ぎゅっと抱きしめて


「ぎゅっと、ですか?」


 駅を抜けて裏手に来たところで先輩がポツリと呟いた言葉に俺は飛びかけていた意識を取り戻して反応した。

 随分と人の数は減ったが、先輩はまだ俺の手を離さないまま。

 心なしか、その手に力がこもった。


「うん、ぎゅっとしたい」

「そう、ですか。うん、頑張ってぬいぐるみ取れるようにしますね」

「ぬいぐるみ……あ、うん。そうだね、頑張って」


 先輩は小さく頷きながら、細い指をもじもじと俺の指の隙間で動かす。

 そのサラサラした感触に、俺の胸がまたぎゅっと締め付けられる。


 ずっと、恋人繋ぎしてる。

 先輩は人混みが怖いからって言ってたけど、俺のことが嫌いならさすがにこんなことはしない、よな?


 ていうか、もしかして俺のことを……い、いやいやそれはないない。

 まだ知り合ってからでも日が浅いし、第一俺なんかに先輩みたいな人が惚れる要素ないだろ。


 落ち着けおれ。

 こうして頼りにしてくれてるだけでも充分に幸せなんだから、取り乱して先輩をガッカリさせないようにしないと。


「先輩、お店入りますよ」

「うん」


 初めて入る店だから、少し緊張する。

 先輩も同じなのか、また手に力が入る。


「……へえ、結構中は綺麗なんだ」


 古い建物だらけの駅裏の一角にあるこれまた古びた外観のゲーセンだが、店内は明るくてあちこちでゲームの音が響いて賑わっている。


 それに結構広い。

 どうやら奥の方にクレーンゲームコーナーがあるらしい。


「どうします? 先に他のゲームとか見たいものあれば」

「ううん、ぬいぐるみ見に行きたい」

「わかりました。じゃあ、奥にいきましょうか」

「ぎゅっ……」

「……」


 先輩は何かに抱きつきたそうな仕草を見せる。

 早くぬいぐるみを手に入れてぎゅっとしたいに違いない。


 男の見せ所ってやつ、だな。


「あ、可愛いのありましたよ」


 ゲームでお馴染みの丸いピンクのキャラクターのぬいぐるみ。


 抱き枕というか、クッションにもなりそうなサイズのそれを指さすと先輩は「うん、可愛い」と。

 

「それじゃこれにします? まあ、とれるかどうかはわかりませんが」

「うん。頑張って」

「は、はい……ええと」

「どうしたの?」

「あ、いや、その……」


 片方の手が、先輩と手を繋いでいることで塞がれてしまっていて財布からお金が取り出せない。

 だから一度解こうと思ったのだけど、それはそれでもったいないなあと思ってしまって躊躇する。


 そんな挙動不審なおれに対して先輩は、「手、邪魔?」と、ちょっと残念そうに聞いてきた。


「い、いえいえ邪魔なわけないですよ。ただ、片手だとちょっと不便だったもので」

「邪魔じゃない?」

「も、もちろんです。お、俺はこ、このままの方がいいかなあ、とか……いえ、すみませんなんでもないです」

「うん。人多いから、こうしてる方がいい。お金、私が出してあげるね」


 先輩はポケットから取り出した小銭入れを器用に片手でパカっとあけて500円玉を取り出すとさっさとコイン投入口に入れてしまった。


「あっ、ダメですよここは俺が出しますって」

「いいの。私のためにとってくれるんだし。それより早くしないとだよ?」

「は、はい。それじゃなんとかこの500円で取れるようにがんばります」

 

 結局繋いだ手はそのまま、片手でクレーンゲームをすることに。

 ただ、俺がクレーンを奥に動かす時に奥行きを確認しようと側面を覗きたくても、先輩が隣にいるから動けない。


 とりあえず見たままやってみたが、うまく掴めず。

 すると先輩がちょっと残念そうに、「ぎゅっ……」とつぶやいた。


「す、すみません次こそはなんとか」

「うん。ね、私が隣にいたら、邪魔?」

「そ、そんなことないですよ」

「そっか。うん、それじゃもう一度、お願い」

「は、はい」


 ただでさえ大きなぬいぐるみを獲るのは一苦労なのに、片手で、しかも先輩と手を繋いだままという平常心でいられない状況だから余計にうまくいく気がしない。

 集中力を欠いた俺はそのあとも失敗を繰り返して。


 あっさり500円分を使い切ってしまった。


「すみません……うまくひっかかれば取れるはずなんですが」

「難しいもんね。やめる?」

「も、もう一回やらせてください。俺、頑張ります」

「じゃあ、お願いね」

「は、はい」


 と、威勢よく返事したところでさっきと同じ問題に気づく。

 相変わらず片手の自由がないので財布からお金が取り出せない。


 また、モタモタしていると先輩が先にお金を入れてしまった。


「はい、どうぞ」

「す、すみません。俺、不器用なので片手だとどうしても」

「邪魔? だったら離れようか?」

「い、いえいえ全然問題ないです。できたらこのままの方が……あ、いえすみません、集中しますね」


 もう一度仕切り直し。

 駅からずっと手を繋ぎっぱなしとあって、段々と感覚が慣れてきたのか、さっきまでより呼吸が穏やかになってきた。


 そして先に何度かプレイしたおかげで、クレーンの動きも把握できたのでさっきよりは落ち着いて目の前に集中できる。


「……お、いけそうですよ」


 うまく掴めたぬいぐるみがスーッと持ち上がる。

 そして、ゆっくり穴の方へ運ばれていき、ストンと穴の中へ。

 足元からぬいぐるみが顔を覗かせた。


「おお、とれた! 先輩、とれましたよ」

 

 興奮気味にぬいぐるみを拾い上げて先輩に見せると、先輩は落ち着いた様子ながら嬉しそうに目尻を下げる。


「うん、すごい。可愛いね、これ」

 

 また、先輩が笑顔になった。

 今回はほんの少し笑っただけだけど、いつも冷静で、どちらかといえば何を考えてるか分かりにくい先輩がこうして喜怒哀楽を見せてくれることが俺にとっては何より嬉しい。


「よかった……先輩、思いっきりぎゅっとしてくださいね」

「いいの?」

「はい、もちろんですよ」

「うん。じゃあ、ぎゅっ」

「え?」


 差し出したぬいぐるみはなぜか足元に置かれて。

 ぎゅっとされた。


 俺が。

 先輩に。

 ハグ、された。


「せ、先輩? あの、これは」

「ぎゅっとしてって、言われたから」

「あ、あの……そ、それはぬいぐるみを……」

「ぬいぐるみ、ありがと。ぎゅっ」

「せ、せんぱ、い……」


 優しい力で彼女が俺にハグをすると、いつもの甘い香りがフワーっと漂ってくる。

 先輩の柔らかみのある体の感触が伝わってくる。

 先輩の息遣いが耳元で聞こえる。

 

「あ……」


 この時、俺は半分以上意識を失っていたと思う。

 ぽとりと、鞄を手から滑り落として。

 先輩に包み込まれた俺は、そのまま先輩に溶け込んでしまいそうになりながら。


 しばらくその場で固まっていた。


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る