青天の霹靂


「常盤君が買ってくれた花、うっかり持って帰っちゃった」


 玄関先に花を飾りながら、私はずっと彼のことを考える。

 寂しそうに帰る彼を思い出すと、胸が締め付けられる。


「常盤君も、きっと寂しかったんだよね? 私も、だよ? やっぱり、離れ離れは辛いよ」

 

 一度部屋に戻って、彼から借りた上着を脱ぐと、寂しさが込み上げてくる。


 いてもたってもいられない。

 この前までは、寂しくても我慢できてたのに。

 今日の彼が素敵すぎて、好きすぎてこうして会えない時間が永遠のように長く感じてしまう。


「……やっぱり、この後逢いに行こうかな」


 ただ、ずっと一緒にいると私、おかしくなっちゃいそうだから。

 常盤君の前ではちゃんとしたいから、おかしくなる前におうちに帰ってきたのに。


 どうしよう、常盤君がいない方が私、どうにかなっちゃいそう。


 今頃、お風呂に入ってるのかな?

 お風呂出たら、ちゃんとお部屋に戻ってるのかな?

 誰かと連絡とか、とってないのかな?

 誰も遊びに来たりなんて、してないよね?


 ……夜になったらこっそり寝顔を見にいこうかな。

 迷惑かけても嫌われちゃうし、重たいって思われちゃうし。


 早く一緒に住みたいなあ。

 そうだ、お義母さんに相談してみようかな。



「はあ……」


 先輩がいない時間は憂鬱で退屈だ。

 風呂に入って部屋に戻ってからずっと、俺はぼーっとしながら眠気が来るのを待った。


 さっさと寝て、明日を迎えたい。

 明日になればまた、先輩に会えるかもしれないから。


 ……明日も、料理してくれないかな。

 いや、さすがに都合良すぎるよな。


 ていうか明日は日曜だから母さんも家にいるだろうし。

 父さんは……まあ、ゴルフだろうけど。


 ほんと、最近家族より金子より、先輩と一緒にいる時間が長かったせいですっかり先輩に依存してる。


 これまでのことは全部たまたまだというのに。

 母さんの知り合いだから家に来てくれただけだし、今日だって俺に気を遣って成り行きで料理をご馳走してくれただけなんだ。

 期待するだけ無駄なんだって、頭ではそうわかってる。


 わかってるんだけど……


「千代、いるの?」

「母さん?」


 部屋の外から母さんが俺を呼んだ。

 なんだ、帰ってきてたのか。


「なに、母さん」

「よかった起きてたのね。ちょっと話があるんだけどいいかしら」

「話? なんだよ急に」

「まあいいから。下にお父さんもいるから、降りてきなさい」

「父さんも? うん、わかった」


 母さんについていって一階へ。

 そしてリビングに行くと父さんがソファに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。

 同じ屋根の下に住んでいるのにこうして会うのは一週間ぶりだ。

 ほんと、つくづくバラバラな家族だな、うちって。


「おお千代、元気そうだな」

「父さんこそ。で、話って何?」

「まあ、座れ。悪い話じゃないから」

「う、うん」


 あまり顔を合わさない父と対面すると妙に緊張した。

 母さんがすぐにお茶を持ってきてくれたので、乾いた喉を潤す。

 すると父さんの隣に座った母さんが俺に向かって話しだす。


「あのね、明日からお父さんと母さん、県外に引っ越すことになったの」

「……え?」

「前からね、私とお父さんに転勤の打診が出てたのよ。二人そろって四国の方にね。でも、相談されたのがちょうどあなたの高校が決まった頃だったから、家族で引っ越すわけにもいかないかなってことで会社には保留にしてもらってたんだけど。でも、最近の千代を見てたら大丈夫かなってことで、正式に辞令を受けることにしたわけ」

「ま、待ってよ母さん。ということはつまり、俺は一人でこの家に残るってこと?」

「そういうことね。ちゃんと仕送りはするし、その辺は安心なさい」

「で、でも……」


 いくら顔を合わす機会が少ない両親とはいえ、いきなり家からいなくなるとなれば話は別だ。

 今までも大体のことは自分でやってきたつもりだったけど、急に一人暮らしなんてそんな……。


「こめんね、会社もすぐに社宅手配してくれたからこんなに急になっちゃって。でも、そんなに不安そうにしなくても大丈夫よ。ちゃんと私の方から紫苑ちゃんにあなたのお世話、お願いしておいたから」

「紫苑……え、氷織先輩に?」

「ええそうよ。とてもいい子よね、あの子」

「い、いやいや待って待って。さすがにそれは申し訳ないだろ」

「紫苑ちゃんも快く受けてくれたわよ。あなたもその方が嬉しいでしょ?」

「いや、俺はそれでよくてもさすがに……」

「ま、とにかくあとのことはあの子に頼んでおいたから。転勤は三日後なんだけど明日早速引っ越しになったから朝早くにはここを出るわ。起きたらいないかもだけど、ちゃんと学校行くのよ?」   


 言いたいことを伝えてスッキリした様子で母さんは父さんのコップを持ってキッチンに行ってしまった。


 当然、いきなりすぎる話に戸惑っている俺に対して父さんが今度は話しだす。


「千代、父さんと母さんもかなり悩んだんだ。だけど仕事の都合上、やっぱり受けざるを得なかったし、それにお前の世話をしてくれる人もいるみたいだから安心して家を任せられるよ」

「父さん……」

「ま、そういうことだ。俺たちは明日早いからもう寝るけど、困ったことがあればいつでも言ってきなさい」

「う、うん」


 相変わらずサバサバしているというか、明日からしばらく会えなくなるかもしれない息子に対してもいつもと変わらない様子で父さんはさっさとリビングを出ていった。


 明日から俺は、この家で一人暮らしになる、らしい。

 あまりに急すぎて頭の整理が追いつかずにいると、リビングに戻ってきた母さんが動揺する俺に声をかける。


「ごめんね千代、でも、紫苑ちゃんがいるから大丈夫よ」

「……あのさ母さん、ひとつ聞いてもいい?」

「なあに?」

「母さんにとって氷織先輩ってどういう存在なんだ?」

  

 母さんは遠慮のない人だから、先輩に俺の世話を頼むことだって特に悪いとか思ってないのかもしれないけど。

 そんな気ままで自分勝手な母さんに対して、どうして先輩はそこまで素直に従うばかりなのか。

 

 自分の親だから疑いたくもないけど、まさか先輩の弱味を握って脅してるんじゃないかとすら思えてくる。

 だから思い切って聞いてみた。


 すると母さんは、くすくすと笑いながら。


「あの子は娘同然と思ってるわよ」


 そう答えた。


「……そんなに親しいの?」

「あら、とっても仲良しよ。だから千代が心配することなんてないの。そのかわり、紫苑ちゃんに甘えるのはいいけど迷惑かけないようにね」

「……わかってるよそんなこと」


 基本的に他人に無関心な母さんが、娘同然とまで言うのだからよほど先輩と仲が良いということだけはわかった。


 ただ、どこで知り合ったのかやなんでそこまで仲良くなったのかなんて話を振ってみても「そういう話は別にいいでしょ」とだけ。


 そのまま母さんは寝室へ戻っていった。


 

 

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