第83話 聖女、掴みかかる

 地神エルシラとの邂逅かいこうを終えたティアナはすぐにミラジーンたちの元へ戻り、声を荒げた。


「今すぐに馬車を出して! 早急にリズラステ陛下との謁見えっけんを希望します!」


 馬車に飛び乗ったティアナはミラジーンからの質問も受け付けず、王宮に到着するまでの間、ずっと細かく膝を揺り動かしていた。


「お待ちください、聖女様! こちらはリズラステ様の私室にございます。謁見えっけんであれば、相応の場で――」


 バンッ!


 護衛の女騎士の制止を振り払ったティアナはリズラステの部屋の扉をこじ開け、真っ暗闇の室内へ飛び込んだ。


「リズラステ陛下、どういうことですか! わたしに何を飲ませたのです⁉︎」

「結構。無事にエルシラ様にお会いできたようで」

「なにが結構なものですか! わたしの体に何をしたの⁉︎ わたしがドラウト様の子を産めないとは一体どういうことですか⁉︎」

やかましい。光を失うと耳がより聞こえるようになることは元より視力の弱い貴公なら理解できるだろうに。魔法で視力を取り戻すと同時にその気持ちを失ってしまったのか?」

「……くっ」


 リズラステの言う通り、ティアナは生まれ持っての弱視で目を細めなければ人の輪郭も文字も読めないレベルの視力だった。

 今ではドラウトの治癒魔法によって全快しているが幼い頃の癖は抜けず、今もリズラステを睨みつけるように目を細めていた。


「わたしに飲ませたものはなんですか?」


 静かに、だが怒りを込めて問う。

 意外にも答えはすぐに返ってきた。


「受胎抵抗の魔法薬。速効性かつ永久的に体に作用するもので、このナビラ王国でしか作れないが生成も使用も禁忌としている禁断の魔法薬だ」


 奥歯で苦虫を潰したような苦々しい声と表情での返答。

 ティアナは脱力しそうになる膝に力を込め、怒りと悲しみを原動力に変えて叫んだ。


「そ、そんな……そんなものを、わたしに飲ませたのですか⁉︎」

「それが定めだから」

「誰が決めたのです! わたしの未来はわたしとドラウト様のものです! あなたが勝手に捻じ曲げて良いものではありません!」

「そんなことは百も承知だ。仕方がないでしょう。これが我らの定めなのだから」

「さっきから定め、定めって!」


 まぶたを閉じ、肘をテーブルについて指を組むリズラステに掴みかかる。

 ここまでティアナが激昂したのは初めてだった。


「あなたの意思ではないのですか!」

「仕方がないでしょう!」


 両手の拳でテーブルを叩き付けたリズラステ。

 あまりにも大きな音と二人の絶叫に廊下で待機していたミラジーンやリズラステの護衛騎士が入ってきてしまった。


わらわが好き好んで一人の女性の人生を変えていると思っているのか!? そんな無粋な真似をするような性悪女だと思っているのか!?」

「思っていません! だから怒っているのです! エルシラ様の指示だったとしてもどうして抗わないのですか!? どうしてそんなにも苦しい顔をしてまで酷いをことをするの!?」

「……それが定めだからだ」


 ものすごい剣幕で取っ組み合いながら叫び合うティアナとリズラステの間には誰も割って入れなかった。


「これは二人の問題であるゆえ、下がれ」

「ミラジーンも下がりなさい」


 主君の命令に従ってミラジーンたちが退室すると二人もいくらか冷静になれたのか掴み合っていた服を放し、息を整えた。


「許して欲しいとも同情して欲しいとも思わない。ただ我らが好きでやっているわけではない」

「分かっています。だからこそ、説明を求めているのです。飲んでしまったものは仕方がありません。それはレインハート王国に戻ってから考えます。まずはナビラ王国で何が起こっているのか。リズラステ陛下がどんな立場に立たされているのか知りたいのです」


 ティアナは自分自身のことは二の次で、リズラステとナビラ王国のことを優先的に考えている。

 そんな生粋の聖女であるティアナを目の当たりにして、本音をぶつけ合ったリズラステは頑なに閉ざしていた心の扉を少しだけ開いた。


「……脅されている」


 ぽつりと呟かれた消え入りそうな言葉にティアナは息を飲んだ。


「我らナビラ王家に課せられた使命は100年に1度現れる聖女に魔法薬を飲ませること。今から100年前の女王は役割を果たせなかった。聖女がナビラ王国に来なかったからだ。お祖母様は必死に聖女を探した。まつりごとを放り出し、履物を潰しながら大陸中を探し回った。だけど、見つけられなかった。そして、遂にエルシラ様の鉄槌が下った」


 恐怖に怯えながら、だけども憎たらしく、リズラステは語る。


「この海の上に鎮座する地神エルシラ様が動かれたのだ。それこそがナビラ王国の天災――地震じぶるい。エルシラ様はお祖母様の失態を許さず、王国をこれ以上の地震じぶるいから守りたければ、女王を殺し、聖女も見つけ出して殺せと命じられた」


 あまりにも壮大な歴史にティアナは食い入るように聞き手に回った。


「先代の聖女は秘密裏に暗殺され、お祖母様は公衆の面前で処刑され、エルシラ様の怒りは鎮まった。今はわらわの番だ。どうしてわらわが……わらわの代で……。嫌だった。聖女が生まれる前に玉座から降りたかった。だが、次はわらわの娘が矢面に立たされる。あの子にこんな想いはさせたくない……だから、わらわがやった!」


 リズラステは血が滲むほど拳を握り締め、腹の底から声を張り上げた。

 これまで誰にも言えず、心の奥底でぶすぶすとくすぶっていた感情を吐き出すように――


わらわわらわのために! 娘のために! 王国のために! 尊むべき聖女の尊厳を破壊してでも受胎を防ぐのだ!」


 カッと見開かれた瞼の下ある光を失った琥珀色の瞳には確かな意思と揺らがない覚悟が宿っていた。


「……陛下の事情は分かりました」

わらわは後継者を作るだけのために好きでもない男との間に娘を産んでいるが、それでも我が子は愛おしい。わらわの母は何度も謝罪しながらわらわを育て亡くなった。だが、わらわは違う! あの子には生まれてきてくれてありがとう、と伝えながら育てるのだ。少なくともわらわの子が女王の座に就いている間には聖女は現れないだろう。あの子がわらわと同じ想いをすることは絶対にない」


 リズラステは再び、まぶたを閉じて直角に腰を折った。


「心から申し訳なく思っている。許して欲しいなんておこがましいことは言わない。一生、恨んでもらって構わない」

「……一つだけ聞かせてください」


 ティアナは力なく問いかけた。


「先代の聖女様はナビラ王国を訪れず、どこで何をしていたのでしょうか」

「分からない。ただ、歴代の聖女の中で唯一、子供をはらんだと言われている。その子が更に子を生んでいるようなら聖女の血を継ぐ者がこの大陸のどこかに居るはずだ」

「その子は探さなかったのですか?」

「見つからなかったそうだ。きっと先代の聖女が我が身を差し出し、子を必死に隠したのだろう。私だってそうする。あるいは……」


 最悪の可能性は二人とも口に出さなかった。


 ティアナはあふれ出て、行き場を失ったやるせない気持ちをひた隠し、「そうですか……」とだけ呟いた。


 亡者のような足取りでリズラステに背を向ける。

 光を失っていたとしても心眼を持ち、音と気配を敏感に察知するリズラステはティアナの背中に向かって再び、頭を下げた。


「我が子以外のことなら何でもいうことを聞く。わらわはそれほどの罪を犯したのだ。一人の女性が抱く幸せな未来を奪ったのだから――」

「その言葉、お忘れなきように」


 部屋から出てきたティアナの焦燥しきった顔を見たミラジーンがギョッとして剣に手をかけた。

 今すぐにでも扉を蹴破りリズラステを殺さんとする鬼神の如き気迫に、ナビラ王国側の騎士は足を竦ませながらもミラジーンの前に立ちはだかった。


「……ミラジーン」


 抑揚も、活力も、希望もないただの声に呼ばれたミラジーンはこれまでに感じたことのない絶望感を胸を締めつけられながら腰の聖剣から手を離した。



 どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。

 隣でミラジーンが何度も名前を呼び、声をかけてくれていた気がするけれど、会話の内容は一切覚えていなかった。


(ドラウト様……)


 普段から肌身離さない乾宝石かんほうせきのネックレスをきつく握り締めながら愛する夫の名を呼ぶ。

 ここで子供のように泣き叫んでも状況は変わらない。隣国とはいえ、転移魔法を使わせて体に負担をかけてまでドラウトを呼び寄せるのは心が痛んだ。


「ティアナ」


 そんなことを考えていたはずなのに、頭上からかけられた優しい声に涙が溢れた。


「ここに居たくありません。もう帰りたい」

「帰ろう。ティアナが無理する理由なんてどこにもないのだから」


 こんなお顔は見せられない。

 ドラウトの胸に額を押しつけ、服を握り締めた。


「ミラジーン、あとは任せる。リラーゾにも伝えておけ。浮かれていないで責務を果たせ、と」


 ティアナの叫びに呼応するように発動した魔法によってナビラ王国へ転移してきたドラウトは胸の中で小さく震える妻を抱き締め、レインハート王国へと飛んだ。

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