あの頃から

「千代くん」

「は、はい?」


 突然、宮間さんが席までやってきて、俺を呼んだ。


 一体なんだと見上げると、宮間さんの表情は、俺が想像していたような、怒りに満ちたものでも悲しみに暮れる顔でもなく。


 笑っていた。


「千代君って、氷織先輩のことが大好きなんだね」

「う、うん? まあ、彼女だから当然だけど。急に何?」

「ごめん、警戒するよね普通。あのさ、昨日は本当にごめんなさい」

「え?」


 宮間さんが頭を下げると、後ろからぞろぞろと数人、女子がやってきて同じく俺に頭を下げる。


「ちょっ、ちょっとやめてくれよ。そんなのいいから」

「うん、謝って済むとは思ってないけど、だけど本当に申し訳なかったなって。私、ちょっと誤解してたことがあったの」

「誤解?」

「うん。私ね、最初は氷織先輩が千代君を一方的に好きなだけじゃないのかなって、そう思ってたの」

「なんだって?」


 宮間さんは、ちょっと言いにくそうにそう言ったあと、驚く俺に対して、更に話を続けた。


「……まあ、今更なんだとはわかってることなんだけど。千代君はさ、初めて私と遊びに行ったあの日、氷織先輩のことはもう好きだったの?」

「あの日……」


 初めて宮間さんと遊んだ日。

 つまり、高屋さんや金子たちと赤糸浜に出かけた日だ。


 あの日は確か、海へ向かって、その途中で先輩がいて……。


 あの頃はまだ、ろくに喋ったこともなかったっけ。

 でも、俺はあの頃からきっと……。


「そう、だね。俺はあの時にはもう、先輩のことが好きだったかな」

「……そっか。なら、いいの。あの時から二人は通じ合ってたってこと、なんだね」

「先輩に何か言われたの?」

「ううん、別に。両思いの相手を私が連れ回してたら嫉妬されても当然だもん。氷織先輩にさ、謝っておいてくれない? さすがに私、嫌われたと思うし」

「……わかった。でも、先輩も宮間さんに嫌な思いさせたのならごめん。もちろん俺も。本当にごめんなさい」


 俺は頭を下げた。

 すると、宮間さんはぺこっと頭を下げ返してからそのまま席へ帰っていった。


 そして、その様子を見ていた金子がこっちへ戻ってくる。


「よう、色男。なんか知らんけど解決したみたいだな」

「何がなんやらだよ。でも、宮間さんが怒ってなくてホッとしたよ」

「ははっ、平和が一番だからな。そういや、初めての時ってアレはどうしてんだ? ほら、準備してるもんなのか買いにいくのか」

「生々しい話させんなよ」

「いいじゃんか、俺も後学の為に教えてほしいんだって」

「いや、まあ……そのままというか、勢いというか」

「マジかよ。大丈夫なのかそれ?」

「お、俺だって気にはなったけど……大丈夫な日だって、言われたからさ」

「ふーん。まあ、女の方がそう話すなら信じるしかねえだろうけど。でも、なるべくはちゃんとしてないと、高校中退して来年にはパパになっちまうぞ」

「そんなことなったらやばいなマジで。まあ、ちゃんとするさ」

「頼むぜ。お前がいなくなったら寂しいし」


 そんなことを心配されていると、チャイムが鳴った。

 そして授業が始まる。

 そういえば、というかさっきの時間は先輩からラインは来なかった。


 先輩も、ちょっと寂しがりや不安なところが解消されたのかもしれない。


 それはそれで逆に寂しくもあるが、昨日あんなことまであったんだから互いの気持ちを疑う理由なんてないんだし。


 俺はがそもそも浮気なんてできるわけないんだけどなあと、心配性な先輩のことを思いながら窓の外を眺めていた。



 千代君、ちゃんと私のことが好きだって、あの女に言ってくれてた。

 嬉しい。


「嬉しい……えへへへっ」


 さっきの休み時間、彼に会いに教室の前まで行ったら女の子に絡まれててびっくりしたけど。


 ちゃんと、私のことを思って過去にまとわりつく負の遺産を清算してくれてたんだね。


 嬉しい。

 もう、私たちを邪魔するものはいないんだね。


 まっすぐ、結婚まで行こうね。

 私、今日も大丈夫な日だから。


 まっすぐ千代君を私に届けて。

 ばっちり、受け止めるから。

 

「千代君……愛してる」



「おう千代。さっき保健室の谷口先生が呼んでたぜ」


 昼休みになって先輩を迎えに行こうとしていた時、一度教室を出たあとに戻ってきた金子が俺にそう言った。


「ん? 保健室行ったのか?」

「いや、さっきそこで会ったんだ。またなんかやらかしたのか?」

「いやあ、何もしてないと思うけど。まあ、行ってみるよ」


 ということでまず保健室へ。

 道中で先輩に連絡しようとスマホを手に取ると。

 ちょうど先輩からラインが入った。


『保健室、来れる?』


 その内容を見て、先輩が保健室にいることがわかった。

 もしかしたら谷口先生の用事も先輩のことかもしれない。


 一言『大丈夫ですよ』と送って早足で保健室へ。


「失礼します……あ、紫苑さん」

「……千代君、またさん付けになってるよ?」

「あ。ごめん紫苑、どうしたの?」

「……先生に相談してたの」

「相談?」


 と、聞き返したところで奥から先生がやってきた。


「ん、きたか。常盤君、ちょっと座りなさい」

「は、はい」


 出された椅子に、俺は恐る恐る腰掛ける。

 神妙な顔の先輩と、ちょっと呆れ顔の先生。


 一体何を先輩は相談していたのかなと。

 不安になっていたところで先生が俺を見ながら言った。


「君たち、ちゃんと保健体育の授業は受けているよな?」



 


 

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