第49話 聖女、噂話を聞く

「ほ、本当に一人で行くのか!? 僕も一緒に。ほら、また狙われるかもしれないし。僕がいなくても国営は平気だから!」


 出立を目前にしてもドラウトはティアナに着いて行こうと諦めない。

 しかし、背後で腕を組む叔母であるルクシエラ公爵の一声が決定打となった。


「レインハート王国の王妃は外交の一つもろくにこせないと噂されてしまいますね。陛下は妃殿下をお飾りにしたいのですね」

「そういうわけではない。僕はティアナの身を案じているのだ」

「嘘ばっかり。ほら、妃殿下も早く飛龍にお乗りなさい。このままではいつまで経っても出発できないわよ」

「は、はい!」


 始終、ルクシエラ公にペースを握られたままのティアナはドラウトと短い別れの言葉をかわし、飛竜――レオーナへと飛び乗った。

 騎乗ならぬ騎竜も堂に入っている。


 今回、ティアナと同行するのは侍女のナタリアと親衛隊の騎士。

 ナタリアとは、ティアナがキュウサ領のお屋敷で過ごしていた頃に奉仕したいと希望してきた子で、今ではミラジーンがいない時のティアナのお世話は全て担ってくれている。


「待てよ、嬢ちゃん」


 右足首のアンクレットに擬態したリーヴィラからの声に耳を傾ける。

 しかし、声はドラウトの頭上から聞こえていた。


「もう一つ手助けしてやるよ。もしも、向こうの王族が喚くようならこう言いな。『紅蓮玉ぐれんぎょくは我が手に』ってな」

紅蓮玉ぐれんぎょく?」

「クラフテッド王国にとっての乾宝石かんほうせきみたいなもんだ。作成には聖女の雨が必要で、嬢ちゃんにしか生成できないクラフテッドの宝さ」

「それが欲しいの?」

「あの国が王家を持たない理由の一つだよ。紅蓮玉ぐれんぎょくに最も近い者を王にして、完成した宝玉を民に配るんだ」

「やっぱり変わってる国ね。変わっているといえば、このアンクレットは?」


 ティアナの足首にはアンクレットがあるのに、リーヴィラはドラウトの頭の上に乗っかっている。


「お守りだよ。オレも嬢ちゃんが心配だからな」

「僕のお守りも強化しておいた。万が一のことがあるなら僕がクラフテッドの火山を噴火させてあの国を消す」


 一同は顔を引き攣らせているが、ティアナだけはドラウトの秀逸なジョークだと理解しているからこそ、にっこりと微笑んでお礼を言った。


「バカップル今日も通常運行」

「何を言いますか、リーヴィラ様。仲睦まじいことは美しきことですよ」


 呆れるリーヴィラと口元を隠して笑うルクエシエラ公を横目にドラウトに手を伸ばす。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい。くれぐれも無茶はしないように」

「心得ています」


 ドラウトがティアナの手の甲へ口づけすると、それを合図に飛竜が飛び上がった。



◇◆◇◆◇◆



 幸いなことに野生のモンスターには遭遇せず、他国からの襲撃もなくクラフテッド王国の地に降り立ったティアナ。


 案の定、ジンボ王はティアナの入国を快く受け入れ、また王宮で過ごして構わないと使者を寄越してくれた。

 しかし、ティアナは今回の宿はこちらで用意してあると遠慮して、早速、王都の町の散策を始めた。


「ティアナ様、ザラザール王子の工房は反対方向なのです」

「ううん。こっちでいいんだよ。まずは国民みんなの話を聞きたいの」


 ミルクティー色の髪を揺らしながら後をついてくる褐色の少女――ナタリアは不思議そうにしてはいるがそれ以上の追求をしなかった。

 ティアナの考えが自分のような者に理解できるはずがないと納得しているからだ。


「ここにしましょうか」

「はい」


 一軒の甘味処に入る。

 目立つのは嫌だと言って護衛の騎士をバラバラに配置しているからティアナの側にいるのはナタリアだけだ。


 店員に促されるままに着席して、ナタリアよりも先に手に取って開いたメニュー表を眺める。


 ナタリアは瞳を輝かせるティアナの顔を覗き込んでいた。

 なんとも無邪気で、楽しそうで、一人で気を揉んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってくる笑顔だ。だからこそ、この笑顔を守りたいと思う。

 今この場には師であるミラジーンはいない。妃殿下を守れるのは自分だけだ、とティアナには気取られないように自身を震え立たせた。


「ナタリアは何にする?」

「え、あ、はい。あの、同じものにします」


 手早く注文を終えたナタリアが視線を戻すと、そこにさっきまでのティアナはいなかった。


「さぁ、始めましょうか」

「は、はい」


 まるで別人。

 背筋を伸ばし、少しだけ俯いて瞳を閉じる姿にナタリアは息を呑んだ。


 生まれ持っての旺盛な好奇心、研ぎ澄まされた感性、たゆまぬ努力で得た数々の知識。

 そこにルクシエラ公直伝の社交術とヒアリング力が合わされば、他の追従を許さない唯一無二の賢者ができあがる。


「……ふむふむ。へー、そうなんだ」


 周囲の声に耳を傾け、やがてティアナだけに見える精霊がティアナだけにしか聞こえない声で耳に囁いた。

 まるで子供が母親に内緒話をするように――


「分かった、ありがとう」


 独り言を終え、ティアナが空色の瞳を開くと同時に店員が注文したパンケーキを届けてくれた。


「美味しそう! いただきましょう」

「はい」


 子供のような笑顔で、美味しい美味しいと言いながらもフォークとナイフの扱い方からは気品が滲み出ている。


 普段からティアナの食事風景を目にするからこそ、そのアンバランスさには見慣れている。しかし、対面に座らされて緊張しないわけがない。

 日常的にティアナと対面しているミラジーンがいかに肝が据わっているか再認識させられた。


「ナタリア、わたしたちは私用でパンケーキを食べに来ているんだよ?」

「し、しかし――」


 手が震えて、フォークもナイフも握れない。


 あの瞳を向けられて心根を覗かれたら、と思うと体が言う事をきかなかった。

 水も喉を通らない。パンケーキなんてもっての外だ。


「あ、あの⁉︎」


 ティアナはそんなナタリアに呆れることなく、かといって困った顔をするわけでもなく、ナタリアが放置しているナイフとフォークを使ってパンケーキを切り分け始めた。


「はい、あーん」

「へっ⁉︎ ティアナ様⁉︎ そ、そんな⁉︎」

「いいから、はい。あーんして」


 パンケーキをねじ込もうとするティアナを拒否できずにぱくっと一口。

 すぐに口の中にはハチミツの甘みが広がり、ふわふわのパンケーキは一瞬にしてなくなった。


「美味しいでしょ?」

「……お、美味しいです」

「この後、あちらのお嬢さんたちからお話を聞きに行くからしっかり食べておいて」

「はい!」


 美味しすぎて手が止まらない。

 あっという間にパンケーキを食べ終えたティアナとナタリアは三人組の貴族令嬢の元へ向かった。


「ごきげんよう。わたし、ティアナと申します。先ほどのザラザール殿下がご立派というお話の詳細を聞かせていただけますか?」


 あまりにも唐突すぎる。

 しかし、ティアナはするりと令嬢たちの会話に混ざり、共感しつつ自分の欲しい情報の聞き取りを始めてしまった。


「ザラザール殿下はこの国の守りを固めるために日々、武器製造に身命をしておられるのです。その姿はまさに王太子。あぁ……一度でいいから、あの情熱的な瞳に私の姿を映していただきたいですわ」


 うっとりと語る令嬢にティアナが頷いている間、ナタリアは一言一句聞き漏らさないように彼女たちの会話を記憶に留めた。


「王太子殿下は人気があるのですね」

「もちろんですわ! しかし、あの方の瞳に映るのはただお一人。わたくしたちのような者は決して映してくださらないのです」

「あら。王太子殿下を独り占めできる方なんて想像もつきません。一体、どなたでしょう」

「それが、わたくしたちも存じ上げませんの」

「ただ殿下には心に決めた女性ヒトがいると聞いています」

「その方が王太子妃あるいは王妃となった時、初めて国民はその正体を知るのです」


 令嬢の一人がこれは言っていいのかしら、と悩み顔だったからティアナは柔らかく微笑んで問いかけた。


「実は一つ噂がありまして……」

「どんな噂ですか? とっても気になります」

「ザラザール殿下の想い人が妹君ではないかという噂話です。馬鹿馬鹿しいですよね」

「しかし、噂が立つということは理由があるのではなくて?」

「はい。一切の女っ気がなく、工房にこもることが多いのに妹君から声がかかればどんなに大切な仕事も放り出して出てくるらしいのです」


 それだけだとただの妹想いの兄にも思える。

 それに女っ気がないのは、かつてのドラウトも同じだ。


 満足したティアナは三人の令嬢にお礼を言って手早く離席した。


 ザラザールが女性から人気があることは十分、理解できた。

 しかし、国王を目指す理由はまだ分からない。ただのものづくり好きが高じているだけの可能性もある。


 だが、ティアナにとってそんなことはどうでも良かった。


「あの方、好きな人がいるのにミラジーンに『嫁になれ』なんて言ったってこと?」


 貴族令嬢たちと別れ、店を出たティアナが静かに独り言を呟く。


「……胸の奥がザワザワするわ」


 そっと胸元に手を置き、眉間に深いしわを作るティアナ。


「なんだろこの感覚。ねぇ、ナタリアなら分かる?」


 背筋を凍らせるナタリアはとてもではないがその質問に返答などできなかった。

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