第44話 聖女、仰天する

 クラフテッド王国に滞在して二日目。

 朝から王宮内は慌ただしく、ティアナたちの準備もてきぱきと進められた。


 レインハート王国の国章をかたどったブローチを胸につけた暖色系のドレスを身にまとい、オレンジジュエルのネックレスを首から下げる。右足にアンクレットがないことだけが違和感だった。


 そして、ついに迎えた謝罪式。


「こちらでございます」


 先を歩いていた侍従が扉の前で足を止めた。

 この先が謁見えっけんの間だ。


「レインハート王国ドラウト陛下、ティアナ妃殿下」


 衛兵がとむらいの声を上げ、扉が開かれる。

 中ではクラフテッド王国の大臣たちがザワザワしているが、開いてしまったものは仕方ない。


 いつもより尊大な態度のドラウトの後に続いて中に入った。

 

 最奥は階段になっていて、その上に玉座がある。今は空席だった。


 赤黒いタイルの上に敷かれた絨毯は踏み心地が良く、一歩踏み出しただけで高級品だと分かった。


 絨毯を進み、玉座を見上げる所まで進んだが噂の王太子もいなければ、クラフテッド国王の姿も見えない。


 あるのは、こじんまりとした椅子だけ。

 まるで靴を履く時に座るローチェアのようだ。


「この度は誠に申し訳ありませんでした‼︎」


 その椅子が喋った。


「へ、陛下⁉︎ なんで、そんな所に! 一国の王が簡単に平伏しないでってあれほど言ったのに!」


 飛んで駆けつけたクラフテッド王国の宰相が椅子を抱き起こす。


 ティアナがローチェアだと思ったそれは額を床に擦り付けて謝罪するクラフテッド国王本人だったのだ。

 つまり、ティアナとドラウトのみではなく、クラフテッド王国側の大臣たちが来るずっと前から平伏していたことになる。

 まさか国王が土下座しているとは思わなかったのか、壁際に控えていた大臣たちは大慌てで駆け寄ってきた。


 抱き起こされたのは無精髭をたくわえた初老の男性だ。

 背の曲がった中肉中背で国王の座に就いたからといって贅沢をしているわけではないと見て取れた。


「ドラウト陛下、ティアナ妃殿下、これは手違いでございまして。少々、お待ちいただけますでしょうか」

「間違いなどではない! 他国の特産物の偽物を作って国外にばら撒くなど言語道断! お前ら貴族はそんなにプライドが大切か!?」


 両脇を抱えられたクラフテッド王は唾を飛び散らしながら怒りを露わにした。


「ドラウト様」


 変わった人ですが、本当に国王陛下ですか? とティアナが聞く前に答えが返ってきた。


「ジンボ王は随分と前に廃爵はいしゃくになった子爵家の出自らしい。要は平民だ。見ての通り、かなり腰が低い。何でもかんでも謝ってしまう」

「王として美徳ではないと?」

「……そうだな。何に対する謝罪なのかはっきりさせないと信用できない」

「そういうものですか」


 生まれながらの王族であるドラウトと、国民の投票によって王族の仲間入りを果たしたジンボでは大きく境遇が異なる。


 どちらかというとジンボと境遇が近いティアナはすぐに謝罪したくなる彼の気持ちを察した。

 何をやっても叱られるなら最初から謝った方が早い、というのが持論だった。

 今ではドラウトや妃教育に関わってくれた家庭教師たちの説明によって考え方は変わったが、以前の考えを捨てたわけではない。


「すでに闇ギルドは解体させました。首謀者は牢屋に放り込んであります。後でご確認ください」

「ほぅ。まだ生きているのか」

「はい。犯罪者であったとしても今はわしの国民です。更生の余地を残してやるのが温情ではないかと」

「思うところがないわけではないが、他国の処罰に口を挟むつもりはない。その件に関しての謝罪は受け入れよう」

「感謝します、ドラウト陛下。今後とも懇意にしていただければと存じます」


 立ち話もなんだから、と用意された椅子に腰かける。

 ジンボは玉座ではなく、ティアナとドラウトの対面に座った。しかも一番粗末な椅子を選んだ。


「我が妻から一つ話がある。是非、心に留めておいて欲しい」

「拝聴させていただきます」


 どこまでも低姿勢のジンボにティアナは咳払いを一つして結論から切り出した。


「わたしがシエナ王国の聖女であることはすでに周知のことでしょう。この度、数百年に渡って、わたしの母国であるシエナ王国が聖女を独占していたことが明らかとなりました」


 目をぱちくりさせるジンボ。


「長らくクラフテッド王国も天災に悩まされたことと存じます。シエナ王国を代表して謝罪させてください」

「あぁ……そうでしたか」


 重々しい返事にティアナの顔に不安の色が濃くなる。


「天災の件は気にしていませんので謝罪は不要です、聖女様」

「え⁉︎ こちらの火山は常に活動を続けているとお聞きしたのですが……」

「わしはアレが特別な悪さをする場面に遭遇したことはないのです。そこにあるのが当然といったところでしょうか」

「は、はぁ……」


 拍子抜けと言うように隣に座るドラウトへと視線を向ける。

 ドラウトは何度かジンボや周囲に控えるクラフテッド王国の宰相や大臣たちを見回し、ため息をついた。


「嘘はついていないらしい。ティアナが気を揉みすぎたようだ」


 妻を労うドラウトだが、ティアナは真逆の反応だった。


「良かった……」


 心からの安堵の声が漏れた。

 その安らかで慈愛に満ちた表情にジンボは心を掴まれ、言葉を失った。


「あ、あ、いや、その……聖女様が心を病まれる必要はございません。我が国は平気です。国民も皆ピンピンしております」

「そうでしたか! でも、念の為に火山を見せていただくことはできますか? わたし自身、興味がございます」

「えぇ! 是非とも――」


 と、ジンボが快諾したところで謁見えっけんの間の扉が大きく開かれた。


「お待ちください、ザラザール王子!」


 衛兵たちの制止を振り切った男がズカズカとこちらに近づいてくる。


 その手には洗練された剣がある。

 重くて片手では待てないのか肩に担いでいる。


 ドラウトは速やかにティアナを背後に隠し、いつでも転移魔法を発動できるように構えた。


「オヤジ、これを見てくれよ」


 ドン! っとティアナたちが囲んでいたテーブルの上に剣が置かれた。

 あまりの重厚感にテーブルが揺れる。


 王子の登場直後から壁際に控えるミラジーンたちも最大限に警戒し、いつでも戦闘できる状態だ。

 そんな中、ティアナだけはじっとザラザール王子の興奮顔を眺めていた。


「うぉ⁉︎ お前、遂にやったんか⁉︎」

「おうよ! こいつを軽量化して量産すれば、ガッポガッポ稼げるぜ。クラフテッドは安泰だ」

「でかしたぞ! 早速、量産に……って、お前、タイミングっちゅうもんがあるだろ!」

「はぁ? 金儲けよりも重要なことなんてあるのかよ」


 ザラザールはようやくティアナとドラウトに気づいたのか、頬についたすすをぬぐい、汗の滲む赤いバンダナとエプロンを豪快な所作で脱いだ。

 エプロンの下には立派な服を来ていた。


 やんちゃな王子と言われても遜色ないたたずまいの彼は雑な礼をして、ティアナを見下ろした。


「レインハート王国のドラウト陛下と、王妃で聖女のティアナ様だ」

「聖女か。案外、ちんちくりんなんだな」

「ちんちく……っ⁉︎」

わきまえろ、小僧。僕の大切な妻だぞ」

「あー、シエナの聖女をレインハートが掻っ攫ったんでしたっけ。いいなー、嫁さん。それにしてもこんな大陸の西側までご苦労様です」


 軽く頭を下げたことで汗のしたたる赤髪が揺れる。

 挑発的な目元と、うすら笑みの口元にドラウトの魔力がざわめき始めた。


「あの声明はうちにも聞こえてましたよ。世界を救うでしたっけ。でも、この国に聖女は不要ですよ。むしろ、そっとしておいて欲しいっていうか。ね、察してくださいよ」


 片手で"ごめんね"と謝るような仕草をしたザラザールについにドラウトがキレた。


 わざと溢れさせた魔力が王宮を震わす。


 しかし、ザラザール王子は平然とした顔でテーブルに置いた剣へと視線を向けた。

 ここは魔力を持たない民族が暮らすクラフテッド王国。ドラウトの威嚇は何の意味も成さない。


「この馬鹿者がっ!」


 こちらも魔力に気圧されず鬼の形相のジンボ。彼のゲンコツがザラザールの脳天を凹ませた。

 涙目になるザラザールをおさえつけ、共に謝罪する。


「ティアナ妃殿下! どうか、この馬鹿者の無礼をお許しください。元平民で世間知らずな小僧ですが、これでも次期国王候補筆頭です。国益のために日々腕を磨き、他の王子や王女たちにその座を奪われまいと努力しているのです」

「え、えぇ。少し驚いただけなのでそんなに怒っているわけではありませんよ。そちらの事情も知らずに話を進めたのはわたしですから」


 苦笑するティアナと頭を押さえつけられているザラザールの視線が合う。

 しかし、ティアナは彼が自分を見ていないことに気づいた。明らかにもっと遠くを見ている。


「そこのメイド! 俺の嫁になれ!」


 クラフテッド王国の王太子はティアナの背後、壁際に控えるミラジーンを指差してそう言った。


「えぇぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」


 謁見えっけんの間には見初められたミラジーンではなく、ティアナの絶叫がこだました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る