第70話 聖女、神様の元へ急ぐ

 素早くティアナに防寒魔法を追加で施して、隠すように前に出たドラウトは空から舞い降りたフェニーチェへと向き直った。


「貴様がフェニーチェ・グリンロッドか。いや、今は鳥神ザクスか」

「口を慎めよ、小僧。レインハートの血筋のくせに随分と積極的なようだが、我は神ぞ」

「誰だろうと関係ない。僕の太陽をさらった罪をあがなってもらう」

「思い上がりを。聖女がお前だけの太陽だと思うな!」

「誰がなんと言おうとティアナは僕だけのものだ! 異論は認めない! "口を閉ざして、天上へ帰れ"」


 ドラウトが編み出した言霊魔法は絶対だ。

 どれだけ精神力を高めようともドラウトには逆らえない。

 特にティアナに危害を加える可能性のあると判断した者に対しては絶大な力を誇る。


 その威力は神をも縛りつけるほどだった。


「人間風情が我を縛るか! 聖女は渡さんぞ。その者は我の――」

「わたしはドラウト様だけのものです」


 ティアナがピシャリと言い放つ。

 緊張の糸が途切れるよりも雑に繋がりを引き千切られたようにフェニーチェの身体が解放された。


 ティアナがフェニーチェに駆け寄ろうにもドラウトに阻まれて叶わない。


 意識を取り戻したフェニーチェがとっさに手をついたから良かったものの、意識を失ったままなら顔面から床に突っ込んでいたところだ。


「ティアナ様……? ここは? この人たち誰ですか⁉︎」

「説明は後です。早くこちらへ」


 駆け足でティアナの元へ飛び込んだフェニーチェ少年に対して、ドラウトは一瞥いつべつするだけだった。

 だが、その鋭い視線はとてもではないが少年が耐えられるようなものではない。


 震え上がるフェニーチェをティアナが抱き寄せたことでドラウトにとって面白くない展開が続いた。


「……恋敵が増えた」

「なんです?」

「なんでもない。さっさと終わらせると言っただけだ」


 あら、ちょっぴり不機嫌さんね。と、向かって行く夫の背中を見送る。


「よくも僕の行く手を阻んでくれたな」

「聖女様は私たちが保護するのですよ。汚らしいオスの魔の手から。と、申しましても聞く耳は持たないでしょうけど」

「"これまでの悪事を全て話せ"」

「ひぐっ⁉︎」


 ドラウトにとって好都合だったのはシュナマリカの傷が目に限局していることだ。

 口が達者なら全てを自白させ、周知させることができる。


「わ、私の……姪を……シエナに……っ誰が言うか!」

「"僕の知りたいことだけを語れ"」

「はぐっ⁉︎」


 ドラウトの言霊魔法がシュナマリカをきつく縛りつける。

 その痛みは壮絶で頭の中を覗かれ、皮膚を焼かれ、心を蝕まれるようだった。


「私の姉をシエナのヒートロッド伯爵家に嫁がせ、子を産ませた。マシュリの誕生日は魔法で操作され、水魔法の適正も与えられた。全てはシエナ王国から聖女を追放し、我が家にお迎えするため。聖女様の生き血をたまわり、不老不死と永遠の魔力を手に入れた我がグリムベルデ家が国を起こすのです!」


 改めて聞かされるとティアナの胸がきゅっと痛んだ。

 だが、彼女以上に心を痛ませたのはドラウトだ。


 ティアナは何も悪くないのに一方的に国外追放を命じられ、原因を作った偽聖女マシュリを処刑することになった。


 グリムベルデが画策しなければ、ティアナは最初からシエナ王国の聖女でいられたのに――


 しかし、追放されたからこそティアナとドラウトが出会えて結ばれたのも事実。

 ドラウトは複雑な心境から目を逸らし、短く息を吸った。


「聞こえただろう。証言は取ったぞ」

『……うむ。かたじけない』


 ドラウトの呼びかけに答えたのは王宮にいるはずのグリンロッド王だった。

 ノイズ混じりの声だが間違いなく本人だ。


 グリンロッド王の身柄はシエナ王国のヘンメル王の命により派遣された騎士団によって確保されている。

 魔法によって遠く離れていてもドラウトたちの声が聞こえているだけで実際にこの場にはいない。


「レインハート王国の王として、そして従属国であるシエナ王国のヘンメル王に代わって命じる」


 ティアナの身分はレインハート王妃とケラ大聖堂預かりの聖女だ。

 両国を支配するドラウトだからこそ両方面からグリンロッド王国に圧力をかけることができる。


「グリムベルデ家を滅ぼせ。国内外問わず、一人残らず炙り出して殲滅せよ」

「なっ⁉︎ なんと愚かな!」


 屋敷の中に潜んでいたグリムベルデの女傑たちが殺気立つ。

 しかし、ドラウトがひと睨みすれば、あまりにも強大な魔力におののき、戦意を削がれていった。


「ふふふ。我が同胞は大陸のどこにでもいます。家を持たぬ我が一族はどこへでも潜り込み、優秀な男との子をはらみ、各国を影から支配するのです」


 言霊魔法は発動していないのにシュナマリカは堂々と語り、その身はミラジーンによって拘束された。


「魔法結界の檻に閉じ込めておけ」

「はっ」


 グリムベルデの女たちが逃げ出すよりも早く捕らえ、やっとドラウトは表情を和らげた。


「無茶をしないでくれ」

「ごめんなさい。でも、ドラウト様ならこうするだろうって。自国に非を作ることなく、グリンロッドを攻めるとなれば理由が必要だと思って」

「そうか。僕の都合を考えていてくれていたのか。僕はなんて愚かなんだ。ティアナに余計なことを考えさせてしまうなんて」

「わたしは嬉しいんです。これまでは自分で考えるなんてことなかったから。ドラウト様と出会って、王妃にしていただいて、聖女としても自由にさせていただいて。わたしは何が正しいのか考えられるようになりました」


 元より芯の強い子で、自分よりも他者を優先する子だとは知っていたが、ここまで危険を冒すとは想定外だ。


 自分でも勝手に動く体をどうしようもできなくなったドラウトはティアナの手を取り、頬に押し当てた。


「あとは僕に任せてくれないか」


 聖女として、王妃として過ごしていくうちにティアナの中で何かが少しずつ変わっていくのは感じていた。


 変わって欲しくないと言うのがドラウトの本音だ。

 かつてのように優雅に中庭で本を読み、子供たちと遊びながら人々を癒して、隣で微笑んでいて欲しい。それだけがドラウトの願いだった。


「お願いします。わたしとしてもグリムベルデ家は許せません。この子を傷つけ、マシュリ様の人生を奪った人たちです。必ず報いを」


 まただ。

 ティアナは自分が傷つけられそうになったからではなく、他人が傷つけられたことを許せないという。


 しかも、自分を蔑んできたマシュリ・ヒートロッドを想っての発言にドラウトは眉根を寄せた。


「……分かった」

「グリンロッド王国の対応もドラウト様にお願いしたいのですが、フェニーチェ殿下だけは保護させてください。殿下は失ってはいけないお方です」


 ティアナがそう言うなら、とドラウトは素直に意見を聞き入れた。


「あの鳥は好きにしていいのかな? ティアナの許可が得られるなら、地上に引きずり降ろして丸焼きにする用意がある」

「そちらはわたしに一任してくださいませんか。必ず丸く収めてみせます」


 すっかり見慣れてしまった力強い瞳を向けられれば、ドラウトも強くは出られない。

 元より龍神リーヴィラからも「ザクスは嬢ちゃんに任せろ」と言われている。


「分かった。ティアナの相棒も連れて来ている。防御魔法も強化したから何があっても平気だ。納得のいくまでやっておいで。ティアナが戻るべき場所は僕が整えておく」


 その頼もしい姿にティアナは頬を染め、ドラウトの分厚い胸板にこつんと額をつけた。


「行ってきます、ドラウト様」


 心が通じ合っている二人の短い別れの言葉。


 ティアナはドラウトが各国の特級危険種たちと一緒に転移させた飛龍――レオーナの背に飛び乗った。

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