動けない


「ただいまー」


 夕方、家に帰ると俺の声だけがむなしく玄関先に響く。


 うちの両親は共働きで、いつも帰りが遅い。

 だからほとんどは家で独りぼっち。

 まあ、昔は寂しいと感じることも多かったけど高校生にもなるとそのほうがかえって自由だからありがたい。


「さてと、ご飯作るか……あれ、全然食材ねえじゃん」


 奥のキッチンに向かい冷蔵庫を開けると、中にはジュースやビール、あとはつまみ系の食材しか入っていない。

 

「ったく、食べれそうなもんくらい買っといてくれよな」


 なんてぼやきながらもう一度玄関に向かい靴を履きなおす。


 そして外へ。

 近くのスーパーまで買い出しへ向かう。


 駅前や海沿いは栄えているが、俺の家がある場所は住宅街で比較的人も少ない。

 周りには少し歩いたところにあるスーパーとコンビニくらいのもの。

 ほんと、こういう静かな場所のほうが俺にとっちゃあうれしいもんだ。

 最近はどこに行っても観光客ばかりで騒がしいったらありゃしない。

 

「……あれ? あの人、また」


 スーパーの手前にあるコンビニを横目に過ぎようとしたとき、駐車場で佇む一人の女性に目がいった。


 さっき駅前で見かけた氷織先輩だ。

 あの人、やっぱりこの辺りに住んでるんだな。

 

「ま、俺には関係ない話か」


 誰かを待つようにじっと携帯を触っている彼女はきっと、これから俺の知らない誰かと待ち合わせなのだろう。

 もしかしたら彼氏かな。あれだけきれいな人なら男くらいいても不思議じゃないな。


 そんなどうでもいいことを考えながら足を進めていくと、しかしスーパーの駐車場に車が止まっていないことに気づく。


「え、今日休みなの? まじかよ」


 スーパーの前に、臨時休業の看板が置いてあった。

 内装工事のためということで、三日ほど休みになるそうだ。


「あーあ、それじゃコンビニでなんか買って帰るか」


 引き返してコンビニへ。

 一瞬、まだ氷織先輩がいるかななんて考えたけどさすがにもうその姿はなく。

 俺は店の中に入ってまず、雑誌コーナーへ向かった。


「どうせなら今週の連載、立ち読みしていくか」


 漫画が趣味、というほどでもないが人並みに流行りのものは好きだ。

 週刊漫画雑誌を手にとり、ぺらぺらと目的の漫画を探す。


 今はまっているのはラブコメだ。

 リアル世界で恋愛に縁のない俺にとってはこうしてフィクションでかわいい女の子の一喜一憂する姿に胸をときめかせるしかない。


 こうやって、オタクになってくんだろうな。

 俺も大学生になったらそれこそ引きこもってギャルゲー三昧とかになるのかなあ。


「いらっしゃいませー」


 漫画に熱中していると、客が入ってきた。

 なんとなく、俺が今朝偶然倒してしまった変質者のことがよぎってその人を見ると、もちろん全然違う人物ではあったが同じように古びたコートを着ていた。


 春だというのにずいぶん変な格好だ。

 違和感とともに、嫌な予感がした。


 さっさとトイレに行ってから飯買って帰ろうと、奥のトイレに向かう。


「……だれか入ってるのか」


 しかし使用中。

 男女共用のトイレって、前で待っていて女性が出てきた時気まずいんだよな。

 

 というわけでトイレは我慢して、さっさと買い物を済まそうと。


 思ったその瞬間、


「きゃーっ!」

「おい、金出せ!」


 レジのほうから叫び声と、男の低い声が聞こえた。


「おい、ここにいる客全員動くなよ! 通報とかしたらぶっ殺す!」


 店中に響く男の野太い声。

 俺はトイレの前にいるため、店内がどういう状況になっているのかはさっぱりわからない。


 ただ、これは紛れもなく強盗だ。

 嘘だろ? 俺、ここで死んじゃうの?


「おい、奥にいるやつも動いたらぶっ殺すからな!」

「ひっ……」


 トイレのほうをレジ横からのぞき込むようにして、男は俺に向かっても脅しの言葉を吐いてくる。

 見ると、右手に包丁のようなものを持っていた。


 動くなと言われて、それでも勇敢に動いて犯人を取り押さえられるヒーローが存在するのは漫画の世界だけ。


 俺は何のとりえもないただの男子高校生。

 死にたくないのでもちろん指示通り微動だにしない。

 というか、腰が抜けて動けない。

 刃物を持つ男の姿に、完全にビビってしまっていた。


「おら、早く金よこせ」


 また、男がレジのほうへ戻っていく。

 と、その時鍵のかかったトイレの中から声がする。


「強盗……どうしよう……私、死にたくない」


 女の人の声だ。

 とても怖がっている様子だ。

 まあ、そりゃそうだよな。

 でも、トイレの中にいる人なら通報ができるかも。

 トイレの中にいる誰かも知らない女性に話しかけるなんて最低なマナー違反だけど、今は緊急事態だししょうがないよな。


「あの……警察に通報、できますか?」

「あ……でも、声、聞こえないかしら」

「そ、それは……俺がなんとかします」

「……わかった」


 ずいぶんかっこいいことを言ったが、実際何をどうすればいいのかもさっぱりである。

 だけど躊躇されてる時間もない。

 もし気づかれたらその時はその時だと、女性に110番をお願いした。

 女性が、すぐに誰かと話し始める。無事、警察につながったようだ。 

 これでなんとかなる。

 少し安心しながら、トイレの扉にもたれかかったその時。


「貴様、誰としゃべってやがんだ? あ? 警察に通報したんじゃねえだろうな!」

「やべ……」


 男に、不審な動きを察知された。

 そして鬼の形相で俺のほうへ向かってくる。


「おい、トイレの中に誰かいるのか? おい、どうなんだ」

「さ、さあ? 知りま、せん……」

「嘘ついたらぶっ殺すぞ? なめた真似すんじゃねえぞクソガキ!」

「ひっ……」


 ゆっくり近づいてくる男の手元にある包丁の切っ先が俺のほうを向く。

 もう、しょんべん漏らしてこの場で気絶しそうなくらい、怖い。

 でも、俺が倒れたらこの中にいる人まで……。


「そこどけ、兄ちゃん」

「……う、動けません」

「あ? なんだとお前?」

「う、動けません……」


 腰が抜けて。

 まったく動けない。

 それに多分、一歩でも動いたら漏れる。

 怖くて、何もできない。


「中の人間を庇うとは、いい度胸してんな兄ちゃん。でもよ、俺はそういうやつが大っ嫌いなんだよ! どいつもこいつもいい人ぶりやがって! 死ねやごらぁぁぁ!」


 急に激昂した男が、刃物を向けて俺のほうへ突進してくる。

 その時、なんだか男の動きがスローモーションに見えた。


 ああ、たぶん死ぬときってこんな感じなんだな。

 俺、まだ女の子の手も握ったことなかったのに。

 生まれ変わったら、彼女ほしいなあ……。


 さっきまでの恐怖心が嘘のように、穏やかにその時を待つ。

 もう、どうすることもできないと人は恐怖すら忘れるんだな、って。

 死を覚悟したその時、俺に向かって突進してくる男がトイレ前で盛大に足を滑らせて足の裏をこっちに向けながらひっくり返る映像が、ゆっくり俺の目の前で流れた。


「うおっ……んが!」

「……へ?」


 掃除したばかりだったのか、少し濡れた床に足を取られた男は頭を床に思いっきり打ち付けて失神。


 一瞬の出来事に俺は、何が起きたのかもまだ整理しきれていないまま、しかしどうやら助かったのだとわかり、その場に座り込む。


 すると、外からパトカーのサイレン音が聞こえて。

 あわただしく警察官数名が店内に入ってきた。

 



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