誰の為?


「紫苑さん、ケーキおいしかったです。あの、お風呂はどうします?」

「入ってきていい?」

「ええ、もちろんですよ。それじゃ俺、洗い物してますね」

「ううん、それは私が」

「いいんですよ。ほら、ええと……俺も、ちゃんと紫苑さんの力になりたいから。任せてください」

「千代君……うん、わかった。じゃあ、お風呂入ってくる」


 いつもなら絶対に洗い物を譲らなかった先輩が、今日はあっさり引き下がって風呂へ向かった。

 こういう些細な変化も、やはり俺と先輩が付き合ったからということなのだろうか。

 気を許してくれ始めてるっていうことか。

 なんか、嬉しいな。


「さてと洗い物を……」


 お皿とフォークをシンクに下げると、クリームが少しついたフォークがなぜか目に入った。


 先輩の口についたフォーク。

 なぜか、妙にそれを意識してしまう。


「……いかんいかん。こんなの舐めたからって、何になるんだよ。ただの変態だ」


 このフォークを口にすれば関節キスだなんて、ちょっと変態的でいかにも童貞らしい発想が頭に浮かんできたので即座に邪念を振り払うように首を振った。


 そしてすぐに流水で洗い流してから、スポンジで綺麗に磨く。


「ふう。俺ってやつはほんと、つくづくしょうもない男だよ」


 せっかく先輩が俺を選んでくれたというのに。

 今からこんな調子では、すぐに愛想を尽かされてしまう。

 とりあえず自重しろ。

 そんで、恋人としてゆっくりと先輩との愛を育んでいくんだ。


 まずは……そうだな、手を繋いでデートとか。

 まあ、手は何度も繋いでるけど。

 恋人として手を繋いで街を歩いて……いや、そういえばそれもやったなあ。


 うーん、それなら一緒に何か食べに……いやいや、毎日一緒に家でご飯食べてるってのにそれこそ今更すぎるなあ。


 なんか、気づかないうちに随分先輩と恋人っぽいこと、してたんだな俺って。

 先輩が大人だからそういうのも普通なのかと思って流されていたけど。

 よく考えたら先輩も俺にアピールしてきてたとか?

 うーむ、今となっては確かめようもないけど。


 とにかく恋人らしいことを。

 ……やっぱり、キスとか、かな。


「先輩とキス……いや、ハードル高いなあ」


 今はまだ、完全に両想いってほどじゃなさそうだし。

 ネットで調べた情報によると、別に好きじゃなくてもなんとなくいいかなあって人に告白されたらとりあえず付き合ってみてから考える人もいるって書いてたから。

 先輩も、きっとそんな感じなのかなって思う。


 俺だって、先輩と出会う前に可愛い子に、それこそ宮間さんみたいな可愛い子に告白されてそのまま付き合おうなんて言われていたら、好きになる前でもOKしていたと思うし。


 付き合うって、現実的にはそういうケースが多いと思う。

 お互い両想いで、それこそ付き合う前から好き同士なんてのは理想的だけど。

 それはさすがにないとして。

 付き合ってもいいって思ってもらえてるだけでも今は喜ばしいことだから。

 だからこそ、俺と付き合っていく中でもっと俺を好きになってもらって、先輩の方から好きって言ってもらえるように、頑張らないとな。


「よし、とりあえず目標は先輩に好きって言わせることだ」


 そうと決まれば先輩ともっとお話して、週末はデートとかしたりして。

 好きって、言わせてみせるぞ。



「千代君、好き。大好き。もう全部好き」


 千代君の体温で少しぬるくなったお風呂。

 彼と一つになれたような気分になれて好き。

 幸せすぎて、洗い流すものなんてないくらい。

 でも、ちゃんと綺麗にしておかないとね。

 今日も、一緒に寝るんだもんね。


 夫婦になるから。

 毎日一緒に寝るんだもんね。


 うん、なんか理想的だなあ。

 お互い大好き同士の両想いのまま付き合って婚約して同棲してそのまま結婚なんて。


 今日はケーキを作る時間が欲しかったからお風呂は別々になっちゃったけど。

 明日からは当然、一緒に入るもんね。


 今日はこの後、リビングでイチャイチャしたいな。

 キス、またしたいなあ。

 千代君の唇、気持ちよかったから。

 彼の方からキスしてこないかなあ。

 ふふっ、シャイだからちょっと難しいかな。


 お風呂出たら何しようかなあ。 

 そうだ、結婚式をどこでするか相談してみようかな。

 赤糸浜の海が見える教会がたしか、あったよね。


 下見とかって、高校生でもさせてくれるのかな?

 

「お風呂から出たら、千代君と一緒に調べてみよっと」



「……これでよし、っと」


 先輩に好きと言ってもらうという目標を立てた俺はまず、リビングの整頓を始めた。


 ちょっと散らかっていたし、先輩に甘えているだけでは愛想を尽かされる可能性だってある。

 潔癖もちょっと嫌だけど、年下でもしっかりしたところがあるんだってところ、見せなきゃな。


「お風呂、出たよ」


 ちょうど作業がひと段落したところで先輩がリビングに戻ってきた。


 髪をタオルで拭きながら、今日は淡いピンク色のスウェット姿。

 相変わらず、という言い方が正しいのかどうかわからないけど。

 何をしていてもどんなものを着ていても先輩は綺麗だ。


「お疲れ様です。ちょうどリビング、整頓してたんですよ」

「整頓? 誰か来たの?」

「いえ、ちょっと散らかってましたし。こんなんだとお客さんも呼べないですからね」


 もちろん家に招くような人もそういないのだけど。

 何気なくそう答えると、しかし先輩が表情を暗くする。

 

「……誰か、呼ぶの?」

「え?」

「誰呼ぶの? 女の子? 呼んだの?」

「あ、あれ……」


 少し俯いたまま、俺の方へゆっくり迫ってきたと思うと。

 先輩は上目遣いで俺の方をじろっと。

 睨む。


「ねえ、誰?」

「い、いや……誰とかじゃなくて、ですね」

「嘘? 千代君、嘘ついたの?」

「そ、そんなつもりは……ええと、客人ってのは例え話、でして」

「じゃあ、どうして急に片付けはじめたの? 私が住んでる痕跡を、見られたくないから?」


 先輩はジリジリと俺に迫る。

 あまりに急な変貌に俺は、先輩の迫力に押されて後退りしてから、腰を抜かしてソファにそのまま座ってしまう。


 そんな俺を今度は上から見下ろす。

 先輩は、明らかに怒っている。

 なんでかは、さっぱりわかんないけど。

 もしかしたら触られたくないものを動かしたりとか、したのかもしれない。

 とにかく、この場は収めないと……。


「ご、ごめん、なさい。勝手なこと、しました」

「お客さん、来ないの?」

「え、ええ……俺、家に呼ぶような人、いません、し」

「ほんと? 嘘じゃない? 嘘はダメだよ? パートナーに嘘、ついたらダメなんだよ?」

「う、嘘なんて決して……俺……紫苑さんにいいところ見せたくて、それでつい片付けなんて慣れないことを……」


 先輩が何に怒っているのか皆目検討もつかないが、とにかく癇に障ることをしたのは間違いなさそうなので、正直に事情を話した。


 すると、


「私の為……なの?」


 まるで憑き物が落ちたかのように、先輩はキョトンとした表情になった。


「え、ええと……先輩に、その、好きって言ってほしくて……だから、ちょっと頑張ってみたというか……すみません、普段やりもしないことを急にしたりして」

「私に、好きって言ってほしいの?」

「そ、そりゃもちろん。でも……」


 結果的には、俺の行動が裏目に出てしまったようで。

 慣れないことはするもんじゃないなと、後悔しながら先輩を見上げていると。


「好き。大好き」


 と。

 先輩が俺に向かって、そう言った。


「……え?」

「千代君、大好き。そういう私思いなところ、大好きだよ」

「せんぱ……紫苑さん……」


 先輩は少しだけ笑っていた。

 俺は、先輩に初めて好きと、大好きと言ってもらったことにひどく興奮しそうになっていたけど。


 なんだか言わせたみたいになってしまったことに気づいて、冷静になる。

 先輩は優しいし、お姉さんだから。

 年下の俺の願望を叶えてくれようとして、敢えて好きだと言ってくれたんだ。

 

 本当は怒りたい何かがあったはずなのに。

 それを我慢して俺に合わせてくれるなんて、どこまで優しい人なんだろう。


 ……もっと、ちゃんとしないとダメだな。


「ええと、とにかくすみませんでした。俺、お茶でも入れてきますよ」

「ううん、大丈夫。それより綺麗になったリビング、堪能したいから。一緒にテレビ見よ?」

「は、はい喜んで」

「うん。大好き」

「……」


 この後、一緒にソファに座ってテレビを見ていたんだけど。

 先輩は隙を見ては俺の隣で「大好き」と呟いて、笑っていた。

 多分、揶揄われているのだろう。

 もちろん、カッコいいとか頼りになるって思ってくれてるとまでは考えてなかったけど。

 まだまだ年下扱い、だな。

 

 こんなイジられるような形じゃなくて。

 心の底から好きって言ってもらえるように、努力しなきゃ、だな……。

 

 

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