未来予想図

「……」

「可愛い。ね、可愛いね」

「……」

「大丈夫?」

「え、あ、はい、すみません。可愛い、ですね」


 ハグの余韻が消えないまま、先輩と一緒にゲームセンターを出た。


 先輩はぬいぐるみを大事そうに片方の腕で抱えながら時々「可愛い」と呟いてはぎゅっと抱きしめてその感触を確かめている。


 そしてもう片方の手はまだ、俺の手と繋がっている。

 俺はしばらく片手の感覚がない。

 ここが現実だという実感も、薄れている。

 先輩に、ハグされた。

 先輩を、抱きしめた。

 

 あれは一体どういうつもりだったのか。

 外国の人みたいに感謝のスキンシップだというのであれば、それはそうなのかもしれないが。

 しかし、どう見てもそんな陽気にも積極的にも見えない先輩が何も思っていない人間にあんなことをするだろうか。

 いや、しないと思う。


 たとしたらやっぱり先輩は……。


「せ、先輩」

「どうしたの?」

「どうして、あんなことをしたんですか?」

「あんなこと?」

「ええと……その、ぎゅっ、て」


 上手く頭も働かないからうまく表現もできないが、しかしハグの真相だけは確かめたくて言葉を振り絞って聞いた。


 すると、


「思いっきりぎゅっとしてって、言われたから」


 そう返ってきた。


「も、もしかして俺がそう言ったから、ですか?」

「うん」

「……」


 もしかして、先輩はとんでもない天然なのかもしれない。

 俺はもちろんぬいぐるみを目いっぱい抱きしめてあげてって意味でそう言ったはずなのに、先輩は勘違いして俺にハグしてきたってこと、らしい。


 なんかちょっと安心した半面、がっかりもする。

 ハグの真相なんて、案外こんなものだったんだ。


「そ、それじゃ帰ります? 荷物もできたし」

「うん。帰ったらまた、ぎゅっとしないとね」

「……はい」


 もちろんそれはぬいぐるみに対してなのだとわかっていても、先輩とのハグは俺の頭に焼き付いて一向に離れない。


 先輩の香り、間近で嗅ぐとチョコレートみたいに甘かった。

 先輩の腕も、信じられないほどに柔らかかった。

 先輩の……触れてはいけない部分が俺の体に密着してた。


 先輩の抱き心地を、知ってしまった。

 あんなことされたら俺、帰ってから冷静でいられる自信がないんだけど。


「……ふう」


 でも、せっかく少しだけ打ち解けられてきてるところで、俺が獣になってこれまでのすべてをパーにしてはいけない。

 それに、母さんの大切な知り合いでもある。

 万が一先輩に変なことをして母さんに報告でもされたらと思うと、うかつなことはやっぱりできない。


 一度気を取り直そうと息を吐くと、先輩は俺の手をくいっと引っ張って、少し先を見る。


「疲れた? 休む?」

「ああ、そういえばこの先に公園ありましたよね。じゃあ、ちょっとだけ座りましょうか」

「休まないんだ」

「え? いえいえ公園のベンチでちょっと休憩しようかなと」

「……うん。じゃあ、それでいいよ」


 今日は風がなく、日差しが気持ちいい。

 公園に行くと、遊具で遊ぶ子供たちとそれを見守る親御さんたちの姿がちらほら。

 なんとも微笑ましい光景だ。


「あ、ベンチ空いてますね。座りましょうか」

「うん。ベンチって、冷たくないかな?」

「どうでしょう? でも、日差しがあるから大丈夫ですよきっと」

「明るい……」

「まぶしいですか?」

「ううん、嫌いじゃないよ」

「そうですか。では」


 公園一帯を見渡せる場所にある入り口付近のベンチに並んで腰かける。

 先輩は片手に抱えたぬいぐるみを時々ぎゅっと抱きしめながら、退屈そうに前を見ている。

 俺はというと、目の前ではしゃぐ親子を見て勝手な妄想を繰り広げながら呆けていた。

 

 先輩ともし結婚したら、あんなふうに楽しい家庭になるのかな、とか。

 先輩は意外と家庭的だからきっといい奥さんになるよな、とか。


 まだ付き合ってもいないのにずっとそんなことばっか。

 ただ、いつかは夢から覚めるもの。

 先輩が体をぶるっとさせて、「お手洗い、どこかな?」と。


「あ、そこに確か。きれいなところですよ」

「そっか。うん、じゃあ、ちょっと行ってきてもいい?」

「は、はい。俺、ぬいぐるみもっておきますね」

「うん」


 公園の奥にあるきれいなトイレの前まで行くと先輩は俺にそっとぬいぐるみを渡してくる。

 で、ついにつながれた手が……。


「あの、先輩?」

「どうしたの?」

「ええと……手、離さないと、その、お手洗いが」

「あ、うん。そう、だね。じゃあ、待っててね」

「は、はい」


 するりと先輩の指が離れていく。

 ついに、その手が解かれた。

 そして先輩がトイレの中へ消えると、俺はさっきまで先輩とつながっていた手を見て、もう一度息を吐く。


「先輩……」


 トイレの前でぬいぐるみを抱えて人を待つ高校生の姿なんて、周りの人からすれば滑稽に映ったに違いない。

 すれ違う人たちから、変な目で見られたりもした。


 でも、そんなことはもうどうでもよかった。

 頭の中はもう、先輩のこと一色に染まっていた。



「いっぱい、感じちゃった……」


 トイレの中で一人、乱れた自分を整える。

 もう、限界だった。

 恋人つなぎして、ぬいぐるみを取ってもらって、ハグまでさせてもらって。

 こんなの、普通でいられるわけがない。

 私、公園のベンチでずっと彼をどうやったら押し倒せるかってことばっかり考えてた。

 小さい子もたくさんいるのに。

 ううん、子供の姿を見たからこそ、早く子供がほしいなんて、思っちゃった。


 常盤君ったら、私のことをいつも試してくるの。

 

 絶対に手を離した方がやりやすいのに、敢えて離さずにクレーンゲームするし。

 私だって離したくないのに、私が気を遣って離そうとしないか、試してくるの。


 ハグだって、自分からはしてくれないのに「思いっきりしてもいいよ」とか。

 私はそんなこと言われたらうれしくて絶対止まらないって知ってて、意地悪ばっかりしてくるの。


 ホテルで休憩しようって言っても、気づかないフリして公園に誘ってきたからどうしてだろうって思ってたけど。

 家族連れの姿を見せて、「早く結婚したいね」って、きっとそう伝えたかったに違いない。

 もう、はっきりしてくれない常盤君ったら……好き。

 意地悪なのに、絶対私が望むことだけをしてくれるあなたが好き。


 大好きすぎて私、気持ちも何もかもこぼれちゃう。

 壊れちゃう。

 

 もう、こんなことなら着替えもちゃんと持ってきておけばよかった。

 こんなままでホテルに入ったら、さすがに私が淫らな女だって、軽蔑されちゃうものね。


 あ、もしかしてそんなことも察して、ホテルのお誘いも断ってくれたのかな。

 ふふっ、やっぱり常盤君って紳士。素敵。好き。


 今もずっと、私を待っててくれてるんだよね。

 うん、早く出てあげないと。


「帰ったら、またいっぱいぎゅってするね」

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