしごは老朽化しており、女性一人の体重しか支えられないとのことだ。

 しかも、ここから上に行けるのは限られた人間だけだと言う。


「聖女様、どうぞ。お上がりください」


 巫女はティアナだけを通した。

 ミラジーンはもちろんのこと、ナタリアもここから先には立ち入り禁止を言い渡され、大人しく従った。


 何よりもティアナがそう命じたのだ。


「ちょっと待っててね」


 あの時と同じだ、とミラジーンは数ヶ月前の出来事を思い出した。

 クラフテッド王国のペロル・パタパリカ火山の火口に飛び込んだ時も散歩にでも行くような気楽な口調だった。


 ティアナが梯子はしごを足をかけるだけで、ミシッと嫌な音を立てた。

 千切れることはなさそうだが、ティアナが一歩上る度に音は大きくなっていく。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らしながら梯子はしごを登り切ると岩を削ったような踊り場に到着し、やっと一息つけた。


 下は見ちゃダメ。

 そう自分に言い聞かせていても怖いもの見たさで見てしまった。


 あまりの高さに胸がきゅっとする。

 波の音を聞き続けていると海の中に吸い込まれそうだ。


 声を出すこともできず、ぎこちない動きで首を動かして岩にしがみついた時――


 爬虫類を思わせる目と目が合った。


 ティアナがいる場所は断崖絶壁の更に上にある岩肌の窪みの中だが、その奥に目があったのだ。

 ティアナは思わず視線を逸らして、後ずさった。


 既視感を覚える。

 これは龍神リーヴィラと初めて出会った時と同じだ。

 あの時のリーヴィラは巨体を丸めて川を塞ぐ大岩と化していた。


「もしかして、あなたがエルシラ様?」


 返答はない。

 しかし、一際突出している下の岩から白い霧が噴出した。


 一見すると岩肌に波が跳ね返ったようだが、間違いなく岩から吹き出したものだ。つまり、岩が激しい鼻息を立てたことになる。


「わ、わたし、シエナ王国の聖女でティアナ・レインハートと申します」


 ティアナが爬虫類の目の下へと手を置くと強烈な勢いでイメージが脳内に流れ込んできた。


 それはまるで他人の記憶の流入。

 いくつものシーンがワンカットずつ頭を殴りつけてくるような感覚だった。


『やぁ、当代の聖女ちゃん。今、レインハートって言ったかい?』


 猫撫で声にも近い女の声が聞こえる。

 ティアナは声を出さずに頷いた。


『あちゃー。先代は愛の逃避行、当代はよりにもよってリーヴィラの子孫とくっついたのかー』


 何を言っているのか分からないティアナは小首を傾げる余裕もなく、ただ微動だにしない爬虫類の目を凝視していた。


『ワタシがエルシラで間違いないよ。ナビラ王国に来たってことは当代の女王の元にも行ったんだよね? まだならこんな所に居ないで早く行って欲しいな』

「リズラステ女王とはお会いしました。昨日のことです」

『それはけっこー。飲んだ?』


 愉快そうな、甘ったるい声。

 他の三人の神たちと違ってハイテンション過ぎて頭痛がしてきた。


「飲んだというのは、あのドロっとした飲み物のことでしょうか」

『そーそー! 飲んでるねー、いやー、嬉しいなー。あれを飲んでくれないとワタシの立つ瀬がないんだよー』


 ケラケラ笑うリーヴィラと違ってエルシラは喜びを全開にして笑う。

 それも大音量で笑うものだからティアナの頭痛は増していった。


「ドラウト様がリーヴィラ様の子孫なのですか?」

『そだよー。聞いてないの? シエナ帝国の四大貴族レインハート家嫡男にして、レインハート王国創立者かつ初代国王――リーヴィラ・レインハート。今ではちっぽけな蛇だけどねー』


 衝撃的な新事実にティアナの頭の中は疑問符でいっぱいになった。


(リーヴィラ様が元人間!? シエナ帝国!? 王国の創立者!?)


 混乱するティアナを見て、豪快に笑うエルシラは昔を懐かしむように爬虫類特有の目を細めた。


『聖女ヘカテリーゼに限りなく近い魂を持つお嬢ちゃんは、シエナでもクラフテッドでもグリンロッドでもナビラでもなく、レインハートを選んだってわけだ。時代だなー。歴代の聖女の中で一番幸せかもね。でも、人並みの幸せは得られないよ』

「ど、どうしてですか。わたしは今でも十分に幸せです」

『あ、そう。じゃあ言い方を変えようか。あんたはレインハート家の世継ぎを、愛する男との子を、生涯に渡って産むことはできない。それだけはワタシが絶対に許さない』


 獲物に狙いを定めた瞳。

 舌舐めずりしているような声。


 恫喝に近いエルシラの言葉はティアナの心に深く突き刺さり、安定していたティアナの精神を激しく動揺させた。






――――――――――――

*大事なお知らせとお願い*


2024年、最後の更新です。

当作品を見つけていただき、本当にありがとうございました。

今年中に完結できませんでしたが、もう少しなのでお付き合いいただけると幸いです。


カクヨムコン用の作品も同時に執筆していますので、そちらも公開した際にはアナウンスさせていただきます。


『面白い!』、『続きが気になる!』と思ってくださった方は作品フォローや↓から☆☆☆評価していただけると執筆の励みになります。


よろしくお願いします。

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