不意打ち
♡
私ったら、つい悪い癖がでちゃった。
いきなり千代君が掃除なんか始めるから、私がお風呂に入ってる間に誰か女の子を連れ込んでたんじゃないかって、邪推しちゃった。
もう、意地悪な千代君。
私が心配性だって知ってるくせに。
それにお片づけなんかしなくてもいいのに。
そんなことしなくても、何もできなくても、私はあなたが大好きなんだから。
でも、たしかに私の方からちゃんと好きって、言葉にして伝えたことはなかったかな。
きっと、それが寂しかったんだよね。
うん、ごめんね。私、恥ずかしがり屋さんだから。
千代君を不安にさせちゃってごめんなさい。
勝手に不安になってごめんなさい。
ちゃんと、言葉にするからね。
「大好き。千代君、大好き」
ソファに並んで座る彼の耳元ではっきり、好きって言っちゃった。
すると千代君は、目を泳がせていた。
言ってほしいって話してたのに、動揺してる。
可愛い。好き。大好き。
「大好きだよ」
一度口にすると、なんだか恥ずかしさもなくなっちゃった。
千代君のおかげかな。
なんか私、今日はとっても素直になれちゃう。
嫉妬してごめんね。
大好きだから、ヤキモチ妬いちゃうのわかってね。
「千代君、大好き」
♤
はっきり言って、テレビ番組の内容なんて何も頭に入ってこなかった。
そばで先輩がしきりに「大好き」と呟くから。
いくら俺を揶揄って言ってるんだとわかっていても、先輩のその一言の破壊力は凄まじく、俺を腑抜けにするまでに大した時間は必要なかった。
もう、先輩のことしか考えられなくなっている。
この後どうするとか、宿題何があったかとか、先輩は家に帰らなくて大丈夫なのかとか、明日の時間割は何だったかとか、そんなもの全部がどうでもよくなっていて。
ただひたすら先輩と一緒にこうしてくっついていられる時間を堪能したかった。
「先輩……」
「また、先輩になってるよ?」
「あ、すみません……紫苑さん、俺も……好きです」
「うん。大好き」
「……」
先輩は惜しげもなく俺が欲しい言葉を言ってくれる。
俺もつい、調子に乗って「俺も好きです」って何度も繰り返して。
互いに好き好きと言い合う時間がしばらく続いた。
これが嘘でも本当でも、最早そんなことはどうでもよくて。
ただただ幸せな時間だけが過ぎていく。
気がつけば、時計は夜の十時を回っていた。
「……そろそろ、寝ましょうか」
明日も学校だし、ずっとこのままというわけにもいかないからと。
先輩の目を見てそう話すと、
「今日も一緒に寝るよね?」
少し探るように、そう聞かれた。
「……紫苑さんがいいなら、俺はもちろん、そうしたいですけど」
「うん。パートナーだから、普通だよね」
「普通……ええ、そうですね」
付き合って初日から一緒に寝ることが果たして世間一般的に普通なのかどうか悩んだけど。
よく考えたら付き合う前から一緒に寝ちゃったわけだし、いくら何もなかったとはいえ今更世間の常識をどうこうと考える立場にはないかなと。
割り切って俺は、先輩の手を引いて部屋に向かう。
先輩と付き合ってから初めて、先輩を部屋に招き入れた。
「……どうぞ」
いつもと変わらない、十年以上家具の位置もなにも変わらない狭い部屋。
だというのに、部屋に一歩踏み入れた瞬間、心臓が弾けそうなほどドクンと大きく脈打った。
昨日先輩が初めて部屋に来た時には何がなんだか過ぎて緊張を実感する余裕すらなかったけど。
改めて先輩と一緒に寝ると思うと、色々と考えずにはいられない。
「……もう、寝ます?」
「うん。お布団いこ?」
「……はい」
先輩は大人だから、こうして無防備に男の部屋で同衾するということがどういう状況なのか理解していないわけはないと思う。
それに昨日とは違って今日は恋人として、なんだ。
恋人だったらそれこそ……キ、キスとか、してもいい、よな?
いや、いいのか?
一緒に寝る=なんでもあり、というのは果たして本当なのか?
俺は、そんな経験したことがないからわからない。
先輩は……知ってるのだろうか。
「……」
そっと、並んでベッドに入った。
今日も枕元には昨日とったぬいぐるみがいるけど、やはり一緒にぎゅっとするのだろうか。
もし、昨日みたいに抱きつかれたら俺は……。
「千代君」
「は、はい」
「電気、消さないの?」
「あ、そ、そうですね。じゃあ、消灯しますね」
耳元で先輩が囁くだけで俺は、平常心を保っていられなくなりそうで。
部屋が暗くなると、一度視界から先輩が消える。
でも、隣にいる先輩の息遣いがはっきり聞こえる。
手を伸ばせばそこに、先輩がいる。
「……」
「千代君、やっぱり二人だと狭い?」
「い、いえそんなことないです、よ。紫苑さんこそ、大丈夫ですか?」
「うん。狭い方がいいかな」
そっと、先輩の手が俺の体に触れる。
暗闇だから、見えている時よりもその感触がはっきりと伝わってきて。
俺は、とうとう我慢の限界を迎える。
「……紫苑さん。俺、俺……」
このまま彼女を抱きしめたい。
このまま彼女の手を握りたい。
このまま彼女と……キスしたい。
「どうしたの?」
「……キス、してもいいですか?」
思わず、聞いてしまった。
普通こういうのって、ムードとか流れとか、そういうものに身を任せてするもので、わざわざ聞いてからするようなものじゃないのだろうけど。
その雰囲気の作り方もわからない、というよりどういう雰囲気なら許されるのかすらわからない俺は聞くしかなかった。
断られたらそれまでだけど。
俺は先輩の手を握りながら、目を瞑って彼女の返事を待った。
すると、
「……ん?」
唇に、柔らかいものがあたった。
なんだろうかと、目を開けると目の前には、先輩の綺麗なお顔が。
暗闇でもはっきり見える距離で。
先輩が俺に、キスをしていた。
「あ……」
「これでいい?」
「え……あ、あの……」
「足りない?」
「あ、あの……え、あれ?」
不意打ち、というかまだ何が起きたのかもわかっていない俺は言葉に詰まる。
すると先輩は、「キスだけでいいの?」と。
その言葉で、俺は体中の血液がぐわーっと流れるような感覚に襲われる。
「……せ、先輩」
「また、先輩に戻ってるよ?」
「す、すみません……あの、さっきのは」
「キス。したいって、言ったから」
「……」
先輩はまた俺の隣に横になると、手を握る。
俺は、あまりに突然の出来事に頭がパニックになっていた。
衝動で押し倒そうとか、そんなことすら考える余裕もなく。
ドクンドクンと高鳴る心臓の音がうるさ過ぎて。
天井を見上げたまま、固まってしまっていた。
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